侍女ライ
手元が明るくなってきたことに気づき、顔を上げる。
窓の外はぼんやりと明るくて、すでに夜は終わっていることを示していた。遠くから騎士団の掛け声が聞こえてくるあたり、朝訓練が始まる7時は過ぎているようだ。
壁掛け時計に視線を移すと、7時13分を指していた。
――どうやら徹夜で資料を読んでしまっていたらしい。
(夜はなんて短いのかしら? 1日24時間じゃ足りないわ。……今日は休みだから、このまま起きて活動してもいいのだけれど――)
読書で新しい知識を補充したためか、疲れは感じない。むしろ心躍るようなある種の高揚感さえ感じていて、頭には今後の実験についてのアイデアがいくつも浮かんでいる。
考えたアイデアを、手を動かして検証したい。いつもだったらこういう時は研究所に行くのだけど――。
目を閉じて、一呼吸おく。
浮きかけていたお尻を、再び椅子にくっつける。
(――また倒れるわけにはいかないわ。とにかく仮眠はしなきゃね。健康あっての研究活動よ、我慢我慢……)
今から十分に寝て、起きた時間次第で研究所に行くかどうかまた考えることにする。
公休のロシナアムの代わりに出勤したライに事情を説明し、とりあえず今から寝ることを告げた。
◇
起きたら14時過ぎだった。
目をこすりながら身支度を整える。ロシナアムがいないので、一人で着られる前閉じのワンピースをチョイスする。可愛らしい髪型に整える技術は無いので、櫛で適当にくせ毛を撫でつけて終了だ。今日は誰かに会う予定もないから、こんな恰好でもぎりぎりセーフだと思う。……多分。
寝室から私室の方へと移動すると、ライがテーブルクロスをひいているところだった。
「おはよう、姫様。がさごそ音が聞こえて起きたみたいだったから、適当に飯を発注しといた。……こんな感じでよかったか?」
お寝坊した私を気遣ってか、フルーツの盛り合わせや野菜スープなど、軽めの優しいメニューがワゴンいっぱいに運び込まれている。香りたつ紅茶の匂いは、いつも私が朝一番に飲んでいる銘柄だ。ロシナアムからもろもろ引き継いでくれているみたいだ。
「うん、ありがとう。十分だわ」
ライの気遣いに感謝しながら、引かれた椅子に腰をおろす。
さっそく紅茶に口をつけ、ほうと息をつく。
「――そういえばライ、この間高血圧の薬を届けたんだけど、ちゃんと飲んでる?」
配膳を終えて壁際に控えているライに話しかける。
窓から差し込む陽の光がライの銀髪に反射して、すごく綺麗だ。
「いや……俺、高血圧じゃないし」
「ええ? ちゃんと病院で診てもらったの? 赤ら顔に鼻血って、典型的な高血圧の症状よ?」
ちう、とブドウみたいな果実に吸い付きつつ、尋ねる。
この果実は汁だくでとても美味しい。お気に入りフルーツナンバーワンだ。確か名前はプチプチの実とか言った気がする。
「いや、本当に大丈夫だから。あの日はちょっと……体調がどうかしてた。作ってくれたのに悪いけど、薬は飲んでないよ」
渋い顔をして答えるライ。
「そうなの? また異変があったらちゃんと病院に行くんだよ? 高血圧は脳出血の原因にもなるから怖いの。ライに何かあったら悲しいもん」
「……俺に何かあったら、姫様は悲しいのか」
「そりゃあもちろんよ。だってライは弟みたいなものだもの! それに、減給10年だっけ……? ライは体調が悪そうだったから、あの時は混乱してたんだと思うってデル様にお願いしたんだけど。やっぱり、私が気にしてなくても無罪っていうわけにはいかなかったみたいで。ごめんね、お給料減っちゃって。その代わりと言っては何だけど、研究所勤務の日はお昼ご飯おごってあげるからね!あっ、もちろん税金じゃなくて私のポケットマネー使うから安心して!」
むしゃむしゃとフルーツを頬張り、スイニー乳で流し込む。
減給10年となったら普通転職を考えるだろうに、ライは騎士団副長の職を続けるという。王妃の私が手を差し伸べられる範囲には限界があるけど、出来る限りライが不自由しないようにしたい。
はああ、とライが深いため息をついたので、フルーツをもぎる手を止めて彼の方を見る。
「どうかした? あっ、やっぱり体調悪いの?」
「いや……やっぱり姫様は一筋縄じゃ行かないなあってね……」
「ん? どういうこと?」
さっぱり意味が分からないので聞き返すも、もういいといった感じで手を振られてしまった。ライがすんとした表情で護衛の雰囲気に戻ってしまったので、会話は強制終了した。
(……? まあ、いっか)
大事なことなら濁したりしないだろうし、特に重要な話ではなかったんだろう。
野菜スープに手を伸ばし、ブイヨンの旨味を堪能する。
「あ~、そういえば薬で思い出したんだけどさ!」
「んんっ、何!?」
