表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
155/177

セーナの苦悩 

 焦ってはいけないと思うのに、焦りが止まらない。冷静さこそ研究の要だと分かっているのに、自分で自分の気持ちがコントロールできないのだ。

 そしてそんな精神状態で取り組む実験は、得てして上手くいかないものである。


 ――手に滲む汗を感じながら、私はありったけの時間を実験につぎ込んでいた。

 デル様の包皮は立派な繊維芽細胞に成長した。次のステップは、この繊維芽細胞を角幹細胞へと分化させることだ。予想通りではあるが、やはりここが鬼門だった。何をどうしても、角幹細胞にならないのである。


「――セーナ、少しは休んだらどうだい? 朝からずうっと、休憩なしで作業しているじゃないか」


 後ろから聞こえるサルシナさんの声に、私は振り返ることなく答える。

 目線はしっかり、細胞の継代(けいだい)操作を行う手元を見たままだ。


「大丈夫です。倒れることがないように、しっかり体力は計算してありますから。デル様の繊維芽細胞を分化させるために試したい実験があと100通りはあるんです。休憩している時間がもったいないです」


「――そうかい。陛下を救いたい気持ちはあたしも一緒だからさ、あたしに出来ることがあったら頼ってくれるね?」


「もちろんです。サルシナさんなくしてこの実験は進められませんから、ものすごく頼りにしています。とりあえず、サルシナさんは休憩をしてきてください。戻ったらスイニーの血清処理をお願いします」


「スイニーの血清処理だね。分かった」


 遠ざかっていく足音を聞きながら、私は頭の中で次の実験の内容を考えていた。



 ◇



 6月1日

 繊維芽細胞に、1% スイニー胎児由来血清を添加

 初代細胞およびP3細胞を使用

 人間の場合、幹細胞の培養は血清が大きな役割を果たしている。デル様の細胞にも効果があることを期待。


 6月3日


 細胞に変化なし

 スイニーと魔王の種差によるものか? 魔族で協力してくれる人がいないかサルシナさんに聞いてみることにする。

 EGFやFGF(細胞成長因子試薬)があればいいのに。この世界では入手も製作も無理だ。


 6月4日


 サルシナさんとドクターフラバスが協力を申し出てくれた。

 2人から100cc採血し、血液成分を遠心分離。1%に調製した血清を繊維芽細胞に添加。P3細胞使用


 6月7日


 細胞に形態の変化あり。球状に凝集しているように見える。

 やはり種差が大きく関係しているのかもしれない。

 濃度をふって(0.5、1.5、3%)、再度魔族由来血清を添加。P3細胞使用


 6月11日


 細胞死滅

 球状に凝集したものは、ばらばらになっていた。

 何がだめだったのだろう? しかし、少し糸口がつかめた気がする。

 エロウスとステッキーも協力を申し出てくれたので、採血を行い、血清を調整した。

 ドラゴンの血液は、それぞれの鱗と同じ色をしているらしい。エロウスの青い血がとても綺麗だった。


 6月13日


 エロウスとステッキーの血清を添加。(0.5、1.5、3%)

 P3細胞使用

 魔族にもさまざまな魔物がいるから、魔王様に適合する個体がいればいいな……


 6月14日


 出勤してすぐ宰相さんから緊急の連絡があった。デル様が、セーナはどこだと探しているとのこと。研究所にいることを伝えても、信じられない様子。私に関する記憶が抜け落ち始めているのか?

 お城に帰って、今日はデル様の側にいようと思う。



 6月17日


 細胞死滅

 前回は凝集がみられたが、今回はみられなかった。

 サルシナさんの考察によると、魔力の量も関係しているのかもしれないとのこと。(サルシナさんとドクターフラバスは魔力の多いAランクの魔物。エロウスとステッキーはCランクとのこと)

 デル様に次いで魔力の多い河童さんに協力を依頼。魔力量が細胞への親和性に関係しているのであれば、期待できそうだ。


 6月20日


 河童さんに採血をおこなった。

 血清分離し、6/13と同様の条件にて細胞培養を開始。


 6月25日


 河童さんの血清を添加した細胞は、エロウスとステッキーの時よりも大きな凝集塊が確認できた。

 魔力量が影響している可能性が高くなった。でも河童さん以上に魔力の高い魔物はいない。どうする?

