奇病
「はぁ、……死ぬかと思いましたわ……」
「大丈夫? ひどい顔色よ」
トロピカリまで30分の空の旅は、無事に終わった。
各領地のドラゴン発着所は、貴族街と平民街の間のスペースにある。以前は倉庫などが立ち並んでいたあたりが整備され、開けた広場を確保している。少し向こうに市場の建物が見えて、懐かしい気持ちになる。
一方で、膝を抱えて座り込むロシナアムの顔色は真っ青。高い場所が怖すぎて、気分が悪くなったようだ。
「お茶飲む? 私の飲みかけで悪いけど」
「いえ、大丈夫ですわ。今はセーナ様の護衛中ですから、わたくしがお世話になるわけにはいきませんの」
「別にいいのに」
プロ意識が高いのか、意地になっているのか微妙な所だ。
鬼気迫る表情で彼女は立ち上がり、「さあ行きましょう」と案内を始める。
「帰りも乗るんだロ? 俺はここで待ってル」
「うん、お願いします」
ステッキーを発着所に残し、私たちはトロピカリの診療所へ向かった。
◇
「こんにちは~、王妃のセーナです」
そば屋に入るぐらいの軽いノリで、懐かしい診療所のドアを開く。
この診療所は、私がこの世界に初めて来た日、毒キノコにあたった女の子を運び込んだ場所だ。あの時のおじいちゃん医師はまだ健在だろうか?
「王妃様! ようこそおいでくださいました!」
おじいちゃん医師ではなく、ひょろりとした中年医師が出迎えてくれた。
跪いて礼をする彼に、「楽にしてください」と声を掛ける。
「――ああ、懐かしいですね。物品は増えているようですが、当時の面影があります!」
以前は離島の診療所のように何もなかった部屋が、かなり充実している。
ベッド、点滴台を始めとして、半年前に開発したばかりの顕微鏡とオートクレーブもある。その隣のワゴンの上には、メスに剪刃、鉗子といった精密な手術器具。スカスカだった棚には所狭しと生薬瓶が並び、一番目立つところにセナマイシン錠が配置されていた。
「王妃様はここにいらしたことがあるんですよね。半年前に亡くなった親父から聞きました。――変わりように驚いていらっしゃいますね? 王妃様はトロピカリ出身ということで、それに恥じぬよう診療所にはかなり予算をつけてもらったんです。私自身は王都で医師をしていましたが、親父が死んだのをきっかけに戻ってきましてね」
「……先生は亡くなったのね。先生が記憶喪失を勧めてくれたから、今の私があると言っても過言ではないのだけれど。お礼を言えなくて残念だわ」
ポツリとつぶやく。
「え? 何か仰いましたか?」
「いえ、何でもないです。これだけ素晴らしい診療所があれば、トロピカリの人たちは安心しますね。王都で身に付けた技術で、たくさんの命を救ってください」
上から目線な言葉じゃないかと冷や冷やしつつも、王妃っぽいセリフをかけておく。
「身に余るお言葉、光栄です。日々研鑽に務めてはおりますが……どうしても手におえない患者がおりまして。恐れながら、筆頭薬師でもある王妃様にお越しいただいた次第なのです……」
申し訳なさそうに眉を下げるひょろり医師。
ドクターフラバスといい、この世界の医師はみんな丁寧な態度で、こちらが恐縮してしまうぐらいだ。日本の医師はたいてい横柄で、薬剤師のアドバイスを聞かない人が多かったんだけど。
そういう職業をしていたから、こうして頼ってもらえるのは嬉しい。私が対応できるかしらという一抹の不安を抱きつつも、ニコリと微笑む。
「分かりました、大丈夫ですよ。もう来ているのかしら?」
先ほどから、隣にある待合からひっく、ひっくと嗚咽のようなものが聞こえる。
声の持ち主が患者なのだとしたら、かなり辛いのかもしれない。早く診てあげた方がよさそうだ。
急いで白衣を羽織りながら、ひょろり医師に問いかけた。
「待合におります。――おーい、入ってきて! 王妃様が来てくださった!」
その呼びかけを待っていたかのように、すぐさまガチャとドアが開いた。
「ひっく、あ、王妃っく、様。ご足労くだっく、さりまして、ありがとうござ、っく」
入ってきたのは、しゃっくりが止まらないという奇病にかかった女性だった。




