(最終話)わたしは薬剤師だから
後書きに書籍化のお知らせがございます。
デル様が戻ってきてからの日々は、これまで停滞していた時を塗り替えるが如く、鮮やかに色づいていた。私は彼のよりいっそう深まった愛に包まれながら、甘く幸せな毎日を過ごしている。
王位は彼に返還された。健康を取り戻した彼は、思う存分執務に取り組めることが嬉しくてたまらない様子で、日々ばりばりと公務に取り組んでいる。私が代理していた間の執務は、宰相を始めとしたまわりのサポートもあって、おおむね問題なかったようだ。彼の意向に沿った政治ができていたようで、そこに何より安堵した。
国王の回復に国民も安堵の色を取り戻していた。デル様はこの国の精神的支柱であったのだなあと、改めて認識した。
引きつぎを終えて、私は研究所に復帰した。長らく中断していた再生医療の研究を再開している。また、自分の細胞を研究して、不老不死の仕組みについて調べる実験もしている。
やっぱり研究は楽しい。すごく楽しい。これからは好きなことに思う存分打ち込めることに、心から幸せを感じた。
――そうやって、落ち着いた日々が数か月続いた頃。
今度は私が体調を崩した。
どうも疲れが取れないし、食欲もない。
仕事が休みの日は、ベッドで横になる日々が続いた。
デル様が戻ってきて、一気に今までの緊張が解けたからだろう。あるいは、研究に飢えていた反動で、ちょっと実験を詰め込み過ぎたかもしれない。
心配するデル様にそう伝えたけれども、彼は大層慌てていて、ドクターフラバスに診せると言って聞かなかった。
「この10年、セーナには無理をさせただろう。いくら不老不死の身体とはいえ、どこかしら不調をきたしているかもしれない。どうか私を安心させるためだと思って、一度診てもらってほしい。そなたに万が一のことでもあれば、私も後を追う準備をせねばならない」
いやいや、目覚めた矢先にまた後を追うとかやめてほしい。悪い冗談は本当によしてほしい。そう思ったのだけれど、彼の真剣で少し泣きそうな顔を見たら、そんなことは言えなくなってしまった。
ほんのちょっぴり具合が悪いだけで、お医者さんに診てもらうほどではないのだけれど。伴侶がいない辛さは私も身を持って感じたので、少しでも彼の不安が取り払えればなと思って、安心を買うつもりで診察を受けることにした。
じっくり私の身体を調べ上げたドクターフラバスが発した言葉は、あまりに意外なものだった。
「――妊娠だね、セーナ君! おめでとう! 陛下、半年後には可愛らしい御子を抱けると思いますよ!」
「に、妊娠ですか!?」
「セーナ、よくやった!!」
デル様が私に飛びつき、ぎゅうぎゅうと抱きしめた。
大柄な彼を抱き留めることはできず、私はベッドに沈み込んだ。
滑らかな肌と髪が、私の頬をくすぐる。
「陛下、だめですよ。セーナ君のお腹には、大事な御子がいるんですから! 飛びつくなんてもってのほかです。他にも、重いものを持ったり、激しい運動は控えるようにしてください」
呆れたように笑うドクターフラバス。
その声に、デル様はガバッと跳ね起きる。
「す、すまないセーナ。お、お、お腹は大丈夫か? とても嬉しくて……気持ちを抑えきれなかった。フラバスの言う通り、大事に過ごさないといけないな。よし、午後の公務は中止にして、ゆりかごを作ろう! 魔術を組み込んで、自動で揺れるものが良いだろうか。どう思う、セーナ!?」
「わ、私は……お腹は平気です。それより公務を中止って、大丈夫なんですか? 今妊娠が分かったばかりですし、ゆっくり考えてもいいと思いますが……」
「心配ない! 急ぎの仕事ではないから、後日取り返せばいいだけだ。こんな善き日ぐらい幸せに浸ってもいいだろう?」
とろけるような満面の笑みを浮かべるデル様。そわそわと落ち着きなく部屋を歩き回り、時折両手を顔に当てて、何かを噛みしめるような動きをしている。
予想もしていなかった妊娠には驚いたけれど。そんな彼を、改めて愛おしく感じた。
小さい頃に両親を亡くして、ずっと一人で生きてきたデル様。
この国を、家族が笑って暮らせるような、そんな国にしたいと言っていたデル様。
口には一度も出さなかったけれど、彼はきっと子どもが――自分の家族が、ずっと欲しかったんじゃないかと思う。
そっとお腹に手を当てて、その奥に息づいている小さな命に語りかける。
(あなたのパパはすいぶんと親バカになりそうね。でもね、今まで出会ったどんな人より、優しくて、賢い人なの。3人で、幸せな家族になりましょうね)
まだ胎動は感じないけれど、手にじんわりと伝わってくる温かさが、返事のように聞こえた。
「ああセーナ、今日は最高の日だ!!」
デル様はそう高らかに声を挙げ、診察のために閉じていた窓のカーテンを、シャッと開けた。射し込む陽の光に、思わず目を細める。
彼はおもむろに窓を開け放ち――――そのままバルコニーへ飛び出した。
「デル様!?」
「陛下!?」
意表を突いた行動に、ベッドから飛び起きてバルコニーへと駆け寄る。
そこにデル様の姿はなくて――――慌てて辺りを見回して、頭を上げると。
