第九話② 性病少女(後編)
秀人の手をギュッと握り、華も立ち上がった。そのまま二人で、診察室に入る。
医師は女性だった。五十前後、といったところか。彼女の隣りには、看護師が立っている。女医の机には、マウスと、画面が暗くなっているディスプレイ。パソコンのキーボード。
女医の前に、背もたれのある椅子がある。患者用の椅子。
「四谷華さんですね?」
「うん」
華はオドオドとしている。
秀人と女医の目線が合った。受付の女性から、この女医にも話が通っているはずだ。華がどんな人間か。どうして秀人が同行したのか。
女医は華に視線を戻すと、先ほどとは口調を変えた。
「じゃあ、そこの椅子に座ってくれるかな?」
「うん」
秀人の手を握る、華の手。ゆっくりと力が抜け、離された。女医の指示通り、華は椅子に座った。
女医は少しだけ椅子を前に出して、華に近付いた。
「じゃあ、華ちゃん。何個か質問するから、正直に答えてくれる? 正直に答えてくれないと、病気になってるかどうか分からない場合があるし、病気が見つけられなかったら、大変なことになるから」
「病気が見つけられなかったら、どうなっちゃうの?」
「赤ちゃん産めなくなるかも知れない。体中が赤くなって、凄く痛くなるかも知れない。もしかしたら、死んじゃうかも知れない」
「やだ……」
絞り出すような、華の声。
「赤ちゃん欲しいし、痛いのやだし、死にたくない」
「うん。嫌だよね。だから、ね」
「うん」
女医は、いくつか華に質問をしていった。排尿するときに、痛むことはあるか。女性器が痒くなることはあるか。体に発疹が出ることはあるか。いくつか質問した後、処置室に行くよう指示した。実際に女性器を見て、触診等をして、血液検査もするのだろう。
秀人はその間、待合室で待機するように指示された。
診察室から出る間際に、秀人は華の頭を撫でた。
「じゃあ、華。先生の言うことをちゃんと聞いて、頑張るんだよ」
「うん」
華は見るからに怯えていた。無理もない。性病を放置するとどうなるか、聞かされたのだから。間違いなく、不安と恐怖に包まれているはずだ。もっとも、女医の取った手段は、正確な証言を得る方法としては正しい。
秀人は診察室を出て、待合室の椅子に座った。ポケットからスマートフォンを取り出し、適当にニュースを見た。東京で発生した無差別殺人の報道が記載されていた。秀人がまったく関与していない事件。全国各地で発生している事件の――秀人が起こさせた事件の、模倣犯だろう。
他にも、次々とニュースが出てきた。芸能人の不倫騒動から、児童虐待、スポーツ選手の試合結果、年金問題など。
画面上に指を走らせ、タップし、適当なニュースを適当に読み流す。
スマートフォンを操作していると、看護師に声を掛けられた。
「寶田様」
寶田――名刺に記載した、秀人の偽名。
「はい?」
「少し、先生がお話ししたいそうです。よろしいでしょうか?」
「もちろんです」
秀人はスマートフォンをポケットにしまい、立ち上がった。看護師に連れられて、先ほどの診察室に入った。
診察室に、華はいなかった。
「どうぞ、お掛け下さい」
診察室に入ると、女医に椅子を勧められた。
「失礼します」
椅子に腰を下ろす。女医と向かい合う状態になった。
「四谷華さんが罹っていた性病について、一通りお話ししたいのですが、よろしいでしょうか」
「もちろんです。でも、華は今どこに?」
「処置室で看護師が付き添っています。患部の触診や血液検査で、泣いてしまって」
「ご手数をお掛けして」
「いえ」
医師は首を横に振った。そのまま、話を続ける。
「詳しいことは検査の結果が出ないと断言できませんが、ほぼ間違いなく、性感染症に罹っていると思います。それも、複数」
「でしょうね」
不特定多数と避妊具なしで、連日セックスをしていたのだ。無理もない。
「つきましては、四日後以降に、再度受診いただくことは可能でしょうか?」
「はい。では、四日後の、今日と同じ時間でよろしいでしょうか?」
「問題ありません。あと、いくつかお伺いしても?」
「どのようなことでしょう?」
質問に質問を返しながら、会話を続けてゆく。
