かりそめの国王(前編)
「セーナ陛下、こちらはどうしますか? オムニバランの陸橋工事の件です」
「陛下、来度の予算の確認をお願い致します」
「隣国から親書が届いております」
「ありがとう。確認しだい、宰相を通じて返却します。そこのトレイに置いておいてください」
臣下たちが持ってきた書類の山を見て、心の中でため息をつく。
彼等がドアの向こうに消えるのを目で追い、扉が閉じた瞬間、がばっと机に突っ伏す。
「あ~やだやだ! 書類仕事なんてちっとも楽しくない。実験がしたい! 研究所が恋しい!」
重厚な執務机をぽかぽかと殴る。少々力を込めたとて、セコイアデンドロンの一枚木でできたそれは、びくともしない。
両腕に顔をうずめて肩を震わせていると、侍女兼護衛がため息をつく音が聞こえた。
「いい加減慣れてくださいませ、セーナ陛下。国王業ももう10年になるんですから、最初に比べれば、ずいぶんと楽になったじゃないですか」
「楽になったらなっただけ新しい仕事が入るんだもの! 私は少しでも研究に携わりたいから時間を作ってるのに、何の意味もないじゃない!」
がばっと顔を上げて、シャッと引き出しを開けて、スケジュール帳をロシナアムに突きつける。
びっしり黒い文字で埋まっているそれをチラリと見て、彼女はそっと目を逸らした。
「……宰相殿に伝えておきますわ」
「うん、是非そうして。不死身とはいえ、ストレスは普通に溜まるんだから」
はあ、と再びため息をつき、背もたれに身を沈める。国王の椅子とあって、革張りで綿の詰まった良い椅子だ。しかし、1日座っていると気苦労ですごく疲れる。
覚悟を決めて、机の角っこにあるトレイに手を突っ込む。
がさごそと手をさ迷わせ、なるべく薄そうな書類をつまみとる。
(国王代理になって、もう10年なのね。長かったような、あっという間だったような、不思議な感覚ね……)
――――デル様は角移植術のあと、全身麻酔から目覚めなかった。
麻酔が効きすぎているわけでもなく、心臓が止まっているわけでもなかった。
固く目を閉じて、ただひたすらに、静かな呼吸を繰り返していた。
必死で原因を調べた。ドクターフラバスはもちろんのこと、国内外から秘密裏に医者を集め、治療法を探した。だけれど、どうにもならなかった。
泣いた。大声を上げて泣き叫んだ。物にも当たったし、自分を傷つけたりもした。
そのあたりのことは、正直ほとんど記憶が無い。あまりに衝撃が強すぎて、自分でも訳の分からない状態になっていたと思う。
1年くらいたっても目覚めの見通しが全く立たないことから、私が国王代理を務めることになった。
私なんかに務まる訳がない、ただの薬剤師だ。そう言って断ったのだけれど、私しかいないと中枢議会に泣きつかれてしまった。法律的には、どんな事情であれ国王が存命であれば次の国王を立てることはできないらしい。誰かが代理をすることになるそうで、だいたいは宰相が担うそうなのだけど、宰相は年齢を理由に辞退した。確かに彼はもう70近いから、体力的にきついのは分かる。
だからと言って私がやる理由になるのかしらとも思ったけれど――デル様が大切にしてきたこの国を、よく知らない他の人に任せたくない気持ちもあった。
平和で争いのない国。魔族と人間が笑顔で共存する国。彼の意思を正しく理解して、遂行しようという気概のある人が、果たしてどれだけいるのだろうかと思った時――やはり私がやるべきだなと、強い気持ちがわいてきた。
ただ、随分後になって、ふと思った。多分この時宰相は、わざと国王代理を辞退した。それはきっと、抜け殻のようになっていた私に役割を与えるためだんたんじゃないかと思う。
――私は再びグリセウス先生から指導を受けることになり、国王業に専念することにした。
研究所の役職は名誉職に退き、かわりにサルシナさんが所長になった。彼女が出世を望んでいないのは知っていたから申し訳なかったけど、長年私の助手を務めていた彼女が最も適任だった。そしてサルシナさんも、私が国王になるなら自分も頑張らなきゃねと、それを受け入れてくれた。
デル様の長期療養が国民に発表されたときは、国内が騒然となった。世継ぎもいないので、これからどうなるんだという恐慌じみた状態に陥った。
私が代理を務めること、もし国王も王妃も儚くなるようなことがあったら、法に従って次の王を選出することが発表されると、騒ぎはある程度の落ち着きを見せた。
ちなみに法に従う場合、次代の王は河童さんである。ブラストマイセスは魔王が治める国なので、魔族の習わしが適用され、魔力の多さで序列が決まるらしい。
河童さんは騎士団長として国民の信頼を得ていたし、私も医療関係の貢献でそこそこ名が知れていたから、国民もひとまず安心したようだった。
――この10年で新薬は数えきれないぐらい発売されたし、国民の平均寿命も延びた。
南方の海から石油が出たことから、石油化学工業――プラスチックとか合成繊維だって作れるようになった。海にすむ魔物たちも関連の職に就けるようになった。
タマ菌由来の抗生剤は治験を無事に通過して、国中の病院で広く使われている。
ブラストマイセスは、確実に発展している。
国の変化に国民が戸惑わないように、起こり得る問題に先回りして手を打ってきた。その成果か分からないけど、宰相曰く、国民の満足度や生活のレベルは向上しているらしい。
だけどこれは、私がより発展していた日本で生きていた経験があるからこそできたことだ。日本の仕組みを思い出して、それを真似ているだけだ。決して政治の才能があるわけではない。
これからもっと月日が流れて、この国が日本を追い越してしまったら――私は国王として正しい選択をしていけるのだろうか。それを思うと、怖くてたまらない。
「デル様……私は大丈夫でしょうか。あなたが戻るまで、この国を支えきれるでしょうか。精一杯頑張りますから、どうか、早く戻ってきてください。そして、いっぱい褒めてください……」
ぐっとペンを握る。
もう、涙は出ない。何千回、何万回と泣いたから、私の目はとうに干からびている。
残っているのは、デル様に対する寂寞の想いだけだ。
彼の夜空のような、美しい瞳。
再びその深い青を見る日まで、私は居心地の悪い椅子に座り続けるのだ。




