第一王子の反逆【後編】
首にかけた手を緩め、彼を解放してやる。
途端彼は激しく咳き込み、身体を丸めた。そして空気を求めて大きく呼吸を繰り返していた。
「はあ、はあ…………。ちく……しょ……」
肩激しく肩を上下させる彼に向かって、口を開く。
「最後の質問だ。討伐、というふざけた計画はお前の指示だな?」
「そうだよォ! くそぉ、全部、俺が仕組んだことだぁぁぁぁぁ―――――――っ!!!!」
言い終えるかどうかというところで、彼はやけを起こした。
呼吸が整わないまま、血走った目で魔剣を構えて斬りかかってきた。
こちらも腰にはいた長剣を素早く抜剣し、顔の前で受け身をとる。
カキンッッ!
高速で刃が触れ、火花が飛ぶ。
理性を捨ててやみくもに斬り降ってくる剣筋を、冷静に諌めていく。
左、右、上、左、左――――
焼け焦げたホールに金属音がリズムよくこだまする。
軟弱王子と思っていたが、意外にも悪くない手合いだ。やみくもな中にも、隙を窺う動きや、裏をとるような動作をはさみこんでいる。
クズな男にも長所があったことが、妙におかしく感じられた。
玉座への執着心を何者かに利用されたロイゼ王子。しでかしたことは大きな犯罪であるが、彼もまたある意味では被害者なのかもしれない。
「なかなか悪くないぞ、ロイゼ王子。――罪を償って騎士を目指さないか?」
「うるさい、黙れ!」
顔を真っ赤にして、更に打ち込んでくる。
惜しいな、とほんの少しだけ思った。
しかし、もう慈悲は無い。こいつには、掃いて捨てるほどチャンスを与えてきた。それを無下にしてきたのだから、しかるべき罰を与えよう。
長剣に体重を乗せ大きく踏み込み、一瞬で距離を詰める。勢いのまま、下から上へ目くらましの一撃を打ち出す。
「…………っ!?」
のけ反りながらもとっさに受けた王子。腕がしびれたようで、一瞬だが次の手が遅れる。
その隙を逃す前に、彼の懐に踏み込む。鋭くみぞおちに肘を沈めれば、王子の顔が苦痛で歪む。
「ほう、倒れないとはな」
前かがみになって左手で腹を押さえているが、右手の魔剣は離さない。
憎しみのこもった目は相変わらずしっかり私を捉えている。
「だが、容赦はしない」
トン、と床を蹴り、回転をつけながら斬りかかる。
王子は後退しながら、やっとという感じでそれを受ける。隙だらけだ。
金色の髪がはらりと一束床に落ちる。
すぐさま剣を返し、身を反転させて振り向きざまに大きく横に薙ぐ。
「ぐあっ……!?」
赤い飛沫が視界に飛ぶ。
じわり、と赤が王子の腹に滲む。
再度身をひるがえし、魔剣の柄から上へと長剣の刃を滑らせる。切っ先が離れるという所でグッと力を込める。勢いそのままに右へ振り抜けば、魔剣は宙を大きく回転しながら後方へ吹っ飛んでいく。
「あ…………っ!?」
王子の膝が床に付くと同時に、魔剣もはるか遠くの床に突き刺さる。衝撃で床のタイル片がパラパラと舞った。
「……なあ、王子。私は慈悲深いけれども、それを無下にした罪人には厳しいぞ。……特に、今の私は最高に機嫌が悪い。運が悪かったな」
長剣の柄に付いた血を振り払いながら王子を見下ろす。
腹の傷は致命傷ではないが、動けるほど浅くもないはずだ。
「冥土の土産に教えてやるが、私は善き国王ではない。そうあろうとしているだけの、ただの一人の男なのだ。家族を失えば悲しいし、女性に振られれば相応に落ち込む。まあ、自分にそういう一面があると知ったのは最近だが」
自虐的な笑みを浮かべる。
うずくまった王子は苦痛に顔をゆがめており、聞こえているのか分からない。
「そなたは私の立場が羨ましいようだが、そう良いものではないぞ。富も名誉も全て持っているように見えてその実何も持っていないのだ。私自身が望んだものは何一つ持っていない」
急死した父上から自動的に引き継がれた地位と名誉。悲しみを噛みしめる暇もないままに、執務に忙殺された。大切なものは、自分の手で守らねばなくなってしまう。もう誰かを失うのは嫌だ。その思いから、先の戦争では自分1人で出陣した。
みなの手本であり、力を正しく使うことが、何より大切だと考えてきた。自分の幸せなどない。みなが幸せであることの方が大切だから。
