マッドサイエンティストの名に懸けて
ゴンザレスさんの一件から数日後の夜。私はいつものように、デル様とその日にあったことを話し合っていた。
「――そんなわけで、ゴンザレスさんには加味帰脾湯へと処方をまとめることにしました。よくよく問診をしてみたところ、ゴンザレスさんは神経の細さが諸症状の原因になっているように思えたんです。今回の件で、症状に対して薬を出すのではなく、その人の体質に対して薬を選定するという、漢方の根本の考え方の普及が不十分だということが分かりました」
「……ふむ、続けてくれ」
「対策としてさっそく今日、漢方治療の考え方を今一度復習し、処方は最低限の薬に留めるようにと、国内の医療関係者に通達を出しました。それと、『お薬手帳』の導入も開発部に指示しました。国民一人一人に『お薬手帳』を発行し、病院にかかる時は持参してもらうようにします。薬の処方履歴を『お薬手帳』に書きしるしてもらうことで、飲み合わせを管理できるようになります。これは元居た世界にあったものなんですけど、ゴンザレスさんが薬のことをメモしていると聞いて思い出したんです!」
湯あみと夕食を終えた、まったりとしたこの時間が好きだ。デル様の術後の経過は良好で、局部の違和感などもかなり薄くなってきているらしい。
私は彼のベッドに潜り込み、ぴったりとくっつきながら報告をしている。すっかり細くなってしまい、私の両手で抱きしめきれるようになってしまったデル様だけど、彼の匂いをすんすん嗅いだり寄り添っているだけで日々の疲れが吹き飛ぶのである。
引っ付く私の髪の毛を優しい手つきで撫でながら、デル様が返事をする。
「なるほど、そういうことであったか。ご苦労であったな、セーナ。ゴンザレスは見た目に反して気の小さい男だからな、すぐ気に病んでしまう性格なのは間違いない。何かと気苦労も多そうな男だ。それで、『お薬手帳』――だったか? なかなか良い考えではないか。この国の医療は、そなたの功績でどんどんと進歩しているからな。国民自身が自分の健康状態を把握し、そして共有するために、大きな助けとなるだろう」
「ありがとうございます! 手帳のデザインは色々考えているんですよ。黒ぶちスイニー柄とか、マウス柄とか、数量限定のタマ菌柄とか! あ、私の部屋に下書きがあるんですけれど、見ますか? え、遠慮する? そうですか、ではまた今度。それでですね! 普及を促進させるために、初回限定盤の手帳にはなんとなんと医療研究所付属工場の見学券がついてきます! これはまさに一石二鳥! 未来ある若者に、薬学の素晴らしさを知ってもらうチャンスです。やっぱり自分実際に体験したことってインパクトが大きいんですよ。化学工場を見てもらえれば、そのうちの何割かは将来我が研究所に入ってくれるのではないかと期待しています! ……あ、すみません。調子にのって一気にしゃべりすぎました……」
仕事のこととなると、自分でもびっくりするくらい口が動く。早口でまくし立てて、言い終わってから少し恥ずかしくなるのは最早いつものことだ。
く、とデル様が笑い声を噛み殺す。
「セーナは商売上手だな。好きなことに夢中になっているそなたは、実に生き生きとしている。ただ好きなことをしているように見えて、その実国のことを考えてくれているのだから、国王としては嬉しい限りだ。なんなら私より国王に向いているのではないか?」
ニヤニヤしながらこちらに流し目を送るデル様。
「ええっ、やめてくださいよ! そりゃあもちろん、デル様の公務をお手伝いするということでしたら喜んでやりますけど、私が国王っていうのは可笑しいでしょう!」
冗談でもやめてほしい。私はデル様の隣で研究に勤しむ毎日が理想なのだ。政治のことなんて王妃教育でちょっぴり習っただけだし、そもそも私が国王をするシチュエーションなんて普通に考えてあり得ない状況だ。
「あながち冗談ではないかもしれないぞ? 国王というのは誰でもなれるわけではないからな……。民を守る強大な力を持ち、そして国を護る広い考え方が必要だ。私と種類は違えどセーナには強さがあるし、広い視野がある。…………こらセーナ、やめないか! 腹をつねるでない! すまない、少し戯れが過ぎたようだ!」
デル様がことのほか真剣なトーンで冗談を言うので、腹をつねりあげてやった。
彼は身をよじってつねりから逃れ、参った参ったと苦笑いしながら謝ってきた。
「もう! 私は平穏に研究をして過ごす毎日が理想なんですから、国王はデル様が頑張ってくださいねっ! ――それで、今日デル様はどのように過ごしてらっしゃったんですか?」
「す、すまなかった。――私か? 私はだな、まあ特段いつもと変わりはなかったな。税率軽減の提案書を議会に投げたり、陸橋建設の予算について宰相と話し合ったり。そんなことをした後は、少し横になっていた。魔力の制御に力を割いているせいか、やはり消耗が激しいように感じる」
