柿蔕
悲痛な表情の女性に椅子をすすめ、私も向かいに座る。
ひょろり医師とロシナアムは、少し離れたところで見守る態勢に入った。
「ええと、ローズさんですね。しゃっくりはいつからですか?」
「1週間っく、前からです……っく」
しゃっくりとは、横隔膜が痙攣することが原因だ。横隔膜が痙攣する理由は様々あるけれど、冷たいものを飲んだりした刺激によるものが多い。
通常は自然におさまるけれど、時にこうして数日、長いと年単位で続くことがある。
長引くと睡眠や食事に影響が出てくるだろうし、日常生活ですごく困ることは想像がつく。
とりあえず、簡単にできる方法を試してみてもらう。
両耳の穴に指を突っ込む――迷走神経を刺激してみるも、だめ。
舌を引っ張る――舌咽神経を刺激してみるも、だめ。
(長く止まらないしゃっくりは、脳梗塞・脳腫瘍、とか頭の病気の可能性もあるのよねえ。ローズさんは比較的若いから、考えにくいことではあるけれど)
ううむ、と首をひねる。
頭の病気となると、薬師が一人でどうこうできる範囲を超えてくる。大きな病院に紹介状を書いて、医師と連携して治療していくことになるだろう。
そう頭の片隅で考えながら、次の一手を口にする。
「神経刺激は効かないですね。そしたら、しゃっくりに良い漢方薬がありますから、それを飲んでみましょうか」
「初めて聞きます。そんな薬があるんですね……!」
言葉を発したのはひょろり医師だ。
「ええ。柿蔕湯というんですけど、材料はあるかな――」
立ち上がり、薬棚へ向かう。
必要なのは丁子、柿蔕、生姜だ。
ちなみに丁子というのはフトモモ科の植物で、クローブという名で香辛料としても使われている。そして柿蔕、というのは柿のヘタのことだ。生姜はショウガである。
むろん、市販の調味料では品質や加工法が異なるので使えないが、案外身近なものでしゃっくり止めは作れるのである。
「うーん、やっぱり柿蔕が無いわね」
柿蔕はこの処方ぐらいでしか使わないので、常備していなくても無理はない。
「干し柿のヘタでよければ、市場で手に入ると思いますけれど」
「あっ、ナイスアイディアです! それでいきましょう」
――ひょろり医師自らおつかいに行って、材料を調達してきてくれた。
買ってきてくれた干し柿のヘタを刻んで、生薬として使えるように加工する。
「丁子1.5、柿蔕5.0、生姜1.0――とりあえず一週間分を作るとして、7倍――」
分量を量り、舟と呼ばれるトレイに各生薬を一日分ずつのせていく。
トレイの中身を薄紙のパックに詰め、こぼれないように折りこむ。
1パックが一日分だ。朝ぐつぐつと煮出し、煎じ液を3等分して朝昼夕と服用する。
「ひっく、……ひっく、……ひっく――」
患者のしゃっくりが響き渡る中、ぐつぐつと煎じていく。
「30分くらい煮出すので、その間に薬の説明をしますね」
火の見張りをロシナアムに頼み、患者の前に座り直す。
「柿蔕湯とは、異国に伝わるしゃっくりの特効薬です。その国の考え方によれば、しゃっくりとはお腹が冷えて胃気が上昇してきた状態です。お腹を温め、胃気を下降させるのがこの薬の働きです」
「あっ、確かに冷たい…ひっく、ものはよく飲んで、ひっく、います。……夫が、目を悪くしまして。ひっく、気持ちが鬱屈していたんですが、ひっく、冷たいものを飲むと、スッキリするので、ひっく」
「そうだったんですか。ご主人の代わりに奥様があれこれなさっているんですね。そりゃあ、ストレス溜まりますよね。分かりますよ、私も冷たい炭酸を飲むと気分爽快になりますから」
私も似たような状況なので、ローズさんの気持ちは多少分かる。大好きなデル様のためだから不満は全然ないけれど、どうも肩のあたりが重く、シャキッとした気持ちにならないときがあるのは事実だ。