大きな大きな、そして美しい黒蝶がいた。
初夏の、抜けるような青い空に舞うそれは、私たちに影を落としながら優雅に大きく羽ばたいていた。
宝石がちりばめられたかのように、きらきらと虹色に輝く羽。お顔と上半身はデル様なのだけど、胸部から下にいくにしたがって黒い絹糸のような質感になり、胴体部分には見たこともない大輪の華が蔦とともに巻き付いていた。
陽の光を受けてはそこかしこがきらきらと輝き、この世のものとは思えないほど美しい。
触れたら破れてしまいそうなほど儚い姿なのに、その羽ばたきは力強く、生命力に溢れていた。私たちの頭上を、嬉しそうにくるくると回っている。
美しい黒蝶がひとつ羽ばたくごとに、鮮やかな花吹雪が舞い散る。
花びらと共に風に乗ってくるのは、甘美な香り。まるで、永遠に続く花畑にいるかのような心地になる。ここは楽園なのだろうかと錯覚するほどに。
思わず言葉を失って呆けていると、隣でドクターフラバスが呟いた。
「陛下の魔物体は初めて拝見するな……まさか先祖返りだったとは……」
「先祖返り、ですか?」
「ああ。かつてこの世界を統一した太古の蝶の魔物のことは、セーナ君も知っているだろう? その言い伝えにそっくりなんだ、この陛下のお姿は。魔力の強さや聡明なところも、きっとかの偉大な蝶の能力が色濃く出ているのかもしれないね」
「偉大な蝶のお話は、聞いたことがあります。でも、デル様がこのように蝶になるのは初めて見ました。……その、先祖返りっていうものだと、何かよくないことはありますか?」
「いいや、特にそういうことはないね」
「ならよかったです……! デル様が健康で幸せであることが、私には一番大切ですから」
「はは、セーナ君らしい答えだね。魔族のなかでは強さが全ての基準になるから、その答えは新鮮だよ」
ふふと笑い、会話が途切れる。
地面の方が騒がしいのでそちらに目線を落とすと、訓練中の騎士たちがざわざわしながら上空を見上げている。緑頭の河童さんが、慌てふためいた様子で敬礼の号令をかけている。そういえば魔族のみなさんは、姿かたちが変わっても魔力の質で相手が誰だか分かるのだったと思い出した。
『セーナ、今日はお祭りだ! 国中に、この喜びを分け与えてこよう!』
念話、なのだろうか?
低くて澄んだ彼の声が、脳内に直接響いてくる。
おでこに手をにかざして、黒蝶をしっかりと見上げる。
黒蝶となったデル様が、その蒼い瞳をきらきらさせながらこちらを見ている。私はありったけの笑顔でひとつ頷いた。
途端、黒蝶は一層大きく羽ばたき、王城からぐんぐんと遠ざかって行く。
その軌跡は虹となり、数えきれない花びらが舞い散っていた。太古の偉大な蝶も、世界を統一したときは、このように祝福を降らせたのだろうか。この世の喜びをかき集めたような幸せしかない光景に、私の心も満ち溢れていく。
「――――この様子じゃ、産まれた日はどうなっちゃうんでしょうね?」
「うん、僕も今同じこと考えてたよ。思わず魔物体に戻るだけじゃなくて、もっとすごいことが起こりそうだよね」
顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。
初夏の風に乗って、はらはらと花びらがバルコニーに舞い込んでくる。
床に落ちたそれを一つつまみ、陽にかざして眺める。デル様から自然発生したこの花びらは、野に咲く通常の花びらと何か違うのだろうか? あとで、顕微鏡で観察してみないと。そう思って、ワンピースのポケットにしまう。
――年が明けるころには、3人家族になっているだろう。
最愛の旦那様と、可愛い子ども。
大切な家族を幸せにするためにも、私は研究や調合を通していっそうこの国を豊かで平和にしていこうと思う。
この手でみんなの健康と笑顔を守り、そして、未知なるものに心躍らせながら。
私はこの世界で生きていく。研究者として、薬剤師として。
(了)
このたび「最強魔王様は病弱だった!~溺愛された地味薬師の異世界医療改革~」の書籍化が決定いたしました。上巻が2022年9月22日にメディアワークス文庫様より発売です。これもひとえに応援いただいた皆様のお陰です。本当にありがとうございます!!
素晴らしい表紙を描いてくださったのは白谷ゆう先生です。
WEB版を大幅に加筆修正していますので、WEBで読んだ方でも新しく楽しめる内容になっております。キャラクターの性格が違ったり、書下ろしエピソードが追加になっていたりとすごくパワーアップしています^^私の体感としては半分以上手を加えたと思います(※あくまで体感です。ゲッソリ……)
また、書籍化に伴いタイトルが変更になりました。新しいタイトルは「薬師と魔王 ~永遠の眷恋に咲く~」でございます。
アマゾン等各通販サイトでも予約が始まっております。よろしければぜひお手に取ってみて下さい。上下巻での構成となり、下巻の刊行予定も近いうちにお知らせできると思います。
まだまだ暑い日が続きますので皆さまお身体にはお気を付け下さい。




