国王の日常
翌朝。
予定通り5時に起きる。朝食を済ませ、温室へと向かった。
気持ちのいい秋晴れで、空気は冷たいけれど、空は雲一つない快晴だ。適度に距離のある温室までは、気持ちのいい散歩ができた。
「デル様、おはようございます。ご機嫌いかがですか?」
いつものようによくわからない仕組みで入室し、明るい調子で声を掛ける。
デル様のお側へ進み、顔を覗き込む。
私の旦那様は、今日も美しい。すうすうと健やかな息を立てていて、なにかいい夢でも見ているかのように安らかだ。昔は苦しむデル様のお顔ばかり見ていたので、こうして無邪気な寝顔を見られるのは、ある意味では悪くないとも思う。
「今日は外務大臣との会議があるんです。隣国に医薬品を輸出する関係の話し合いです。私としては、じゃんじゃん輸出して患者さんの役に立ちたいんですけど、ラファニーが税率にこだわってまして――」
デル様のお顔を見ながら、今日の予定をつらつらと話しかける。
もちろん返事はないけれど、これが私の日常だ。
「――そんなわけで、今日は定時で仕事が終わると思います。ラファニーは元々家庭第一でしたけど、子どもが生まれてからは、瞬き一つのうちに退勤していきますよ」
チャラ男だったラファニーはどこへやら。運命の女性と出会い、そして結婚した彼は、今や2児のパパになっていた。
ロシナアムも結婚したし、ラファニーもパパに。嬉しい変化がたくさんあったこの10年間。みんな着実に人生の歩みを進め、大人になっていくなか――――私の時だけが止まっている。
「不老不死っていう言葉の意味を、身を以て感じてます。私、全然老けないんですよ!? しみもしわも、全然できないですし。あ、でも、時折ニキビはできますね。お菓子の食べ過ぎで。……ふふ、ニキビは老化と関係ないですね」
沈黙するデル様に、訴えかける。
私は冥界から戻った時点で、不老不死の体になっている。
相変わらずの天然パーマに、特徴のない地味な顔立ち。童顔と言えば聞こえは良いかもしれないけれど、全く貫録の無い風貌のままなのだ。
「女性としては嬉しいですけど……笑い皺がたくさんついたお婆ちゃんになれないのが、ちょっと寂しく感じる時もあります。この10年、皆のことを見守ってきたせいか、心だけは随分歳をとった気がするんですけどね。ふふふ」
……ちょっと自虐的だっただろうか。彼の前で暗い話はしないようにと心掛けているのに。少ししゃべりすぎてしまったかもしれない。
今日も持参した保湿軟膏を取り出し、デル様のお顔に塗りこめていく。
「……デル様と過ごした日々は、どれだけ時が流れても、全然色褪せないです。昨日のように思い出せますよ、デル様が私の家で行き倒れていた日のこと。すごくびっくりしたんですよ」
彼のしなやかな指に、軟膏をのせる。
長い指をそうっとなぞりながら、軟膏を伸ばしていく。
「デル様は最初から優しくて、公平なお方でしたね。そんなお方だから、私もデル様の……この世界の役に立ちたいと思いました。今、この国は、あなたの望んでいたような方向に向かっていますよ。魔族と人間が手を取り合い、幸せな家族が暮らす国に。早くデル様にも見て欲しい……」
左手に塗り終わったので、右手の方に回りこむ。
服に曼珠沙華がかすめ、小さな音を立てる。
「……私がいない10年間、デル様もこういう気持ちだったんでしょうか」
その10年間の事は、かつてはあまり考えないようにしていた。
でも、デル様が眠りについて以来、しばしば思いを寄せることがある。彼は、毎日いったいどんな気持ちで過ごしていたのだろうと。
私と同じような心持ちだったとしたら――――。そう考えると、心臓を引き裂かれるような、切ない思いでいっぱいになるのである。
「ごめんなさい、デル様。私を再び見つけてくれて、ありがとうございます。そして、伴侶に選んでくれたことも。あなたと一緒だから、異世界での生活はすごく楽しかった――」
軟膏を塗り終えた右手を、そっとガラス台に置く。少し伸びた爪が、かつんと乾いた音を立てた。
はあ、とひとつ息を吐き、腕時計に目をやる。
「もう行く時間になっちゃいました。すみません、なんだか今日は辛気臭い話ばかりでしたね。また夜に来ますね。ラファニーから面白い話を仕入れてきますので、楽しみにしててください」
ここに居る時間は、あっという間に過ぎていく。正直に言えば、仕事なんかしないで、ずっとここにいたいと思っている。デル様の側で、一日中調合とか、虫のスケッチをして過ごしていたい。
でも今は、国王代理という立場になってしまったゆえ、そうもいかない。彼の国を守るという責任が、私にはある。
(うう~ん、名残惜しい)
過去のことを色々思い出したからか、いつにも増して離れがたい。
じいっと彼の横顔を見つめて――えいやっと頬にお別れのキスをする。ついでに、完璧に元通りになった琥珀の双頂にも唇を押し当てておいた。角にキスをするのは初めてだけれど、血が通っているかのように、ほんのり温かかった。
「じゃあまた!」
入口付近に戻り、退室したい旨を心の中で唱える。
瞬き一つの内に、護衛たちが待つ薔薇の園へと景色が変わる。
「お待たせしました。執務に行きましょう」
「かしこまりました」
見上げた空は、雲一つない快晴。護衛に挟まれながら、王城へと歩みを進める。
こうして私のいつもの一日が始まる。
――――はずだった。




