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罪と罰の天秤  作者: 一布
第二章 金井秀人と四谷華
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第十九話② 幸せな彼女を知っている人(後編)


「でも、たぶん、咲花はいい方向に変わってきてるんだと思う」


 ペットボトルから口を離して、川井は苦笑のように声を漏らした。


「いや。変わってきてると思いたい、って言った方が正しいかな。佐川君の影響を受けて、いい方向に変わって欲しい、って」

「変わってきてるんですかね?」

「そう思いたいんだよ、俺は。まあ、でも――」


 言葉の合間に、少し時間が空いた。ほんの一秒程度。川井の苦笑は消えない。


「――咲花に影響を与えるのが俺じゃないのは、少し寂しいけどね」


 ――やっぱり。


 亜紀斗は再度、声に出さずに呟いた。川井は、咲花の元婚約者なんだ。きっと、まだ、咲花のことを愛しているんだ。彼女がどれだけ、犯人を殺しても。彼女の手が、どれだけ血に染まっても。


 川井に返せる言葉を、亜紀斗は見つけられなかった。彼と咲花の関係を聞き出すのも野暮だ。かといって、咲花の過去を知っているのか、などとも聞けない。


 川井は、亜紀斗が咲花に影響を与えたと言っている。そこに、嫉妬などは感じなかった。ただ彼は、好きな人に手を差し伸べたかった。でも、差し伸べられなかった。自分の力不足に、寂しさを感じているのだ。


「で、佐川君」


 亜紀斗が何も言えずにいると、川井が声を掛けてきた。


「はい?」

「もう食べ終わった?」

「はい」

「じゃあ、俺達も仕事に戻ろうか。君がいないと、他の連中が何か見つけても深追いできないし」

「わかりました」


 犯人は銃を所持している。人を撃つことに躊躇いがない。危険性が高い捜査を行ううえで、亜紀斗の存在は大きい。


 他の刑事と合流するため、川井が、スマートフォンを手にした。その直後、彼のスマートフォンが振動した。電話の着信。


「他の人達が、何か見つけたんですかね?」


 亜紀斗の問いに、川井は首を横に振った。


「いや。ウチのチームの奴じゃない。別のチームからの電話だ」


 川井はスマートフォンを操作し、耳に当てた。


「はい。川井です」


 別の捜査チームからの連絡。何か、捜査に進展でもあったのだろうか。


 亜紀斗の耳に、電話の向こうの声が聞こえた。しかし、話の内容までは聞き取れない。声の調子から、どこか緊張している様子は伺えたが。


 川井が、頷きながら「ええ」「はい」と繰り返している。最後に「わかりました」と電話の向こうに伝え、通話を終了した。


「何があったんですか?」


 亜紀斗が聞くと、川井は、スマートフォンを操作しながら簡潔に答えた。


「ウチのチームの連中を呼び戻して、すぐに移動する。犯人の居場所が特定できたかも知れない」

「!」


 川井はすぐに、自分のチームの刑事に連絡を取った。移動するから、すぐに車まで戻ってこい、と。簡単に伝えて、電話を切る。


「川井さん。犯人の居場所が特定できたって? どこにいるんですか? どうやって特定できたんですか?」


 川井は、ふう、と息をついた。


「断言はできない。ただ、ね。連絡が来たのは、咲花が入ってるチームからだ」

「笹島が?」

「ああ。それで、咲花の携帯に、着信があったらしいんだ。非通知で」

「どういうことです?」


 仕事中に利用しているのは、プライベートで使用するスマートフォンではない。特別課で支給されているスマートフォン。もちろん、仕事関係者以外に電話番号は伝えていない。非通知で架かってくることなど、想定していない。


「咲花は電話に出たそうだ。それで、電話の相手と少し話して。電話を切った後、犯人の居場所が分かったかも知れないと言ったらしい」

「その電話って、悪戯じゃないんですか?」


 仕事用のスマートフォンの電話番号は、警察内でしか開示していない。とはいえ、悪戯目的の者が適当に番号を押して、たまたま咲花に繋がった、という可能性もある。


「もちろん、悪戯の可能性もあるけどね。でも、この事件の捜査をしている刑事に、犯人のことを告げる悪戯電話が、たまたま架かってくる――なんて可能性は、どれくらいだと思う?」


