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【閑話】気づかぬ愛と叶わぬ愛

 幸せな結婚をするはずだった、その前日。

 騎士団に入団してから初めて休みを取り、不慣れながらも一生懸命ごちそうを作って婚約者の帰りを待っていた夜。わたしは突然真っ白な光に包まれ、濁流のような空間の歪みにもみくちゃにされ、次に目を開けると全く知らない場所にいた。

 大広間のようなその場所には、少し距離を置いて腕を組みわたしを取り囲む人々。いや、見たこともない魔物のようなものたちと言ったほうがいいだろうか。とにかく異形のものたちに取り囲まれ、わたしはしゃがみこんだまま動くことができなかった。この日ばかりは騎士服を着用しておらず、かわりにエプロンをつけていたことが、今思えば随分と滑稽だった。

 異形のものたちのなかから、ひとり人間のような風貌の男がこちらに歩み寄る。恐ろしく整って美しいその男の頭には、琥珀色の角が二つ生えていた。瞳孔が縦に割れた鮮血のような瞳、光を一切反射しない漆黒の長い髪。彼が一歩動けばすべての魔物が床に頭を擦り付ける。――一瞬で理解した。この男が頂点なのだと。


 哀れなわたしは差し出された男の手を取るしかなかった。「役割を終えたなら、元の世界に戻してやろう」。男の蠟のように白い手は氷のように冷たかった。

 男の言葉を信じてこの国に騎士団を創設し、自ら鍛え育て上げた。剣技も弓も、惜しみなく技術を分け与えた。全ては元の世界に帰るため。いつしか男――魔王ペリキュローザがわたしに並々ならぬ感情を抱くようになっていたことにも気づかぬふりをして、淡々と召喚人としての役割に邁進した。

 しかし、ペリキュローザは約束を破った。騎士団がわたしの手を離れた後も、なにかにつけて元の世界への帰還を延ばし延ばしにし、わたしが病を患って今際の際に願った際も言葉を濁した。

 ああ、この男は最初から約束を守るつもりはなかったのだな――。そう気が付いたものの、だからといって、わたしには他の選択肢はなかった。あの人にもう一度会うまでは、どんなに苦しくても、どんなに涙を流そうとも、わずかな可能性があるのなら賭けたかった。今生では叶わなかったけれど、ようやくこれで開放される。憎い男に看取られながら、わたしは異界の地で生を終えた。


 ――――はずだった。


 死者として冥界に堕ち転生するはずだったのに。冥界の扉の前に見たのは二度と顔を見たくないと思う美貌の魔王――ペリキュローザの姿だった。


 こんなにも執着されていたとは――。


 まるで蛇のようだと思った。わたしはやつの毒牙から逃れることはできないのか。反射的に背を背けて冥界砂漠をひたすら駆けた。走って走って、引き離せたかと思って振り返ると、すぐ目の前にやつの顔があった。やつは笑っていた。恐怖で全身から力が抜けた。

 膝をついて崩れ落ちたわたしを抱え、やつは再び城に戻った。つい先日息を引き取ったはずの馴染みの部屋で地獄のような鳥籠生活が始まった。すでに不死身となっていたはずなのに、心は死の向こう側へとどんどん闇に飲み込まれていった。苛立ち、絶望、憎しみ、後悔。ペリキュローザはわたしに「愛している」などとのたまうが、誰がそんなことを信じようか。愛しているのなら解放してほしい。相手を苦しめることなんて真実の愛ではない。そう叫んでも彼は薄く笑うだけ。わたしの心は、人間らしい善良な感情は、このときにすべて干からびてしまった。


 ペリキュローザは突然崩御した。原因はわからない。とにかくその知らせを耳にしたわたしは城内の混乱に乗じて部屋を抜け出した。わたしの部屋のペリキュローザにしか開けられない特殊な錠前が彼の死によって消滅していたからだ。

 自由を得たわたしは魔王一族に復讐することを決意した。わたしの人生の幸せを唐突に奪い、約束を破り、尊厳を踏みにじったやつらを絶対に許さない。そんなやつらがのうのうと幸せに暮らすなどあってはならないことだ。きっと添い遂げられなかった婚約者もそう思っているはずに違いない。しばらく潜伏して力を蓄え、剣の鍛錬を再開した後、わたしは動き始めた。


 手始めにペリキュローザの子ども、つまり代替わりした魔王トリコイデスを殺した。ペリキュローザよりも魔力が弱く、武官というより文官寄りな能力のトリコイデスを落とすことは簡単だった。王妃は夫の死がたいそう悲しかったようで、どんどん衰弱してあっという間に死んでくれた。トリコイデスの髪を使ってマントを織り、対魔物用の防具として活用した。


 ペリキュローザ夫妻には子が一人いた。デルマティティディスというが、こいつは厄介だった。幼いながら異常に頭がよく、魔力も圧倒的に強かった。成長して太刀打ちできなくなる前にと思って暗殺を仕掛けたが、ことごとく阻まれた。彼の側近も小賢しい者が多く、特にケルベロスの魔物はいつもべったりとデルマティティディスに張り付いて警戒していた。


