マスタードガスとダイナマイト
翌日、意気揚々と出勤の準備をする。
ロシナアムは容疑者張り込み中につき、代わりに双子の妹であるジョゼリーヌが侍女代理でついてくれることになった。普段は騎士団に混じって裏社会の取り締まりをしているらしく、彼女もまた、腕利きの暗殺者なんだとか。
「精一杯お勤めいたします、セーナ様」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
ピンクのツインテールに、赤い瞳。見た目こそロシナアムとそっくりだけど、彼女と違って生意気ではなかった。むしろ、メイド服をひっつめて着ているあたり、とても真面目そうな印象だ。
いつものように魔法陣で研究所ロビーに転移し、待っていたサルシナさんと合流する。この時点で私の護衛の役目はサルシナさんに移るので、ジョゼリーヌは王城へ戻る。
階段で地下におりて、所長室に入るなり私は嬉声をあげた。
「サルシナさん、私、兵器の開発を許可されました!」
ロビーは不特定多数の耳があるためここまで我慢したのだ。
「ああ、陛下から念話でおおまかなことは聞いているよ。毒矢の件は大変だったね、無事でよかったよ。……で、セーナは兵器も作れるのかい? すごいね、あんたの技術は……」
呆れた表情のサルシナさん。
トロピカリ時代は何となく猫をかぶっていた私も、彼女が助手になってからは堂々とマッドサイエンティストとして振る舞っている。
「兵器も結局は化学や薬学を使っていますから、私でなくても薬剤師であれば充分作れますよ。薬剤師って、化学の勉強をいっぱいするんです。……もちろん、方法を知っていても実際作るのはすごく大変ですけどね。人手と予算をつけてくださったデル様に感謝です」
「陛下はあんたのためになら何だってやるさ。今回は国のためにもなるから、全面協力ってことになったんだろうね」
「国のため、自衛のために頑張りますよ! 引き続きブラストマイセス・オリジナル抗生剤の研究をしつつ、兵器開発も並行して進めます。もう開発する候補は考えてあるんです」
「そうなると、研究計画の見直しが必要だね?」
「ええ。早速ミーティングしましょう」
部屋の中央にある机に移動し、カバンから兵器に関するメモを取り出す。
サルシナさんは実験室から実験ノートを持ってきてくれた。
「――まずオリジナル抗生剤の進捗ですが。現在、土に含まれていた菌をそれぞれ純培養しているところですね。全てはさばききれないので、私が顕微鏡下で観察し、既知と思われた菌は除外して進めています。間違いないですね? サルシナさん」
実験ノートの記載に目を走らせながら、報告を聞く。
「ああ、その通りにやってるさ。2人でさばける量じゃないとだめだから、今は20種類の菌を培養中だよ。他の菌はグリセロールストックにして凍結保存してあるから、今のが終わったら第二陣として回せる」
研究の指揮と管理が私の役目で、実際に手を動かすのはサルシナさんが多い。
もちろん基本的には2人で作業を分担しているのだけど、婚約者という立場上、お披露目式の準備などで研究所を休まねばならない日がある。だから、サルシナさん一人でも進められるように、当面の手技は覚えてもらっている。
「素晴らしいです。サルシナさんは飲み込みが早いですね!」
「一度覚えてしまえば難しい作業じゃないさ」
ふふん、と得意げなサルシナさん。
「では純培養が終わったら、さっそく培養液をスクリーニングにかけてみましょう。何らかの変化がみられた菌株は、量を増やして再培養。活性成分の単離精製を目指します。こういう方向でいきましょう」
「わかった」
「スクリーニングや培養の待ち日を利用して、兵器のほうを進めましょう。昨日軽く考えてみたことを紙に書き出してみたので、見てもらえませんか? ブラストマイセスの事情にはまだ疎いので、生産できるか、敵に有効そうか、何でもいいので意見がほしいです」