 発注していた特殊プレートが納品。プレート底面に接着因子をコーティングしたもので、細胞の足場となる役割があるもの。さっそくそれを使って再度河童さんの血清で細胞培養開始。


 7月1日


 6/20に培養開始したものは、成長が止まったようだ。(細胞塊は小指の爪ほどの大きさ)

 6/25に培養開始したものは、細胞凝集が起こらなかった。接着因子のコーティングはしない方がいいということが分かった。

 次の手はどうする? 


 7月2日


 次の一手が思いつかない。

 調べ物で1日が終わってしまった。


 7月3日


 朝から気分が悪く、昼食を戻してしまった。

 サルシナさんの強い勧めにより、早退することにした。昨日食べたものが悪かったんだろうか?

 体調を崩している場合じゃないのに。デル様のために、私は頑張らなきゃいけない。


 7月7日


 体調不良が長引いてしまい、久しぶりの実験。

 細胞の継代をおこなった。

 次の実験についてサルシナさんと話し合ったが、方針決まらず。

 何もアイデアが浮かばない。欲しい試薬が作れない。技術が足りなすぎる。

 ちょっと、疲れているのかもしれない。


 7月10日


 今日もだめだった

 疲れた


 7月13日


 実験器具を前にしても、心が躍らない。

 私はどうしちゃんたんだろう。ぼうっとしている時間はないのに、手が動かない。


 7月15日


 私の力では無理なのかもしれない……

 いや、無理じゃない。私が弱気になってどうする? 辛いのはデル様だ


 7月16日


 培地の組成をいじって培養してみることにした。

 高性能フィルタ(アラクネ商会:Lot 5292)を使ってタンパク質を精製。濃度をふって培地に添加した。(0.05、0.1、1%)


 7月21日


 タンパク質添加培地は、全然だめだった。なんの変化もなし。

 どうする? どうする?


 7月22日


 午前中、ひどい吐き気。しばらく横になったけど回復しないので早退。


 7月23日


 宰相から緊急連絡。デル様が吐血したとのこと。

 もう実験は諦めてずっとお傍に居た方がいいのか? あとどれぐらい時間は残っているんだろうか。つらい


 7月25日

 

 気持ちが落ち込んでいる。実験のアイデアもない。

 だめだ、疲れた。悪い考えばかり浮かぶ


 7月28日


 ああああああああああ

 だいじょうぶ、だいじょうぶ


 7月29日


 (判読不能)


 7月31日


 (同)


 8月3日


 ―


(実験メモはここで途絶えている)


☆細胞の継代とは

細胞を、新しい培養液に植え継ぐ操作のこと。培地は時間が経過すると劣化するため、フレッシュな培地に移すことにより、細胞はさらに増殖することができる。ただし、植え継ぐことができる回数には上限があり(例外あり)、継代を重ねすぎた細胞は性質が変わってしまうことがある。

本文中に出てくるP3とは、3回継代(passage)したの意味。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本作が大幅改稿のうえ書籍化します! 2022/9/22 メディアワークス文庫から発売予定


html>
― 新着の感想 ―
[一言] セーナが追い詰められてしまってる。。。 がんばえ、がんばえ、汗 実験メモ的な感じで実験の内容が分かりやすかったです!
[一言] セーナちゃんの苦悩が狂気に変わりつつあるような描写がとても怖く、そして悲しかったです。 こういう日記形式の話もいいなと、別の作品を読んでいて思ったのですが……この落差よ(´;ω;`)ウゥゥ…
[良い点] あぅ……(´;ω;`)ウゥゥ やだよ……いやだよ…… 誰か助けてよ……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