第四話 立ちんぼ少女
五月下旬。ゴールデンウィークも過ぎて、世間は日常を取り戻している。
といっても、昨夜のしろがねよし野は日常からかけ離れていた。
銃を持った中年男性が三人、ビルを襲撃した。キャバクラが三店舗入ったビル。
犯人は、キャバクラのキャスト――いわゆるキャバ嬢――に入れあげた男達。キャストに入れ上げ、老後の資金すら貢いだ哀れな中年男。
彼等はビル内で銃を乱射し、自分から金を吸い上げたキャストを殺害しようとした。襲撃の際に、他の女性達やキャバクラのスタッフを殺害した。
死者六名。重軽傷者十八名。多大な被害を出した後、犯人達は、SCPT隊員達に捕らえられた。
午前七時。
明け方まで集まっていた野次馬は、もう引けていた。
事件があったビルの周辺には警察のバリケードが張られ、刑事や鑑識が、現場の状況などを調べている。
秀人も、午前六時頃に事件現場を後にした。散っていった野次馬に混じって。
黒いパーカーにカーゴパンツ。薄い色が入ったサングラス。髪の毛は編み込まず、ポニーテールにしている。一見すると美女にしか見えない外見。
今回の事件も、秀人が起こさせた。
キャバクラのキャストに惑わされ、彼女に本気で惚れ込み、夢中になり、自分の家族すら蔑ろにした、哀れな中年男達。彼等の目を覚まさせ、中学生のお年玉程度になった貯金に絶望させた。
絶望を、キャストへの恨みに変えさせた。
実に簡単な仕事だった。
いつも通りに、かつ、思い通りに事件を起こせて、秀人は満足していた。
もっとも、気にかかる部分もあった。
今回の事件で、犯人は一人も死ななかった――殺されなかった。犯人達は右手を失いながらも、全員、生きてビルから出てきていた。咲花達に捕らえられて。
亜紀斗が、咲花の犯人殺害を阻止したのか。あるいは、彼女自身に何か心境の変化があって、犯人を殺害しなかったのか。
少し考えてみたが、答えが出るはずもない。秀人は考えるのをやめた。咲花を仲間に引き込めないなら、彼女の変化はどうでもいい。
それよりも、今後のことだ。
しよがねよし野付近をゆっくりと歩きながら、秀人は、現在の国内情勢を思い浮かべた。
秀人が起こした、数多くの大都市での事件。事件の損害により、経営が傾く企業や倒産する企業が出てきた。大都市で凶悪事件が多発したことにより、安全を求めて地方へ移動する人も多い。
経済の状況は大きく傾き、就職難民や職を失う者が多く出てきた。
反面、富める者は、地方に事業を展開し、あるいは犯罪とも言える行為に手を染め、ますます裕福になった。
残酷なほど、貧富の差が大きくなった。
貧しい者は、当然ながら社会に不満を抱く。犯罪に走る者が、ますます多くなる。不満を抱く者達を唆せば、国内情勢をより不安定に出来るだろう。
今まで少人数――十人未満――に起こさせていた事件を、今後は、大人数で起こさせようか。貧困に悩む者達を集めれば、簡単にできそうだ。
十人未満で起こしていた凶悪事件を、十人二十人で起こすようになり、さらにそれが一〇〇人以上の規模になれば。
それはもう、ただの凶悪事件ではない。テロと言えるレベルだ。
テロを、国内各地で発生させてやろう。この国を、無法地帯にしてやろう。
崩れ落ちてゆくこの国を、外国に侵略させてやろう。
そして、この国を、跡形もなく消し去ってやるんだ。
沈んでゆくこの国を思い浮かべて、秀人は、無意識のうちに微笑んでしまった。十年後や二十年後に、今見ている景色は、どのように変わっているのか。そんなことを考えながら、周囲を見回した。
しろがねよし野の端に位置する場所。近隣には、ラブホテルが多く立ち並んでいる。鳥々川というそれほど大きくない川が、ホテル街と繁華街の境界線のように流れている。