「ひっく」
「失礼ですが、ご主人はなぜ目を悪くされたんでしょう?」
患者女性はサルシナさんより少し下くらい――40代前半くらいという風貌だ。
その旦那という事だから、加齢による視力低下という訳ではないように思える。
「それが、はっきりとは分からないんです。ひっく、元々お酒をたくさん飲む、ひっく、人でしたので、それで体を悪くしたんではないかと、ひっく、思っています」
「そうですか――。気休めかもしれませんが、目にいい漢方もお出ししましょう。杞菊地黄丸というものです。ご主人、お腹は弱くないですか? むしろ便秘気味? ああ、ならちょうどいいです。お通じにいい生薬が入ってますから、そっちもよくなると思います。ぜひ、飲んでみてもらってください。気になることがあったら、いつでも王城へご連絡くださいね」
「ううっ、ありがとうございます、ひっく。王妃様は、なんと慈悲深いのでしょう……ひっく」
「ふふ、薬師として当然のことをしたまでですよ。あ、そろそろ30分経ちますね。柿蔕湯ができた頃合いです」
診療所内に、漢方独特の渋い匂いが立ち込める。
ロシナアムが、1回分をコップに注いで持ってきてくれる。
さっそく、できたてほやほやの柿蔕湯を飲んで頂く。
「――――効きそうなお味です、ひっく」
私に気を使ってオブラートに包んでいるが、その顔には「マズイ」と書いてあった。
「いいですよ、マズイと言ってくださって。私だってそう思ってますから」
「す、すみません」
「私は王妃ですけど、もとはただの薬師ですから。砕けて接してもらう方が嬉しいです」
「あ、アクネ湖の近くで暮らしてらしたとか。王妃様ゆかりの土地として、まだお家は残してあるのですよ」
「そうなんですね! 私が住んでいた時、すでにボロボロだったから、もう無いと思ってたんです。時間があれば寄ってみたいのだけれど――」
壁際に控えているロシナアムを、チラリと見る。
しかし、彼女は首を横に振った。
(はぁ、王妃というのは中々自由がないわね)
仕方ないか。ルール上、ドラゴンは基本的に発着所しか止まれないから、掘っ立て小屋までは徒歩で往復2時間かけて行くことになる。そうなると日は暮れてしまう。防犯上よろしくない状況になることは、私にも理解できた。
ひっそり落ち込む私に、弾んだ声が飛んできた。
「――――! 王妃様、しゃっくりが止まったみたいです!!」
「もう!? 思ったより早く効いたみたいですね!」
柿蔕湯はしゃっくりの特効薬だけど、飲んだ途端に効く魔法のような薬ではない。早くても数時間かかるのが普通だけれど、ローズさんの体質にはすごく合っていたみたいだ。
「ありがとうございます……! 本当に、何てお礼を申し上げたらいいのか――」
「いいんですよ、お礼なんて。私は薬師ですし、王妃です。困っている国民を助けるのは当然なんです。柿蔕湯のレシピはひょろり医師に伝授しましたので、万が一また出てきたら、こちらを受診してくださいね」
「「ひょろり医師?」」
「あっ、いえ、ギルバート医師です。そういうことで、よろしくお願いしますね」
「承知しました。王妃様、我々を助けて下さり、ありがとうございました」
深々と頭を下げる二人。
逆に恐縮しつつ、ロシナアムと診療所を後にする。
「――さすがセーナ様ですわね。しゃっくりが止まらないなんてどんな奇病かと思いましたけれど、お見事でしたわ」
「ふふふ。ホッとしたわ。柿蔕湯で止まらなければ、長期戦になると思ってたから」
そんなことを話しながら噴水のある広場を抜け、ドラゴン発着所へ向かう。
居眠りしていたステッキーを叩き起こし、ロシナアムの悲鳴と共に王城へ帰還したのであった。




