代償
転移が始まり、ぐにゃりと視界がゆがんでいく。
身体と意識がぐいーんと引っ張られる特有の感覚。爆音がしているはずなのに、はるか遠くで花火が鳴っているかのように――かすかに聞こえるだけだ。壁が飛び散る映像も、ぐんぐん小さくなっていく。
(よかった、ちょうどいいタイミングでやれたみたい)
小さく胸をなで下ろす。
――ヴージェキアを毒ガスで弱らせ、ダイナマイトで爆散させる。
通称「作戦2」は成功したが、私たちに笑顔は無かった。
デル様は顔色が悪く明らかに辛そうで、河童さんが肩を支えている。気力だけで立っているような状態だ。
胸に抱えたデル様の角を、ぎゅっと抱きしめた。
転移で戻ってきたのは王城の中庭だった。
蒼く冷えた空気に、重たげな空。ほうっと吐く息は白く、まだ夜明けは先であることを感じる。
先に帰還していた騎士団の面々が、わあっと歓声を上げて出迎える。
しかし――力なく河童さんにもたれるデル様を見て、ぴたりと動きが止まった。
「陛下――っ!?」
ざわっと動揺の声が広がる。
(ど、どうしよう。顛末を説明すべきなのかしら。話すにしても、一から十まで話したらまずいわよね? それに、今は早く治療を――)
ヴージェキアの真実については、あまり話を広げない方がいい気がする。
状況に頭と感情が付いて行かない私は、すっかり混乱していた。
口をパクパクさせるばかりで、何も言葉が出てこない。
助け舟を出してくれたのは騎士団長だった。
「皆の者、作戦は成功した! 陛下においては至急治療に入る。心配だろうが慌てず騒がず、今夜の所は解散とする! なお、許可が出るまで今夜の一切は、口外禁止とする!」
ざわめく騎士団の面々を、ぴしゃりと抑えつける河童さん。
「解散!」と再度河童さんが叫べば、その一声で騎士団は回れ右して走り去っていった。
「あ、ありがとうございます。情けないですね、私、どうしたらいいか分からなくて」
「いや、それが普通ですよ。セーナ殿下は――というか、王妃殿下がこういった戦いの前線に出るなど、あり得ない事ですから」
「そう言ってもらえて助かります。……それじゃ、早く治療を。ドクターフラバスを呼びましょう!」
「それがいい。フラバス殿はこの国一番の医者です」
河童さんが緊急の念話を飛ばす。
「デル様、すぐにドクターフラバスが来てくれるそうです。もう少し頑張ってくださいね……」
泣きそうになってきて、声が思うように出ない。
いよいよ立っていられなくなり、河童さんにおんぶされているデル様の手を握りながら、彼を寝室へ運ぶ。深夜なので使用人たちは寝静まっていて、私たちの足音だけが廊下に響いた。
寝室までの距離が永遠のように思えた。河童さんも急いでいて、大柄な彼の歩幅に合わせる私は、自然と小走りになった。
握っている手はとても冷たくて、このまま彼が死んじゃうんじゃないかとすら思えた。
「河童さん、デル様は死んだりしませんよね……?」
ようやくデル様をベッドに寝かせることができた。
医者ではない河童さんに聞いたところで、正しい答えが返ってくるわけではない。
そう分かっていても、誰かにすがって「大丈夫だ」と言ってほしかった。
「恐れながら、それがしは医療に詳しくないから何とも言えない……。しかし、陛下がセーナ殿を置いて死ぬことはないと思います。新婚生活始まったばかりで、お嫁さんを一人にするようなお方ではないですから」
「河童さん…………」
ぶわり、とまぶたいっぱいに熱いものが溢れる。
そういえば今日は入籍して、お披露目をしたんだった。
あの幸せなひとときが、随分昔の事のように感じる。
人生で一番綺麗にしてもらったのに、ドレスは薄汚れ、転んだり走ったりしたせいか所々破れたりほつれている。腕も何か所か折れている感覚だし、髪の毛だって崩れかかっている。顔は涙と鼻水で化粧が流れ出しているだろうし、とても数時間前に花嫁だった人物とは言えない有様だ。
――でも、そんなのどうだっていい。
デル様が無事であれば、いつかは笑って苦労話のネタになることだ。
ベッドに横たわる彼の頬をなでる。
角が折れることが、魔王にとってどのような意味を持つのか、私は知らない。
真っ青な顔と唇で、はあはあと肩で息をする彼。もう話すこともままならないようで、時間の経過とともに具合は悪化しているように見えた。
彼はなぜかヴージェキアのマントをしっかりと抱きしめている。縁起が悪いので退けようと引っ張ってみたけど、ひしっと掴まれていて、無理だった。
仕方ないので、服の首元をゆるめ、冷えないようにしっかりと毛布をかける。
(変に処置するよりは、ドクターフラバスの診察を待った方がいい気がするわ。彼はまだ到着しないのかしら? 早く、早く――)
傷薬用の軟膏であれば作り置きのものがあるけど、多分今はそういう問題ではないと思う。
変に手を出すよりかは、魔族としての知識も豊富なドクターフラバスの指示を受けた方がいいと判断する。
ぐしゃぐしゃの顔をして嗚咽する私を見かねたのか、河童さんがポンと肩をたたいて声を掛ける。
「セーナ殿、陛下はきっと大丈夫です。とりあえず楽な服装に着替えてきたらいかがですか? 今ロシナアムが温かいお茶を持ってこちらに向かっているそうだから、一息ついた方がいい」
「そ、そうですね。すみません」
ちょっと、いや、非常に見苦しい見た目になっていることを思い出す。
お茶と軽食のワゴンを持って入室してきたロシナアムに肩を抱かれ、私はいったん部屋を後にした。
あと木、金と更新できそうです。