ホテル街と繁華街を繋ぐのは、鳥々川の橋。
橋の上に一人、女の子がいた。橋の真ん中あたりで、顔を伏せて座り込んでいる。
こんな場所に女の子が一人でいる理由に、秀人はすぐに気付いた。
――売春の客待ちをしていたが、誰にも買われなかった。
国内の都心部では、個人売春が社会問題の一つとして取り上げられていた。特定の場所に立ち、男に声を掛けられるのを待つ女の子達。立って客を待つ行為を「立ちんぼ」と呼んでいた。
国内の経済状況が揺らいでいる現在、個人売春をする女性の数は、驚くほど増えていた。統計では、五十倍以上にもなっているらしい。
立ちんぼも、都心部だけではく、全国各地で見られるようになった。
鳥々川付近は、市内でも有名な立ちんぼのスポットだ。すぐ近くに繁華街やホテル街があるのだから、立地条件としてはうってつけだろう。
思いつきのように、秀人は考えた。
立ちんぼをしている女の子達を使って、事件を起こしてみようか。
個人売春をしている女性は、数多くいる。体を売る理由は、人それぞれだろう。生活の困窮、男に貢ぐ、経済状況に見合わない遊び方をしたい。いずれの理由であっても、共通することがある。
経済的困窮。
金に困っている者を惑わすことなど、容易だ。十数人、あるいは数十人単位で集めて、今度は、公共交通機関でも攻めてやるか。
様々な思惑を抱きながら、秀人は、橋の上で座っている女の子に近付いた。彼女から、まずは情報収集をしよう。立ちんぼをしている女の子同士で、横の繋がりはあるのか。どんな理由で体を売る子が多いのか。現状に対してどのような不満があるのか。
「ねえ、君」
秀人が声をかけると、女の子が顔を上げた。思ったよりも若く見えた。幼い、と言ってもいい。高校生か、下手をすれば中学生た。背中まである長い髪。化粧っ気のない顔。大きくクリッとした垂れ目が印象的だ。
秀人に声を掛けられた女の子は、不思議そうに首を傾げた。
「あの……お兄さんですか、お姉さんですか?」
秀人は地声で、女の子に声を掛けた。つまり、男の声で。しかし、外見は美女である。秀人の見た目と声の差異に、彼女は戸惑っているらしい。
それにしても――と、秀人は少し気にかかった。女の子の喋り方と、口にした言葉。もしかして、と思う。
疑問を胸に残したまま、秀人は、彼女の質問に答えた。
「俺は男だよ」
途端に、女の子は立ち上がった。どこか焦ったように、秀人に縋ってきた。
「お願い! 華とエッチして、お金ください! 華、安くするから!」
彼女――華という名前のようだ――の顔をよく見ると、涙の痕があった。誰にも買われなくて、泣いていたのだろう。そんなに金に困っているのか。
「お願い! イチでいいから! ゴムもいらないから! 華、夕方から仕事だけど、それまで、好きにしていいから!」
イチ――一万円。金の価値は人それぞれだろうが、売春の価格としてはかなり安い。
秀人は小さく息をつき、華の頭を撫でた。
「分かったよ。じゃあ、ホテルに行こうか」
華とホテルに行く理由は、もちろん、セックスをするためではない。
「お兄さん、ありがとう!」
華の顔が、パッと明るくなった。無邪気な少女、という表現がピッタリと当てはまる表情。
華は、秀人の腕にしがみ付いてきた。恋人に甘えるように。
彼女を連れて、秀人は橋の向こうに渡った。
※次回更新は明日(11/30)の夜を予定しています。
悪化する国内の経済状況。治安。
国の情勢は、秀人の思い通りに変化していた。
そんな中で見つけた、一人の少女。
たまたま秀人と出会い、たまたま秀人に声を掛けられ、連れ立った少女。
秀人はこれから、彼女をどうするのか。