 亜紀斗は、理論的に考えるのが苦手だ。自分は馬鹿だと思っている。それでも分かる。そんな可能性は、宝くじの高額当選を引き当てるくらい低い。


「犯人の居場所はどこなんですか?」

「南区の端だよ。定山渓温泉エリアだ」


 札幌市は政令指定都市であるため、行政区が存在する。十ある行政区の中で、亜紀斗達がいるのは中央区。犯人がいるという場所から、かなりの距離がある。


「笹島達が捜査をしていたのは、どの辺りなんですか?」

「真駒内だ」


 南区真駒内。定山渓温泉エリアからそれほど離れていない。


 川井はパイロットランプを取り出し、車のルーフ――車の天井――に設置した。マグネット式で固定されるため、多少スピードを出しても走行中に落下などはしない。


 十分ほどで、捜査に出ていた刑事達が戻ってきた。彼等を乗せると、川井はすぐに車を発車させた。


 走り出してすぐに、川井はパイロットランプを点灯させ、サイレンを鳴らした。制限速度を、多少超過しながら走る。赤信号にぶつかったときは徐行するが、それでも停車はしない。


 咲花達が捜査をしていたのは、犯人がいるという場所から車で二十分ほど。対して、亜紀斗達がいた場所から犯人がいるという場所までは、車で五十分ほど。


 咲花に架かってきた電話が、悪戯ではないのなら。亜紀斗達が駆けつける前に、彼女が犯人に接触する可能性は高い。


「川井さん」


 運転する川井に、亜紀斗は質問を投げた。


「笹島に電話をした奴は、どこまで犯人の情報を伝えてきたんですか? 概ねこの辺にいるとか、もしくは、ピンポイントで居場所を伝えてきたとか」


 バックミラーに映る川井の顔は、緊張感に満ちている。


「居場所を正確に伝えてきたそうだ。温泉街付近の民家を犯人が襲撃する、って。襲撃の時間まで正確に言ってきたらしい」

「その時間は?」

「二時ちょうどだ」


 亜紀斗は、自分のスマートフォンで時刻を確かめた。午後一時五十二分。どんなに車を飛ばしても、絶対に間に合わない。


 川井に電話が架かってきたのは、今から十二、三分前。その時点で咲花達が出発したと考えても、二時に間に合うかどうかはギリギリといったところか。


 最近、咲花は犯人を殺していない。心境に変化があって犯人を殺さなくなったのなら、今回も殺さない可能性が高い。それならば、今日の事件の発生防止は、彼女に頼るしかない。新たな被害者が出る前の、犯人確保。


 もちろん、咲花に架かってきた電話が悪戯ではない、というのが大前提となるが。


「咲花に架かってきた電話のことは、本部にも伝えたそうだ。緊急だから人数は少ないけど、藤山隊長も含めて、特別課も向っているらしい」


 道警本部から定山渓温泉エリアまで、車で概ね五十分ほど。出発したタイミングが亜紀斗達より多少早かったとしても、到着のタイミングはそれほど変わらない。


 深呼吸をして、亜紀斗は自分を落ち着かせた。どんなに焦ったとしても、今は何もできない。それよりも、今回の事件と今の状況について考えよう。


 今回も含め、直近で数件発生した銃犯罪。しろがねよし野の事件や、スーパーでの事件。それらの事件で逮捕された、犯人の証言。


『銃をくれたのは、喪服のような格好の、凄い美人だった』

『銃をくれたのは、女みたいな顔の小柄な男だった』


 後者の「女みたいな顔の小柄な男」は、間違いなく秀人だ。「凄い美人」が秀人かどうかは分からない。もしかしたら、彼に協力者がいるのかも知れない。秀人なら、姿形だけなら美人を装うこともできるだろうが、声だけは化けようがない気がする。


 今回の銃犯罪も、秀人が絡んでいる可能性が高い。銃の入手が困難なこの国で、当たり前のように銃犯罪を引き起こせるのは、彼以外に考えにくい。


 そこまで考えて。


 ふと、亜紀斗は、一つの考えに行き着いた。


 もしかして、咲花に電話をしてきたのは。

 彼女に、今回の犯人のことを伝えたのは。


 亜紀斗は、自分を馬鹿だと思っている。理論的に考えるのが苦手な馬鹿だと。


 ただ、それでも。

 これ以外に、可能性はないと思えた。


 ――笹島に電話を架けてきたのは、金井秀人だ。


 彼がどうやって彼女の電話番号を知ったのかは、分からないが。


※次回更新は1/26を予定しています

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― 新着の感想 ―
川井さんの気持ちを思うと(´;ω;`) 咲花が『いい方向』に変わってきた、そうであってほしい、という希望が芽生えて。 それでいて、影響を与えたのは自分ではないさみしさも抱えつつ。 でもやっぱり愛する女…
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