第七話① 奴隷少女(前編)
午後三時に、秀人は、華と一緒にラブホテルから出た。
途中まで彼女と一緒に歩き、夜に会う約束をして別れた。
秀人は昨夜、一睡もしていない。華が眠る横で、今後のことを考えていた。彼女を思い通りに利用するために、これからどうするか。
華を洗脳するまでの流れが、簡単に思い浮んだ。
華は、典型的な愛情に飢えている子だ。親から愛情を与えられなかった。それどころか、疎まれていた。正常な知能の発達に必要な環境すら与えられなかった。
そんな人生の中で、素直に謝ることと、人に優しくすることを覚えた。これは、華自身が生き抜くために覚えた、処世術なのだろう。知能ではなく、本能で覚えた生きる術。だから、母親の恋人に無抵抗で犯された。母親の望む通り、実家を出た。主任に裏切られても、怒るより先に泣き寝入りした。
今は、テンマというホストに優しくすることで、生き抜いている。
優しさの名を借りた、隷属。
華の性質を理解すると、簡単に、すべきことが思い浮んだ。彼女を洗脳するために、すべきこと。
まずは、華とテンマを引き離す。最低でも三ヶ月。できれば半年。
テンマと引き離したら、華の体調を整え、かつ、可能な限り知能を上げる。体調の変化に危機感を覚える程度の知能は、最低限必要だ。
華は経口避妊薬を飲んでいるという。処方の際に、血液検査等をすることが多い薬。状況に応じて、性病の検査をする場合もある。
華は、立ちんぼを始める前に経口避妊薬を入手したのだろう。テンマの指示によって。だから、性病の検査にも引っ掛からなかった。
現時点で、華は、間違いなく複数の性病に罹っている。
秀人は、ホテルの中で、眠っている華の性器を観察した。いくつかの性病の兆候が見られた。
華自身も、ある程度の違和感を覚えているはずだ。それでも彼女は、毎日、体を売り続けている。性病という知識がないから、病院で診断を受けるという発想もない。
華に性病を自覚させ、治させる。性病に罹る理由を教え、避妊具をせずにセックスをするリスクを教える。そうすることで、避妊具なしでの立ちんぼを勧めたテンマに対し、不信感を持たせる。
並行して、テンマから秀人に心変わりさせる。テンマへの愛情を目減りさせて心変わりさせるのではない。より強い愛情を秀人に向けさせる。
体調や知能、心情をある程度コントロールしたら、武器の使い方を教える。華は器用だ。ナイフや銃を、上手く使えるようになるだろう。
ある程度の方針を固めると、秀人は、自宅で仮眠を取った。いつものように、飼っている五匹の猫に囲まれて。
午後五時に起床し、体をほぐすと、自主的な訓練を行った。クロマチンの訓練。
秀人は天才だ。自分の才能を自覚もしている。だが、どれほどの天才でも、訓練を怠れば錆び付く。知能も知識も、身体能力も衰える。
以前、秀人は、一度だけ敗北した。咲花と亜紀斗を相手に。
敗北の要因となった、咲花の近距離砲。外部型クロマチンの弾丸を、密着した状態でも有効にする技術。
咲花の近距離砲を食らってから、秀人は、独自に訓練をした。約二ヶ月半で、近距離砲を自分のものにした。
咲花と亜紀斗との戦いでは、色んなことを学べた。今ある常識を打ち破るには、常識外の発想が必要だと知った。古くさい根性論が、奇跡を起こし得ることも知った。
新たな発見をさせてくれたからこそ、秀人は、彼等に対し、素直に負けを認めた。
訓練を終えて、食事をとった。消費したエネルギーを完全回復させるためには、大量の食事が必要になる。
食べながら、本を読んだ。さらなる知識を得るために。秀人の知能は、瞬く間に知識を吸収する。しかし、この世には無数の知識がある。どんなに勉強をしても、し過ぎるということはない。
食事を終えて、シャワーを浴びた。髪の毛を乾かし、昨日と同じくポニーテールにした。
出かけるため、着替える。ジーンズに黒いTシャツ。濃いカーキの、ポケットが複数付いたマウンテンパーカー。スニーカーを履いて、家を出た。
時刻は、午後十時五十分だった。
華は毎日、午後三時から九時まで、ソープランドで働いているという。仕事が終わったら、テンマの店に行く。酒は呑まない。体質的に、あまり呑めないらしい。つまり、ただ金を落とすためだけにテンマの店に行っている。
テンマの店から出たら、鳥々川の橋に立つ。自分を売るために。
秀人は、しろがねよし野まで車を走らせた。適当な有料駐車場に車を停め、鳥々川に足を運んだ。
午後十一時十五分。
橋にいる女の子の数は、少なかった。もともとそんなにいなかった、というわけではないだろう。立ちんぼの混雑の時間は、もう過ぎているのだ。
女の子を買う男は、大抵、仕事帰りに橋に立ち寄る。概ね、午後七時から午後十時頃だ。つまり、この時間にいる女の子は、売れ残りか、もしくは――
「華」
数時間前まで一緒にいた女の子を見つけ、秀人は声をかけた。立ちんぼの混雑時間が過ぎてから、毎日橋に立つ女の子。