「華さんは、ほぼ間違いなく性感染症に罹ってます。それはお話しした通りですが、どうしてそのようなことになったのでしょう? 寶田さんはご存じなのでは?」
秀人は頷いた。
「端的に言えば、避妊具を使用しない売春です。華はそれを、毎日繰り返していたそうです」
嘘を言う必要もないので、ここは正直に答えた。
「華さんは、どうしてそんなことを? お金に困ってのことですか?」
「ある意味では正解ですが、ある意味では不正解です」
秀人は嘘偽りなく、華のこれまでについて話した。父親の顔を知らないこと。母親に無碍に扱われていたこと。中学を卒業と同時に生家を出て働き、男に騙されて職場を追われたこと。生家に戻っても、母親はすでにいなかったこと。路頭に迷ったとき、ホストに拾われたこと。華を拾ったホストが悪質で、彼女の知能の低さを利用して売春をさせていること。
華の人生を要約して話すと、彼女がどれだけ不遇かがよく分かる。
秀人の話を聞いた女医も、顔を歪めていた。
「本当にたまたま、私は、華と知り合いました。華の状況を聞いて、ホストに騙されていることもすぐに分かりました。でも、華は、そのホストを信じているんです。だから、本当のことは言えていません。華が、そのホストよりも私を信用してくれるようになったら、話そうと思っています」
「そうですか」
性の搾取は、現代でも起こりえる。売春に取り締まりがなかった頃の、遠い過去の話ではない。
「搾取されるのは、いつだって弱い者です。子供であったり、経済的弱者であったり、華のような知能面での弱者であったり。私は、特に華のような子達に手を差し伸べたくて、今の団体を設立しました」
胸に手を当てて、秀人は力説した。もちろん演技だが。
「団体といっても、定員数ギリギリの小さな団体なんですが」
「素晴しいと思います」
女医の表情が柔らかくなった。秀人の言葉に感銘を受けたのだろうか。そんな彼女の顔が、少しだけ引き締まった。
「では、寶田さん。もう少し詳しく、華さんの状況について伺いますが」
「何でしょうか」
「華さんが最後に性交渉を行ったのは、いつ頃でしょうか?」
「おそらく、一週間ほど前だと思います。私が華と出会ったのが、それくらいなので」
「そうですか……」
女医が何を言いたいのか。秀人にはすぐにわかった。
「HIVの感染についてですね?」
先手を打つと、女医が頷いた。
彼女の様子を伺いながら、秀人は続けた。
「素人のにわか知識ですが――HIV感染の有無の検査をする場合は、最後に疑わしい性交渉があってから、六週間から八週間後が目安と認識しています。ただし、より確実な結果を得るには、三ヶ月くらい経ってからがいいとも」
「その通りです。お詳しいですね」
「私の団体の性質上、調べる必要があったので」
「そうですか」
呟いて、女医は一呼吸おいた。
「寶田さんがそこまで認識されているのであれば、こちらからは、これ以上お伝えすることはないです。性感染症に罹った場合は、性交渉を行った相手も検査を受けるよう推奨しているのですが、それも難しそうですし」
女医の言葉に、秀人は頷いた。華のセックスの相手は、売春の客。名前も連絡先も分からない。
「華には、もう売春はしないよう言い聞かせるつもりです。相手のホストとも、接触できないようにしています」
「わかりました」
女医はパソコンのキーボードを打った。次回の診察の予定を入力している。
「私からのお話は以上です。また四日後に、ご来院をお願いします」
「はい」
秀人は椅子から立ち上がった。
「あと、寶田さん」
「はい?」
「処置室に、華さんを迎えに行ってあげてくれませんか? 華さん、泣きながら、寶田さんのことを呼んでいたので」
華が、辛いときに秀人の名を呼んだ。テンマではなく。現時点で頼れるのが、秀人だけだからなのか。それとも、華の気持ちが、テンマから秀人に動き始めているからなのか。判断するのは難しかった。
「わかりました」
秀人は一礼して、診察室から出た。
処置室に行くと、華が、目を赤くしながら抱きついてきた。
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