「税の軽減、実現しそうなんですね! デル様がずっとやりたいと言っていたことが、いよいよ現実になりそうで嬉しいです」
とびきり嬉しい気持ちになって、ぎゅっとデル様に抱きつく。
国民第一のデル様は、彼等の生活に直結する税について、常々軽くしてやりたいと言っていた。しかしながら、旧王国時代の不正会計の尻拭いや、国全体の土地整備だったり、疫病に対する対策などに予算を使っていたので、即位して100余年の今まで実現できてこなかったのだ。
疫病も落ち着き、農作物の収穫量増加や、諸外国との取引増加によって、国庫に余裕ができたということなのだろう。
「ありがとう。そなたのお蔭でもあるぞ、セーナ。そなたの開発した肥料によって、農作物の取れ高が倍増したのだから。それに、研究所が開発した医薬品を欲しがる国も多い。そのあたり、外務大臣ラファニーが嬉々として売りさばいているぞ。私はただ舵取りをしているだけに過ぎない」
「そ、そんな、恐れ多いです。私はただ好きなことをしていて、その副産物が肥料や薬なだけですから……! 私もラファニーも、デル様が見出してくれたおかげで伸び伸びと働けているんです。だからやっぱり、これはデル様の功績ですよ!」
「……それはどうだろうか。まあ、ただ一つ間違いないのは、そなたは正に我が国の黒き女神だということだ」
穏やかな深蒼の瞳で、じっと私を見つめるデル様。結婚してもうしばらく経つけれど、その瞳でじっと見られると、身体がかあっと熱くなってしまう。
なにしろ今は彼のベッドで添い寝しているような状態だ。いろいろ気恥ずかしくて、話をそらそうとして口を開く。
しかし、先に言葉を発したのはデル様だった。
「――――そうだ、セーナ。そういえばゴンザレスはどうなった? 先日、甘草というものの過剰摂取によって体調を崩したと聞いていたが。新しい薬はもう決まったのだろうか?」
「えっ、デル様!? さっきお話したじゃないですか、加味帰脾湯になりましたよって。それで、お薬手帳も普及させることにしたっていうくだり。ふふふ、さては適当に聞いてましたね?」
デル様が適当に私の話を聞くことなんて、出会ってから一度もなかった。
彼はどんな時も誠実で、自分のことより相手のことを大切にするひとだから。
そう、私は知っている。彼の本当の姿を。
たくさんの年月を一緒に過ごして、たくさんの温かい気持ちを受け取ってきた。研究と実験だけの人生を送ってきた私に、心から安心して過ごせる居場所となってくれたデル様。
だから、私は彼がどんな状態になったって、支え続けたい。
そう何度も自分に言い聞かせて、ここまでやってきた。だけれども、この瞬間はいつになっても慣れる気がしない。
ふう、と小さく深呼吸をする。
――ゆっくりと体を起こして、隣に横になるデル様のお顔を見下ろす。
「デル様……ご病気が、進んでいるようですね。覚えていらっしゃるか分かりませんが、デル様はこの頃、記憶が曖昧になることがあるようです。具体的には、直近に見聞きしたことを忘れてしまったり、記憶が前後するといったことが見受けられます。忘れてしまったことは、思い出すこともあれば、忘れたままということもあるようです。――――信じて頂けますか?」
彼の顔を見ながら、ゆっくりと話しかける。
はっと綺麗な深蒼の瞳が見開かれ、そして、大きな手で顔全体が覆われた。
「……そうか……そうだったのか。私はまた…………。もちろん、そなたの言うことは全て信じている。私の唯一だからな、疑うことなどあり得ない……。すまないな、セーナ……私はずっと苦労をかけてばかりだ……そなたを幸せにしてやると、そう誓ったのにだ……」
途切れ途切れに言葉を紡ぎだすデル様。
そのお声は、掠れたような、震えているような、思わず胸が締め付けられるような音だった。
分かっている。一番辛いのはデル様なのだから、私が悲しい顔をしてはいけない。
デル様の体調は、もう一刻の猶予も許されないところまで来ている。口には出さないけれど、それはお互いに強く感じていた。
自らの顔を覆ったデル様の、綺麗な指の間から。つうと一筋、透明なものが流れ落ちる。
それは枕の白いリネンにはらりと落ちて、小さな染みを作った。
ぎゅっと眉毛に力を入れて、こみ上げる熱いものを全力で押さえつける。
声が震えないように喉に力を入れて、デル様の手に自分の手を重ねる。
「大丈夫です。私が――私が必ず、デル様をお助けしますから。もし、もし万が一デル様が私のことを忘れるようなことがあっても、絶対にお側を離れたりしません。マッドサイエンティストの名に懸けて思い出させてみせますから。だから、デル様は何も恐れなくていいんです。私を信じて、一日一日を大切に過ごしてください。夜寝る前に、今日は素敵な一日だったなと、そう思えるような日々を過ごしてください。それでいいんです……」
そう言い終えて、誰に向けるでもなく、私は精一杯の笑顔を作った。




