モンスター患者?
「お急ぎください。……王妃様、わたくしは何も悪くないと言ってくださいますよね?」
途端に慌てる人魚。
必死に腰をくねらせて、主人の待つ部屋へ急ぐ。その間にも、物が割れる音だったり、何かがぶつかるような音が聞こえてくる。
「え? う、うん。時間には遅れてない……よね、ロシナアム?」
「もちろんですわ。今は14時20分。お約束は14時30分ですから、余裕を持って到着していますわ」
腕時計を確認したロシナアムが、凛として答える。
(セイレーンさんは気が短いのかしら?)
一筋縄ではいかなそうな患者だと、気を引き締める。
王城ほどではないけれど、長々とした廊下を進み、とある扉の前で人魚が足を止めた。
「セイレーン様、人魚です! 王妃様がいらっしゃいました!」
「――――お通しして頂戴」
人魚が急いで扉を開くと、どピンクの空間が広がっていた。
可愛らしい桃色、ではなく、目が痛くなる蛍光ピンクである。
壁紙、ピンク。じゅうたん、ピンク。
可愛らしい家具も、もちろん全てピンクだった。投げつけたものが散らばっており、床はガラス片やら液体やらで、見るも無残な状況だ。
「こんにちは、王妃のセーナです。往診にきました」
ガラスを踏まないように入室し、部屋の主、セイレーンさんに挨拶をする。
本来は王妃から名乗るのはよくないみたいだけれど、今は薬師として来ている。イラついている患者には、こちらがへりくだる方がいいと判断した。
私から挨拶したことに、セイレーンさんは少し目を見開いた。
「……まったく。あなたみたいな小娘に、あたくしの喉が治せまして? デルマティティディス様の趣味が知れないわ」
「……全力で治療します」
セイレーンさんは、上半身が人間で、下半身は鳥の姿かたちをしていた。ビキニ風の衣装におっきな胸を詰め込んでいて、とてもセクシーなお姉さんだ。
背中には折りたたまれた翼らしきものもチラリと見える。羽毛は毛羽だってザラザラした質感で、女子力の高い部屋の主にしては、少々意外に感じた。
セイレーンさんの正体については事前に患者情報として把握していたので、驚きはなかった。けれど、こう高飛車な人だとは知らなかった。
はあ、と深いため息をつくセイレーンさん。
手にしていた花瓶を乱暴にベッドに放り投げ、毛足の長いソファに沈み込む。
「お座りになって」
猫足のついたテーブルを挟み、彼女の対面に座る。
ロシナアムと人魚は入り口近くに控えた。
「お辛いようですから、さっそく診察に入りますね。……ええと、事前の情報では喉が痛くて声がかすれる、と聞いています。お間違いないですか?」
「そうよ。だから早く治して。もうすぐ復帰コンサートがあるの」
さっきから高圧的だし、ちょっとワガママだ。少々嫌な気持ちにはなるけど、相手は患者だから仕方ない。こっちがキレてしまっては何も始まらないのだ。仏の心で対応する。
「セイレーンさんは、歌手をされているんですね」
「ええ。たくさんのお客様がわたくしを待っているわ。ちょっと練習しただけで喉が変になってしまって困ってるのよ。だから、早く」
「えーと、主治医からのメモでは、セイヨウシロヤナギの皮を煎じて飲んでいたと。しかし、効果が思わしくない、ということですか」
セイヨウシロヤナギは、解熱鎮痛薬として知られるアスピリンの大元になった植物だ。痛み止めとして有効だけれど、セイレーンさんにはあまり効かなかったらしい。
「そうよ! あんなマズイ薬を飲んだのに、ちっとも良くならないの! やぶ医者だったわ!!」
腰元まである青い髪を、ぐしゃぐしゃとかき回すセイレーンさん。
目元を見ると、クマが出来ている。相当ストレスがたまっているようだ。だけど、真面目に処置した医者をやぶ呼ばわりするのはよくない。
「焦るお気持ちは察しますけど、そのお医者さんは適切な処置をしています。そういう言い方は、セイレーンさんのような立派なお方にふさわしくありません」
やんわり注意する。角が立たないようにヨイショも忘れない。大学時代、病院や薬局で実習していたときに得たスキルだ。
「ま、まあ、そうねぇ」
「セイヨウシロヤナギ以外の治法を考えます。診察しますね」
持ってきたカロナールも効くかもしれないけれど、それでは根治にならない。
慢性化した症状は漢方の得意とするところ。きっといい処方があるはずだ。
喉は赤く、舌苔は黄で厚。
つかえ感に、情緒不安定。雨の日はいっそう症状が重くなるとのこと。
以上の情報から、八網は裏・熱・実。気血水は気滞、水滞、五臓は肺と考えられた。
「――漢方の考え方でいうと、セイレーンさんの喉には潤いが必要です。風熱を除して、巡りをよくしましょう」
「どういう意味よ!? 治るんでしょうね!? ……ゴホッ、ゴホ」
「大きな声を出すのは喉に負荷がかかるので、止めたほうがいいです。とにかく、体質に合った良い薬がありますよ。響声破笛丸というものです。これを飲んでなるべく声は出さず、夜はしっかり寝てください。そうすれば、3日もすればかなり良くなると思いますよ」
「~っっ、それができたら苦労しないわよ!! あんたなんかにあたくしの気持ちは分からないわ!! ほんと、デルマティティディス様は何でこんな子がいいのかしら? あのお方は、もっと妖艶な方がお好きに決まってるのに! お小さい頃はあたくしに大層懐いていて――」
セイレーンさんが叫び終わる前に、突然甲高い泣き声が私たちの耳を突いた。
☆響声破笛丸とは
原典:万病回春
適応病態:失音、失語、しわがれ声、咽頭不快、咽頭痛
弁証:裏・熱・実/気帯・水帯/肺
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