急にライが大きな声を出すから、むせてしまった。
「騎士団にさ、なんか具合悪そうなおっちゃんがいるんだよ。本人は大丈夫だって言ってるんだけど、傍から見ると、やっぱおかしいんだよな」
「ど、どういうこと?」
スープのボウルを机に置き、口の周りについてしまったスープをテーブルナプキンでふき取る。
ライの方を見ると、顎に手を当てて何かを思い出しているようだった。
「おっちゃんの筋肉がさ、痙攣っていうの? なんかぴくぴくしてるんだよな。あと、むくみもすごい。つい1か月前までは筋肉ダルマみたいだったのにさ、気味悪い太り方しちゃっててよ。病院に相談はしてるみたいなんだけど、一向に良くなってないからみんな心配してるんだ」
「なんの病気か分からないってことなのかしら。それとも薬が効いていないとか……」
「そこまでは分かんないけど。持病が多いおっちゃんだからさ、よく薬は飲んでるけど、何の病気かまでは話さないからさ」
(筋痙攣にむくみ……持病が多い……よく薬を飲んでる……)
ライの言ったことを、頭の中で反芻する。
――私には、一つ思い当たることがあった。
「あー、ごめん。だから何だって話だよな。忘れてくれ」
「いいえ、ライ、その人に会えるかしら? 私、原因に心当たりがあるの」
「え? お、おう。姫様の命令とあればいつでも会えるけど……一体どういうことだ?」
「会って問診してみないことには確実なことが言えないわ。じゃあ、今から1時間後に会えるように、手配をお願い」
「わ、わかった」
ライが魔術具で河童さんに念話を飛ばす。
件のおっさん騎士は本日非番で寮にいるらしいので、1時間後に面会できることになった。
「おっさん、1時間後で大丈夫だって」
魔術具をポケットにしまいながら、ライが私に言った。
「ありがとう! こ、この格好で大丈夫かしら? 研究所がある日は実験に支障があるから着飾ったりしなくていいのだけど、人と会うとなるとある程度王妃っぽくないとだめかしら。ごめん、ライに聞いても分からないかもしれないけれど……」
王妃たるもの、時と場合によってドレスコードがあるんですのよとロシナアムが言っていた気がする。髪型から着る物、装飾品に至るまで、いろいろ細かくあるらしい。むろん私はそのようなことに関心がないので、全て侍女さんたちにお任せしていた。
騎士であるライも、そのあたりは業務範疇外だろう。この際誰でもいいので女性の侍女に来てもらおうとベルに手を伸ばすと、ライがそれを軽く制止した。
おやと思ってライの方を見ると、彼は真剣な目で私の恰好を眺めていた。
「……面会相手はただの騎士だから、そこまで着飾る必要はないな。そのワンピースは十分上質だからそのままでいい。髪型と、装飾品で整えれば充分だろうな」
「ええっ、ライ、分かるの!?」
まさかの返答がかえってきたので、驚きを隠せなかった。
「……団長が言ってただろ。俺らは使用人とか執事に扮して潜入捜査することもあるから、一通りのマナーは頭に入ってるぜ。それに、まあ、時に女性を相手にすることもあるから、装飾品の良し悪しなんかも基本的なことは叩き込まれてる」
「す、すごいわね……!! 強いだけじゃなくて、そういう能力も騎士には必要なのね。で、ライは女性を相手に任務することも結構あるわけね?」
悪者の女性を口説いて情報を得るとか、使用人として近づくとか、そういう任務なんだろうと想像する。外ではもっぱら無愛想だというライが、女性相手にニコニコしている姿を思い浮かべて、ついニヤニヤしてしまう。
「な、何ニヤついてんだよ? い、言っておくけどな、仕事だからしょうがなくやってんだぞ!」
「はいはい、分かってますよ。嘘でもそういう態度が取れるんであれば安心だなと思っただけだから!」
心の底から無愛想なんではなく、演技でも笑顔ができるんであれば、お嫁さん探しは楽になる。だってやっぱり、いくら顔が良くても四六時中無愛想だったらご令嬢が可哀想だもの。人見知りがそこまで重症じゃなくて安心した。
「本当に分かってんのかよ……。まあ、そういうことだから、時間も無いしさっさと支度するぞ。俺が髪を結ってやるから、とりあえずそこ座れ」
「ライがやってくれるの? 器用なのねえ。ありがとう!」
「任務でわがままなお嬢ちゃんのところに執事として潜入してたことがあってさ。なんでか俺は気に入られたみたいで、毎朝あーでもこーでもないって色んな髪型を結わされてたんだ。あれは結構鍛えられたな」
苦笑いするライが示した鏡台前の椅子に移動して、すとんと腰を下ろす。
背が高いライは鏡に胸の所までしか映らないため、屈みながら長い指を私の髪に通した。
――そして、あっという間に綺麗に編み上げられたハーフアップが完成したのだった。