 急ぐことはない。わたしは不老不死だ。幼少期の暗殺は諦め、よき時が来るのを待った。

 やがてバルトネラはフィトフィトラ王国と戦争になった。この機に乗じてわたしは再び動き出す。戦乱のどさくさに紛れて毒矢を射った。それはデルマティティディスの右胸に命中し、わたしは笑みを堪えきれぬままその場を去った。

 仕留めきれなかったことは残念だ。しかし彼は不治の病におちいったという。生の苦しみを味わわせてやるのもいいかもしれない。わたしは趣向を変えてじわじわと嬲り殺してやることに決めた。


 不老不死とは厄介だ。年をとらないという不自然さを隠すために、老若男女さまざま変装して過ごすようにした。深い人付き合いはしない。本当のわたしの姿は誰も知らない。

 長い月日が経てばそれなりに人脈ができる。面倒な変装はやめて、自分が表に出て動くことを極力避けるようになった。各地のごろつきに金を握らせたり、魔王に恨みを抱く者を駒にした。それはたとえばフィトフィトラ王族の末裔だ。第一王子ロイゼを使ったものの、やつは浅はかさゆえ命を落とした。愚かなやつだった。

 しかし、そこでデルマティティディスは気が付いたようだ。ただならぬ者が自分を狙っていることに。面白くなってきたが、疫病の流行により使える駒がなくなってしまい、またしばらく潜伏する日々が続いた。

 セーナとかいう小娘はいきなり姿を消し、ぱったりと消息がつかめなくなった。破局して追放でもされたかと思いきや、ある日突然帰ってきて婚約者の座に収まった。

 わたしは畳みかけることに決めた。子が生まれる前に決着をつけたい。ここで魔王の血を絶やしてやる。その一方で、決着をつけてしまったあとの自分の人生はどうなってしまうのかと想像すると、うすら寒い気持ちになった。

 セーナにちょっかいをかけるとデルマティティディスは面白いほど激怒した。その姿は父トリコイデスの若いころにそっくりだった。なぜだろう。蛇のような執着心をみせたペリキュローザとは違って、子と孫が配偶者に向けるまなざしにはあたたかな陽だまりのような愛情を感じた。


 ――――くそ。本当だったらわたしも幸せな結婚をするはずだったのに。人生で一人きりと決めた愛する人の顔は、何百年とたった今、もう思い出せなくなっていた。脳裏に浮かぶのは、いつからか憎き魔王の顔ばかり。鮮血のような赤い瞳に真っ白な肌をした、おそろしく美しい美貌の男。

 わたしは、わたしはいったい誰のために生きているのだろう。愛する人と引き離され、そしてわたしを愛していると言った男も、わたしをおいて逝ってしまったではないか。


 誰でもいいから殺してほしかった。この意味のない孤独な人生を終わらせてほしかった。魔王に関係する者たちを殺して満足感を得られたのは最初だけで、いつしか惰性になり、そしてなんの感情も動かなくなった。

 冥界砂漠でデルマティティディスと対峙したとき、久しぶりに感情が揺れ動いた。「祖父が悪いことをした」と謝罪され、初めて自分という人間を尊重された気がした。だけど――もう、わたしは人間ではないものに成り下がっていると自分でもわかっていた。もう引き返せない。悔い改める気はない。このまま落ちるところまで落ちて地獄に行きたかった。

 デルマティティディスと剣を交えるうちに自分の身体に異変が起こっていることに気が付いた。おかしい。不老不死、不死身なのにダメージがどんどんと蓄積していく。

 ああ、もしかして、ほんとうに死ねるのか――? 感じたのは焦りでも恐怖でもなく歓喜。そうか、ようやくこの時が来たのか。ペリキュローザはもういない。わたしを冥界から連れ戻す者はもういない。

 いよいよ身体が鉛のように重くなり、呼吸苦が現れ始める。膝をつけばデルマティティディスとセーナが扉の向こうへ退避する様子が視界の隅に入った。


「――――ありがとう」


 次の瞬間、視界が明るく散った。


 ◇


 死ぬ前に発した最後の言葉は感謝の言葉だった。わたしのなかにそういう気持ちがまだ残っていたことに、自分でも驚いた。

 そういえば、ペリキュローザもわたしが死ぬとき、手を握りながらそんなことを言っていたなとふと思い出す。もしかして、やつは本当にわたしのことが好きだったのか? いいや、それはない。だって、彼にはとても美しく芯の強い奥様がいたのだから。

 次の人生では幸せになれるだろうか。……いいや、なれないだろう。だってわたしは人を殺しすぎた。苦痛に歪む顔、泣き叫ぶ顔を数えきれないぐらい見てきた。たくさんの恨みを買っている。まずは地獄に落ちるだろう。

 まあ、いいか。地獄ではきっと独りじゃない。復讐に生きることもなければ、自分を偽ることもない。自分らしく生きることができるだけで満足だ。


 ああ、長かったな――――。心地よい疲れと心の平穏を感じながら、わたしは世界に身をゆだねた。


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