異世界抗生剤、聴牌
「抗生剤ができた……!?」
思ってもみなかった報告に、次の言葉が出てこない。
確か今は液クロの途中で……抗菌活性の確認が残っていたはずだけど。
「そうさ、できたよ! 活性成分の単離ができたのさ! それにね、なんと、フラバスのところで抗菌活性も確認済みだよ!」
「……えっ??」
満面の笑みを浮かべたサルシナさんが、腕を組んでふふんと鼻を鳴らす。
彼女の言ったことがにわかには信じられなくてぽかんとしていると、ニヤニヤ笑いながら説明してくれた。
抗菌活性の確認というのは、どの菌にどれだけの量で効果があるのかというのを調べる実験だ。薬の用法用量を決めるうえで、とても大切な試験である。
なんと、倒れていた私にいい報告がしたかったために、ドクターフラバスと一緒に先に進めてくれていたらしい。
「あんた、ずいぶん忙しかっただろう? あたしに出来ることと言ったら研究の手伝いだからさ……。進めておくのが一番喜ぶかと思ってね」
「さ、サルシナさぁん……っ!!」
良い人すぎないか、サルシナさん。普段は実験なんてさほど興味ないっていう顔をしているのに、自発的にぐいぐい実験を進めておいてくれただなんて――!!
その感動と、異世界抗生剤ができた喜びが、じわじわと胸に広がっていく。
胸から喉へ、喉から鼻と目へ、熱いものが込み上げてくる。
「うっ……うわあああん!!」
たまらず私は雄叫びをあげて、ばふっとサルシナさんに突撃した。
ふくよかな身体が私を力強く抱きしめ、「長かったね、大変だったね」なんて言ってくれた。その声は珍しくか細くて、サルシナさんも感動してくれているのだと分かったら、余計に涙が止まらなくなった。
この世界に来て、私が一番やりたかったこと。それは、未知なるこの世界のものを使って、薬を創ることだった。
トロピカリに来たその日からの願いが、およそ12年越しに実現したのだ。
土を拾ってきて、培養。更に分離培養。作った倍地は何千枚になるだろうか。大量培養では汗をかきながら菌体を抽出し、根気よくカラムをかけ続け――――
楽しくも辛かった実験の日々が、走馬灯のように脳裏に浮かぶ。
長かった。とってもとっても、長かった。
「サルシナさんのおかげです。私は実験が好きすぎて……時に周りが見えなくなって、不快な思いもさせてしまったと思います。でもサルシナさんは……サルシナさんは、文句一つ言わずに着いてきてくれました。私が居ないときも、丁寧に実験を進めてくれました。あなたが居なかったらこの研究は成り立たなかったです。私、パートナーがサルシナさんで、とても幸運でした」
「……いやだよ、照れるじゃないか。まあ、確かに大変な時も多かったけど、楽しかったよ。なんだかさ、実験って戦いみたいだね。自分を律して、知識を武器に立ち向かうっていうかさ。あんたと一緒に戦うのは、悪くなかった。それにさ、この国の土が薬になるなんてすごいことだよ。それに関われて光栄だとも思うね」
ぽんぽんと背中を叩く手がすごく愛おしくて、私は彼女の胸にほおずりをする。
「なんだい、子犬みたいなことして。まったく、セーナは実験抜きだと可愛いんだけどねえ……。……ま、今日はこの報告に来たのさ。いい報告なら、体調もよくなるかと思ってさ。一応実験結果も持ってきてはいるけど、後日にした方がいいのかな?」
「いえ、今見ます! スクリーニングの段階では緑膿菌と白粕菌しか活性を確認できてないですからね。それ以外にどんな結果が出ているのか、すごーく気になります!!」
「だよね。……あんたに仕事をさせるなって陛下からきつく言われてるから、これは秘密だよ?」
サルシナさんは足元に置いた手提げ袋から、ごそごそとノートを取り出した。
彼女が陛下の言いつけを守らないなんて、とても珍しい。仕方ないなぁ、という素振りだけれど、ふんふんと鼻歌を歌っているあたり、見せたくてたまらないのかもしれない。彼女は犬の魔物らしいのだけど、なるほど、ぶんぶん振り切れた尻尾の幻影が見える。
「あんたがトロピカリの件で離れた後の記録は……ここからだね。で、こっちに軽く結果をまとめて書いてみた」
サルシナさんのつくねみたいな指が指し示すところに、目を走らせる。
『活性試料―①
試料番号14
土壌採取地――トロピカリ
タマ菌(仮)から分離、最終収量 21.5mg
抗菌活性試験:
黄色タマ菌 ◎
肺炎タマ菌 ◎
下し腸詰菌 △
緑膿菌 ○
フィラメンタス ×
アスペルギルス・フラバス ×
白粕菌 ×』
『活性試料―②
試料番号34
土壌採取地――王城中庭
サラ菌(仮)から分離、最終収量50.7mg
抗菌活性試験:
黄色タマ菌 ×
肺炎タマ菌 ×
下し腸詰菌 ×
緑膿菌 △
フィラメンタス △
アスペルギルス・フラバス ○
白粕菌 ◎』
「――――これだけのデータを、よく揃えられましたね」
思わず口を突いて出たのは、感嘆の言葉だった。
私が戦線離脱していた間、みちみちに実験しないと得られない量と質のデータである。サルシナさんとドクターフラバスも、かなり忙しかったんじゃないかと思う。
ちなみにこの活性確認に使用した菌群は、わたしが不在の10年間でブラストマイセスの医療者たちが見出したものだ。疫病によって菌という概念がもたらされてから、国内の菌研究はぐんぐんと発展している。名前の付け方も、この世界のみんなが頑張って考えたんだろうなという感じで、なんだか可愛い。
――それにしても、違う名前だったところををわざわざタマ菌にしなくてもいいのに。王妃に対する不要な忖度である。
「ふん、だてにあんたの助手をしてないよ! フラバスも、あんたのためならって都合つけてくれたさ」
クマを一層濃くした顔で親指を立てるドクターフラバスの顔が思い浮かび、思わず苦笑いする。そろそろ彼の目の下に、ブラックホールができるんじゃないだろうか。
ともあれ、二人のお蔭もあって2つの抗生剤が見出された。このデータを見るに、タマ菌は抗細菌薬として、また、サラ菌は抗真菌薬としての役割を持っているようだ。偶然とはいえ、役割が重複しなかったのはありがたい。
さあ、生産販売する前に最後の確認をしなければならない。
「じゃあ、優秀な助手サルシナさんに最後のお手伝いをお願いします。この2つを販売する前に、治験というものをしなければいけません」
「えっ?」
虚を突かれたような表情をするサルシナさん。
絶対これで終わりだと思っていたに違いない。だからこんなにも開放的になっているのだろう。
しかし、甘いよサルシナさん。薬は見つけてハイ終わりじゃない。そこからが本番だと言って過言ではないのである。