そのうち適当な地位の誰かと結婚して世継ぎを作り、人生を終える。愛はなくとも、穏やかであれば上々だろうと思っていた。それ以上の何かを望むという発想すらなかった。……異界から来た不思議な女性と出会うまでは。彼女は私に温かさをくれ、刺激をくれ、長らく放置されていた心の中の暖炉に火をともしていった。
唯一手に入れたいと望んだものは、今日遥か遠くに行ってしまった。
――無様な姿を晒してでも引き留めればよかったと、深く悔やんでいる。再び門を開いて追いかけたい気持ちでいっぱいだが、何千万という国民を見捨てることは国王という立場が許さない。
「――私はそなたの自由が羨ましい。無いものねだりをせず、次の人生は己の幸せを見つけるんだな」
ああ、思い出したら不快な気分になってきた。
無駄話はもう終いにして仕上げをしよう。
魔力を人差し指の先に集中させ、魔法陣を描き始める。
指の痕跡は紋様となって黒く輝き始めた。
私を遠巻きにしていた優秀な騎士たちが、さっと顔色を変えた。
「陛下、本気ですか!?」
「城が全壊します!」
「そいつは私めでも始末できますから、お考え直しを!」
この魔術を使うのは実に250年ぶりだ。
子供の頃、こっそり忍び込んだ図書室の奥に鍵のかかった書庫があった。魔力をぶつけて鍵を壊し中に入ると、ほこりをかぶった分厚い本がたくさん並んでいた。後に知ったが、それは禁書といって危険な魔術や、倫理的に逸脱した魔術について書かれた本たちだったらしい。
初めて見る術式に私は興味を奪われ、その一つを遊び半分に発動させたところ、父上にこっぴどく叱られた。と同時に、私の魔力量は規格外だと目を丸くされた。歴代魔王でも発動できない者がほとんどなのに、まだ子供の私が涼しい顔でやってしまったのだから。父上との、数少ない思い出の一つだ。
まあ、要はむやみやたらに使えないし、使うものを選ぶ術式だということだ。
国王も、たまにはわがままを言ってもいいんじゃないか?
自然と口角が上がる。
異界の門を開くために少々魔力を消費したが、それでもまだまだ余力はある。
処刑ついでに旧友に会うぐらいしても、ばちは当たらないだろう?
視界の隅で、賢明な騎士たちが退避を始めるのが見えた。
ロイゼ王子も何か不穏な展開になりそうだということを感じたのか、床を這いつくばって逃げようとしている。
では、そろそろ始めようか――――
魔法陣は完璧に書き上がった。指先から魔力をぐんぐん流し込むと、それは不気味な青色に輝きだした。
ラドゥーンの炎で気温が上がっていたホールが、今度は一気に冷えていく。
不気味な青色でホールはつつまれていき、ある一点の空間がぐにゃりと歪む。
「我が忠実なしもべ、レイン・クロイン。魔王の名において冥界から出づることを命じる。我が身の前に姿を表し、その望みに応えよ」
と、次の瞬間、歪んだ空間から勢いよく濁流が流れ込んでくる。
舐めるように波が壁を覆いつくし、飲み込んでいく。
そこそこ広い大きさのホールが、ものの数秒で大しけの海のような状態になる。
風は吹き荒れ、ひんやりと湿気た空気が充満する。背筋がぞくりとなるような、得体のしれない不穏な空気感。
膨大な水圧と水流に壁が耐えきれず、ひびが入り始める。
ロイゼ王子は濁流に飲み込まれているが、必死に泳いでいるようだ。
そしてどこからともなく低い唸り声が聞こえ、それは大きな水しぶきを挙げながら唐突に海面から姿を表した。
波が大きくうねり、嵐のような風としぶきがその体から吹き出している。
真っ黒な鱗に覆われた巨体に、獰猛な牙。顔の横からは水かきが大きく張り出している。白く濁った眼に一切の感情は無い。
大きく広げた羽は、ホールの壁をあっけなく突き破る。壁が連鎖的に崩壊を始めて濁流が勢いよく流れ出すが、水位は減るどころかどんどん増していく。遠くの方で、緊急事態を知らせる城の鐘の音が聞こえる。
「久しいな、レイン・クロイン」
「我が王。闇を統べる竜王レイン・クロインの名に於いて、御望みに応えよう」
レイン・クロインが仰々しく頭を垂れる。
(ああ、250年前と同じだ)
くく、と乾いた笑いがこぼれる。
崩壊する床から浮かび上がりながら、私はレイン・クロインに指示を出した。
「そこの罪人を始末せよ」
「――御心のままに」
伝説の海竜、レイン・クロイン。
その御力によって、ロイゼ第一王子は、断罪された。




