葛藤
「セーナ様、大丈夫ですか? 温かいお茶をご用意しますわね」
王城までの帰り道、一言も口を利かなかった私を心配してくれるロシナアム。
セイレーンさんに言われたことが、頭の中をぐるぐると巡っていた。
「……ありがとう」
はあ、とため息をついて暖炉前のソファに腰かける。
部屋はすでに暖められていたけれど、暖炉はいっそう身に沁みる。凍りついた手足が、じんわり溶けていくような感覚だ。
「――セイレーン様が言ったことは気にしない方がいいですわ。いくら体調が悪いとはいえ、あれはあまりに失礼でしてよ。不敬罪で捕縛してもいいぐらいでしたわ」
カチャカチャと茶器の準備をしつつ、ロシナアムが遠慮がちな声で話しかける。
「……うん。分かってる、分かってるんだけどね」
暖炉の炎が、じわりと滲む。
患者に対してキレてはいけない、感情的になってはいけない、悪いのは病気だからと、何度も自分に言い聞かせた。言われ放題に反論したくなるのを必死に我慢していたけれど、ちょっと限界だった。
ひとつ瞬きすると、熱い滴が目からはじき出された。
「……どうしてあんなこと言われなきゃいけないの? わ、わたしは治しに行ってるのに。なんであんなにバカにされなきゃいけないのって――」
最初の涙が溢れてしまうと、あとはもうとめどがなかった。
デル様にふさわしくないとか、もっと妖艶な人が似合うとか――。セイレーンさんの発した言葉は、私のしてきた努力を否定するようなものだった。
「セーナ様……」
「わ、わたしは全然美人じゃないし、スタイルだってよくないわ。だから、だからこそ他のことでお役に立とうと頑張ってるの。まだ……まだ十分じゃないのはわかってる。でも、何も知らない人に、否定されたくないっ……!」
見た目も中身も、デル様にふさわしくない自覚はある。だからこそ、日々研究に往診にと、できることで貢献しているつもりだった。
でも、はたから見たら、不釣り合いな上に何もしない王妃に映っていたのかもしれない。日々私の姿を見かけるのは、研究所の職員と、往診先の患者という、限られた人達だけだからだ。
「大丈夫ですわ、セーナ様」
ふわり、と彼女がいつもつけている香水の香りがした。
いつの間にか隣に来ていたロシナアムが、私のことを抱きしめていた。
「わたくしは知っていましてよ。そりゃあ、最初はびっくりしましたわ。全然垢抜けてないんですもの。陛下はどうしてセーナ様のことが好きなのか、正直分かりませんでしたわ」
ポンポンと私の背中を優しく叩くロシナアム。
「……でも、侍女としてお仕えするうちに理解しましたの。セーナ様は裏表がなく、真っ直ぐな心をお持ちですわ。分け隔てなく誰にもお優しいです。それは、なかなかできることではありませんわ。我が家は旧王国時代から王族にお仕えしておりますけれど、両親の話によれば、歴代の王妃様は、それはもう我儘だったそうですよ。わたくしも、そういうお方にお仕えするんだと覚悟して参りましたから――毎日楽しくお仕えできていることが、いまだに信じられないです。……まあ、わたくしの話はともかく。陛下は陰謀や争いの中生きてこられましたから、きっと、セーナ様のそういうところに魅かれたのだと感じましてよ」
「ろしなあむぅ……」
いつもは生意気な侍女が、優しい。
思わず彼女を抱きしめ返すと、そこかしこに固いモノが触れた。――彼女が常に携帯している暗器なのだと、少しして気づいた。
ロシナアムは暗殺者として数々の試練を乗り越えてきているせいか、年の割に肝が据わっている。言葉ひとつにすごく説得力があって、私の心にすうっと染みこんでくるようだった。
優しくされると、なぜだか泣きたくなってしまう。引っ込みかけていた涙が、またじわりと湧いて出てきた。
「辛気臭いですわよセーナ様。セーナ様が日々国のために働いていること、陛下をお支えしていることは、国民ほとんどが認知していましてよ。お忘れでして? 研究所の職員は、困窮した平民を多く採用したじゃないですか。彼らだけでなく、その家族は毎日セーナ様の絵姿の前に、お花を供えて感謝しているそうですのよ」
「……ふふ、何それ。遺影じゃないんだから」
「それにセーナ様、背は低いですけどおっぱいは大きいから良いじゃないですか。お化粧すれば、そこそこ映えるお顔立ちですし。セイレーン様は美人ですけれど、あの部屋の趣味と性格は、はっきり言って不細工ですわ」
「……ロシナアムは、背高いけど胸ないもんね」
「よ、余計なお世話ですわ! せっかく励まして差し上げてますのに!」
ロシナアムが顔を真っ赤にしてぷんぷんしている。
こういう表情は、年相応ですごく可愛い。
「ふふっ、ありがとうロシナアム。あなたのお蔭で元気が出てきたわ。ごめんね、気を遣わせて」
彼女の腕から離れて、ごしごしと涙をふく。
大泣きして10歳も下の子に慰めてもらうなんて、色々申し訳ないことをした。
「別に、いいですわ。でも、薬師だからとか関係なく、生意気な患者には毅然とした態度を取った方がいいと思いますわよ? セーナ様の元居た世界では良くない事なのかもしれませんけれど、ここはブラストマイセスですからね」
「……そうね。次にこういうことがあったら、しっかり自分の意見を言おうと思う」
何でもかんでも我慢することは、自分を否定することになる。それは違うと、今回の件で気づけた。
患者を否定するのではなく、自分の意見を言う。これは別に悪いことではないはずだ。もちろん、患者の体調を見極める必要はあるけれど。
「では、今度こそお茶を淹れますわね。何にしますか?」
「パッションフラワーティーをお願い」
ぐすっと鼻をすすり、テーブルに移動する。
デル様が帰るまでには、このひどい顔が元に戻っていると良いな。そう思った。