メモ用紙をサルシナさんの方へズイっと押し出す。
『・マスタードガス ・ダイナマイト 』
「何だいこれは? 初めて目にする名前だ」
紙に書いた二つの名称。やはり、ブラストマイセスには存在しないもののようだ。
「簡単に言うと、マスタードガスは毒ガス、ダイナマイトは爆弾ですね。製造難易度や副産物の恩恵を踏まえると、できればこの二つでいきたいと考えています」
そう答え、新しい紙を取り出す。
「まず、マスタードガスですが――――」
マスタードガス。
2,2'-硫化ジクロロジエチルを主成分とする化学兵器だ。カラシに似たにおいがすることから「マスタード」なんて名前がついているが、実態は強烈な細胞毒だ。粘膜や皮膚に炎症を起こすほか、肺に入ると呼吸困難を起こす。
恐ろしい物質ではあるが、その毒性を生かして抗がん剤として応用されているという意外な事実もある。毒ガス製造もできるし、ちょっと構造をいじって抗がん剤にもなるのは非常に魅力的だ。
二つ目のダイナマイト。
ノーベル賞の創設者であるノーベルさんが発明した爆弾だ。ダイナマイトはニトログリセリンを主成分としており、十分な威力がある。あらかじめ敵が来そうなところに仕掛けておくこともできるし、爆弾は汎用性が高い兵器だ。国としては一つ持っておくと安心だろう。
さらに、主成分ニトログリセリンは狭心症の治療薬になるのだ。爆弾だけでなく薬にもなるので、ぜひとも開発に取り組みたい。
「――――と、こんな感じの兵器です。なかなか難しい話だとは思いますので、一緒に作りながらその都度分からないことは聞いてくださいね」
「……そうだね、いっぺんに全てを理解するのは難しそうだ。その都度質問させてもらうよ。でも、ひとつ良いかい? 毒ガスを使ったらこっち――味方まで被害がでるんじゃないか?」
難しい顔で首をひねるサルシナさん。
「その通りです。毒ガスの種類によっては解毒薬があるのですが、マスタードガスにはありません。なので使う状況はよく考える必要がありますが、やむをえず味方の近くで使った場合でも、すぐに大量の水で洗い流せば大丈夫です」
「ああ、なら安心だ。ちょうどいい魔物の騎士がいるよ。河童って言うんだけど」
「か、かっぱ?」
ひどく懐かしい言葉を聞いた気がした。
「ああ、河童さ。人間名は何だったかな? 悪いね、あたしゃ興味のないことはすぐ忘れちゃうんだ。とにかく奴に任せれば大丈夫さ。頭の上に皿が乗ってる妙な魔物なんだけど、その皿からは無限に水が出るのさ。操り方も正確だし、騎士団長だから戦いの場にも慣れている」
「河童が、騎士団長」
「そうさ。あはは、セーナ、なんだいその顔は? 魚みたいに口をパクパクさせちゃって。そんなに河童が気になるなら今度紹介するけど?」
「是非お願いします!!」
頭を深く下げながら、なんともいえない感動が胸に広がる。
(まさかブラストマイセスで日本の妖怪に会えるとは…!! 手土産にはやっぱりお皿がいいのかしら?)
王妃教育のなかに「国の組織」という科目があったけれど、本当にサラッとしたものだった。役職は覚えても、個人名までは教わらなかった。そもそも歴代王妃は専業主婦が多く、家でのんびりお茶をしたり花を愛でるのが普通だったらしい。だから、役職を覚えるだけでもかなり異例なのだとか。
そんなわけで、騎士団長というポジションは認識していたけど、河童が務めているとは知らなかった。
(お名前と、魔族の場合はどういう魔物なのかも覚えた方がいいわね。なんか、惜しいことをしている気がするわ。帰ったらジョゼリーヌに最新の組織図をもらいましょう)
「……じゃあ、そういうことで。特に何もなければ今日の作業に移りましょう」
「ああ。実験しようか」
私たちは実験室に移動し、夕方まで楽しく実験を行ったのだった。
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