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ブルーノさん

「どうもどうも、遠路はるばる申し訳ないです! あっしが組合長のブルーノです」


 組合長室に入ると、さっそく挨拶を受けた。


 ロイ王子が断罪された後、農業組合長を引き継いだのが彼ブルーノらしい。

 よく焼けた褐色の肌と髪に、くりっとした金色の目。小柄な体格も相まって、茶トラ猫のような印象の男性だ。


「さっきまで作業してたもんで、こんなカッコですいません。今お茶が来ますからね、おくつろぎになってください」


 頭を下げる彼は、ツギハギのシャツに吊りズボン。作業靴には土がこびりついている。王妃を迎えるにしては、相当場違いな格好には違いなかった。


「あー、構いませんよ。トロピカリがもたらす農作物によって、我が国の食料庫は支えられているのですから。お仕事に励まれていることが分かって、むしろ嬉しいです」


「王妃様はうわさ通り優しいお方だねえ!」


「……セーナ殿下は心が広いから咎めないけれど、普通は不敬罪にあたるから注意したまえよ?」


 ドクターフラバスが目を細めながらくぎを刺す。ちょっと珍しい光景である。


「も、申し訳ないです! あっしは平学校しか出てなくて、ずっと農業しかやってこなかったもんで……。王妃様が偉いってことは分かるんだけども、学が無いんで、ご不快なことを言っちまったらすいません……」


 ブルーノさんは左手を頭の後ろに手をやりつつ、応接机に散らばった書類をザザッと床に落とした。既に床に広がっている書類の一部となり、見分けがつかなくなった。


「汚い所で申し訳ないです。どうぞお座りください」


 恐縮そうに、応接ソファを指し示すブルーノさん。


(汚い場所、ねえ……)


 床には書類が散らばり、執務机の上も、帳面を開くスペースがないほどに色々積み上がっている。

 部屋はなんとなく埃っぽくて、今日私たちが来ることは事前に知らされていただろうに、全く掃除をした様子がなかった。


 ただ、唯一とびきり綺麗な場所があった。執務机の斜め向かいにある、ガラス製の棚だ。

 中には小型動物の骨格標本だとか、剥製がきれいに陳列されていた。

 

 興味のあることとないことが一目で分かる部屋だ。

 無言でドクターフラバスの方を見ると、苦笑いしていた。


 私とドクターフラバスが横並びで座り、対面にブルーノさんが着席する。ロシナアムはドアの横に控えた。


「で、早速本題なんですが――――」


 ブルーノさんが口を開いた。



 ◇



「――――では、家畜が原因不明の病気で次々倒れていると」


「そうなんです。あっしの牧場だけじゃなくて、どの農場も大なり小なりやられてる状況で。あっしも長いこと農業してますけど、こんな病気初めてでさ。診療所のお医者さんに診てもらったんだけれども、分からないって言われちまって。王妃様の肥料ができてから豊作なんで、今すぐ食糧難になるってことはないにしても、気味が悪くてね」


「事情は分かりました。トロピカリのお医者さんでも原因が分からなかったので、ドクターフラバスと私に様子を見てほしい、ということなんですね」


「そうでさぁ」


 何度も頷くブルーノさん。


 この国に獣医という職業は無い。医師と薬師が人間、魔族、家畜全て診察している。

 トロピカリの診療所といえば、ひょろり医師、もといギルバートさんが居る。王都の病院で研鑽を積んだ彼がお手上げとは、よくある病気ではないのだろう。


「ふむ、家畜の流行病ねぇ……。君たち現場の者や、ギルバート医師も分からないとなると、一般的な家畜病ってことじゃなさそうだねえ」


 ドクターフラバスも同じことを考えているようだ。


 ブラストマイセスの食料庫とも呼ばれるトロピカリ。7割の国産農作物は、トロピカリ産とだいう。

 その収穫量が減るとなると、この国全体のピンチに発展する。


(なるほど。だから3日間もスケジュールを押さえた上、ドクターフラバスも一緒なのね)


 事情は理解したけど、私は薬師であり獣医ではない。役に立てることがあるのか少々不安だ。大学の授業で少しだけ、動物に対する薬物治療を習っただけなのだ。


 経験豊富なドクターフラバス一人で対処できる案件のような気もするけど、とりあえず様子を見に行った方がいいだろうか。


「事情は分かりました。さっそく診察に向かいましょう」


「ありがとうございます! 案内します!」


 ぞろぞろと部屋を後にして、ブルーノさんの農場へ向かった。



 ◇



「ここでさあ」


「すごい! 広いですね!!」


 丘陵地にあるブルーノさんの牧場は広大で、見渡す限り緑が広がっている。その中に、畜舎と思しき建物が点々と並んでいる。牧草の青っぽい香りが、自然と気分をリラックスさせた。


 ブルーノさんを先頭にして、さくさくと牧草を踏みしめながら畜舎へ歩を進める。

 牧場の中に入るのは初めての経験なので、何もかもが珍しい。


 放牧されている牛には角が4本ある。トロピカリに住んでいた時代によく見かけたこいつは、スイニーという種類。乳はすごく美味しいのだけど、肉はすごく不味い動物だ。

 不思議なことに、乳を出すのは雄のスイニーだけだそう。雌のスイニーは、子を産んだら子育てを夫に任せ、ひたすら怠惰な生活を送るという。


 向こうにいる羊のようなモコモコには、羽が生えている。確か、翼羊というやつだ。温かい衣類は、たいてい翼羊の毛で織られている。図書館で読んだ本によれば、とてもプライドの高い動物だとのこと。うっかりモフモフしようものなら、臭い唾を吐きかけられるらしい。

 ちなみに、翼はあるけれど飛べない。ペンギンと同じ仕組みなのだろうか。


 家畜たちは我々に気づくも、近寄っては来ない。遠巻きにこちらの様子を窺っている。

 唯一、雌らしきスイニーだけは、近くを通っても微動だにせず寝転がっていた。


 

 畜舎が近づくにつれて、異臭が鼻を掠める。

 みずみずしい牧草の香りよりも、100倍以上強烈なそれ。


「なんの匂いですの、これ!?」


 顔をしかめて鼻をつまむロシナアム。


(……アンモニアくさいというか……腐臭なのかしら……?)


「すいやせん、死んだ家畜の処理が追いつかなくて。畜舎の裏手にちょっと、ね」


 眉を下げて謝罪するブルーノさん。

 彼は、とある畜舎の前で歩みを止めた。


 日に焼けた手が畜舎の扉にかかり、そして開かれる。


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