夜は明ける
「……セーナ君、君も怪我人なんだから、そろそろ寝た方がいい。そんなに陛下を見つめると、そろそろ穴が開くよ?」
デル様の側を離れたくなくて、彼の枕元に座っている私に、ドクターフラバスが声を掛ける。
「あ……。お二人は、お先に帰って結構ですよ。すみません、気が利かなくて。私はもう少し、ここにいようと思います」
ドクターフラバスと河童さんは立場上、王妃である私が声を掛けないと帰れないことを忘れていた。悪いことをしてしまった。
私がいることで、デル様の容体が良くなるわけではない。でも、彼の側にいたい――いるべきなんじゃないか、という思いに駆られていた。
「――では、すみませんが、それがしはこれにて。朝がた再度冥界に行き、現場検証と諸々の回収作業がありますゆえ、失礼させていただきます」
河童さんが、心配そうな表情を浮かべつつ、敬礼をして退室した。
パタン、というドアの音が侘しく響く。
「……ドクターフラバスも、どうぞ。明日も診療があるでしょう? 夜中に駆け付けてくれて、どうもありがとうございました。今後もデル様をよろしくお願いします」
「――うん、もちろんだよ。じゃあ……僕も失礼しようかな」
診療器具をカバンに片づける姿を、ぼーっと眺める。
(様子を見ながら、その時々に合わせた治療をする、か……。そういうことであれば、漢方でも、何か役に立てそうね。あとは、メンタルに良い薬も必要かしら。きっとデル様は、お気持ちも疲れていると思うもの……)
「――あ、セーナ君。言い忘れていたけれど」
ニコッと私を真っ直ぐ見るドクターフラバス。
「な、何でしょう?」
ドキンと心臓が跳ねる。
言い忘れだなんて、これ以上何かあるんだろうか。嫌なことだったら、もう私は受け止めきれるかどうか――
ぐっと拳を握りしめ、下を向く。
「結婚おめでとう。こうして陛下を生きて連れ帰ったことは、誇りに思っていい。王妃としてよく頑張ったね」
「……っ!」
ハッと目が覚めたように、彼の顔を見る。
眼鏡の奥に見える少したれ目の眼差しは、こんな日でも優しいことに気づく。
「前線に立つ王妃なんて、前代未聞だけどね? でも君が作った兵器がなかったら、ヴージェキアにとどめを刺すのは難しかったかもしれない。君は我が国が誇る立派な王妃だし、天才科学者だよ」
「ドクター、フラバス――……」
引っ込んでいた涙がまた溢れてきて、膝にぽろぽろと透明な雨が降る。
「……っく、ぜん、ぜんぜん誇りじゃないです…デル様の身体に傷をつけてしまいました……。わたしが、わたしがあの時、もっといい方法を思いついていれば――」
こみ上げる嗚咽をそのままに、私は抑えつけていた気持ちを少しだけ開放した。
「魔族のみなさんに申し訳ないです……っく、大事な大事なお角が折れたせいで……デル様の立場が悪くなったらどうしようって…っく」
頭の上にそっと置かれる大きな手。
遠慮がちに撫でてくれるそれに、じわりと心が溶かされる。
「それに……不安なんです。今後、デル様を支えきれるかどうか。っく、私なんかでいいのかなって……こんな、研究と調合しか能がない女なのに……、デル様の家族として、十分なんだろうかって…っく」
ずびっと鼻水をすする。
常に堂々としているべき王妃としては、あってはならない姿だ。でも――ドクターフラバスなら、許してくれそうな気がした。
一度外れた箍は、簡単には戻らない。
気付いたら私は、彼の胸にすがりついてわんわん泣いていた。
「――大丈夫。陛下に対する敬意は、それぐらいじゃ揺るがないさ。それに、セーナ君への愛情は本物に見えるよ。例え君が研究や調合ができなくても、陛下は君の事が好きだと思う。君がこの国に戻ってきてから、陛下は本当に幸せそうなお顔をされていたからね。だから、何も心配することない。――セーナ君が今考えるべきことは、自分のケガを治すことだよ」
優しい動作で背中を叩く手に、安心感を覚える。
お父さんが居たらこんな感じなんだろうかと、ふと思った。
「――――はい。ありがとうございます、フラバスさん」
長い長い一日が、ようやく終わった。