華の前には、一人の中年男が立っていた。彼女を買おうとしていたのだろう。
秀人は男の横に立ち、華に微笑みかけた。
「待った?」
「うん。ちょっとだけ。秀人との約束があるから、他の人は断ってたの」
声を掛けてきた中年男を前に、華は素直に答えた。
つい、秀人は笑いそうになった。華に声をかけた中年男が、少し不憫になった。未成年にしか見えない女の子に声をかけ、挙げ句に断られた、哀れな男。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
華を連れて、秀人は橋を渡った。華に振られた中年男は、何も言ってこなかった。不満そうではあったが。
ラブホテルの密集地へ向う。
「ねえ、秀人」
「何?」
「今日も、エッチしないの?」
「しないよ」
「いいの?」
「いいよ。華、セックス好きじゃないんだろ?」
「……うん」
少しだけ気まずそうに、華は頷いた。お金を貰うためにセックスをしている。だけど、セックスが嫌い。
歩きながら、秀人は、答えが分かっている質問を華にしてみた。
「最近、テンマとはセックスしてないの?」
「うん」
華の表情が変わった。好きな人について語る、幸せそうな顔。
「テンマはね、華に優しくしてくれるの。『華がエッチ好きじゃないって知ってるし、それに、男の人とエッチして疲れてるだろう』って言って、我慢してくれるの」
テンマは、我慢しているわけではない。ただ単に、性病に罹りたくないだけだ。
「じゃあ、テンマとは、付き合い始めた頃からセックスしてないの?」
「ううん」
華は首を横に振った。
「付き合い始めた頃は、いっぱいエッチしてたよ。でも、華がソープランドで働き始めたくらいから、しなくなったの。疲れてるだろって言って、ずっと我慢してくれてるんだよ。テンマ、優しいでしょ?」
「そうだね」
恐らくテンマは、華のことを「騙しやすい簡単な女」と認識しているはずだ。だからこそ、平気で、避妊具なしの売春を勧めた。
それなら自分は、テンマの嘘に別の嘘を上書きしてやろう。華に対してなら、簡単に行える。
秀人はすでに、華のことを、警戒心不要な女だと認識していた。知能が低く、人を疑うことを知らず、できるだけ他人に優しくしようとする。今後、自分の家に連れ込んでも、害はないだろう。
秀人は華を連れて、昨夜と同じラブホテルに入った。
前回の部屋は、すでに使用中だった。ワンランク高い部屋を選んだ。この時間だと宿泊になるので、料金は高くなる。一泊一四〇〇〇円。チェックアウトは午前十一時。七階の部屋。
エレベーターに乗って七階まで昇り、部屋に入った。
入室してすぐに、今朝と同じようにシャワーを浴びた。互いに体を洗い合って、バスローブに着替えた。
浴室から出ると、並んでソファーに座った。
「じゃあ、華。今朝の話の続きをしようか」
「うん。お金を稼ぐ話だよね?」
「そう。ちゃんと覚えてたね。偉いな」
頭を撫でてやると、華は嬉しそうに微笑んだ。
「華は偉いから、ちょっと大変でも、頑張れるよな?」
「うん! 華、頑張る!」
両手をグッと握って、華は素直に頷いた。
華の頭を撫でながら、秀人は、真剣な顔を彼女に向けた。
「ただ、大変なだけじゃなく、ちょっと寂しい思いもすることになるよ」
「寂しい? どんな?」
「しばらくね、テンマに会えなくなる。たぶん、半年くらい」
途端に、華の表情が曇った。握った手から、力が抜けていた。
「テンマに会えないの?」
「ああ。いっぱいお金稼ぐために、いっぱい色んなことをしてもらう。だから、テンマとは別のところに住んでもらう」
華の表情が、さらに曇った。
ここで拒否されたら、元も子もない。秀人は華を慰めた。
「でもね、華。俺の言う通りにすれば、今まで以上に稼げるよ。いっぱいお金稼げたら、テンマも喜ぶんじゃない?」
「そう? 華と離れても、お金いっぱい稼げたら、テンマ、喜んでくれるかな?」
「喜んでくれるって。なんなら、今からテンマに電話して、聞いてみる?」
「うん」
華は、脱ぎ捨てている自分の服を手にした。ポケットから、スマートフォンを取り出す。簡単な機能しか備いていない、安い端末。通話とメールしかできず、ネット接続もできない機種。
「そのスマホ、テンマに買ってもらったの?」
「そうだよ。テンマと一緒に選んだの」
「そうか」
ネット接続もできない機種だから、スマートフォンから、世間の情報を得ることもできない。テンマは、華をとことん食い潰す気なのだろう。知識を与えず、情報に触れさせず、テンマだけしか見えないようにして。
「ねえ、華」
通話履歴を操作している華に、秀人は聞いてみた。
「テンマは、店では何て呼ばれてるの?」
「え? テンマはテンマだよ」
「そっか」
テンマとは、店での名前。つまり源氏名だ。テンマは華に、本名すら教えていない。テンマにとって、華はその程度の女なのだ。




