第三話② しろがねよし野キャバクラ襲撃事件(後編)
更衣室の外には、短い廊下。音を立てず、ゆっくりと進む。
店内を覗ける位置に来ると、影に隠れて様子を伺った。
テーブルやソファーが、いくつも並んでいる。薄暗い――というよりも、妖艶な感じを抱かせる色彩の明り。犯人が三人、並んでソファーに座っている。
犯人の一人に銃を突き付けられ、男のスタッフが、スマートフォンで通話をしていた。しばらくしてスマートフォンを顔から離し、怯えた様子で、犯人に何かを伝えた。
直後、犯人の一人が、天井に向って銃を撃った。オートマチックタイプの銃。サイレンサーは付いていない。轟音が、店内に響いた。
銃声の後、犯人が怒鳴り散らした。
「馬鹿野郎! 電話に出ないなら、出るまで架けろ! とっととサナを呼び出せ! 一時間以内に呼び出さなかったら、また一人殺すからな!」
どうやらスタッフの男は、本田沙那美に電話を架けていたらしい。
亜紀斗は、さらに店内の様子を観察した。男のスタッフが二人、入口付近で倒れていた。入口に一番近いソファーの影から、女性の足が見える。ヒールを履いた足。女性が倒れているのだ。三人とも、銃で撃ち殺されたのだろう。
薄暗い店内では分かりにくいが、犯人三人は中年のようだ。先ほどのキャストの証言通り、四十代中盤、といったところか。
藤山の指示通りに動くなら、まず咲花が、外部型の弾丸で犯人達の銃を撃ち落とす。同時に、内部型三人で、犯人達を取り押さえる。
しかし、藤山の指示通りにはいかないだろう。亜紀斗は確信していた。咲花は、犯人達の銃など狙わない。いつものように、彼等を撃ち殺すはずだ。
咲花の行動が予測できるからこそ、亜紀斗は、彼女を止める方法を考えていた。これもまた、いつものように。
もう二年近くも続けている、咲花との争い。殺そうとする咲花。止めようとする亜紀斗。もっとも、咲花の犯人殺害を阻止できたことは、今まで一度もない。
咲花は優秀な隊員だ。強さに関しては、亜紀斗よりも一枚上。賢さや冷静さは、数段上だ。総合的な能力から考えると、亜紀斗が彼女を止められないのは当然と言える。
けれど、亜紀斗が咲花を止められない理由は、実力差だけではない。
亜紀斗は、なんとなく気付いていた。どうして自分が、彼女を止められないのか。
藤山から、咲花の過去を知らされたとき。彼女の凄惨すぎる過去と、抱えている憎しみや悲しみを知ったとき。自分と同じように、過去に縛られていると気付いたとき。
咲花に対して、共感と同情に似た気持ちを抱いてしまった。
亜紀斗は咲花が嫌いだ。実戦訓練で彼女と向かい合ったら、本当に殺すつもりで戦っている。正反対の信念を持ち、かつ、まったく気の合わない彼女に対し、気など遣えない。
それなのに、凶悪犯を前にすると、なぜか咲花の気持ちに寄り添いたくなる。
店舗内では、犯人が、スタッフやキャストを脅しながら命令していた。酒を持ってこい。氷を持ってこい。そこの女、脱げよ。
犯人三人の左手薬指には、指輪が光っていた。既婚者。家族がいる。そんな彼等が、財産を食い潰すほどキャバクラのキャストに入れ込んだ。本田沙那美に騙されていたのか、彼等が勝手に恋愛感情を抱いたのか――本当の理由は、今のところ不明だ。
ただ一つ、確実に言えるのは。
犯人達は家族を裏切り、家族のための財産を食い潰し、若い女に入れ込んだ。さらに、家族の気持ちも考えないで、こんな凶行に走った。
正直なところ、犯人達を徹底的に殴ってやりたい。
反面、亜紀斗の頭の中では、やはり先生の信念が思い浮ぶ。
『償いは、許されることを期待するものじゃない。自分が壊してしまったもの以上のものを作り上げることだ』
犯人達は、許されないことをした。だからこそ、これからの人生全てを使って、償いをしなければならない。家族に対して。自分達が奪ってしまった命に対して。殺された人達の、遺族に対して。
決して揺るがない、亜紀斗の信念。先生のようになりたくて、必死だった。そんな亜紀斗を、当時の恋人はずっと支えてくれた。それこそ、命が尽きるまで。
背負っていかなければならず、背負い続けたくもある、失ってしまった大切な人達。
亜紀斗が背負っているものに反する、咲花への情。
心が乱れていた。ここ一年くらい、咲花と一緒に犯行現場に来ると、必ず心が掻き乱される。
「いくよ」
小さく、咲花が呟いた。
亜紀斗は我に返った。
咲花の右手の指先で、景色が歪む。外部型クロマチンの弾丸。それが、三発。
犯人達までの距離は、約十五~十八メートルほど。咲花の弾丸の、射程圏内だ。
咲花は物陰から飛び出し、犯人達に向って構えた。
外部型クロマチンの弾丸の速度は、平均で時速約二〇〇キロメートル。咲花の弾丸は、二二〇~二三〇キロメートルくらいだろう。銃弾に比べれば、かなり遅い。しかし、犯人達が銃の引き金を引く前に、弾丸は彼等に到達する。
咲花が弾丸を放った。
ほぼ同時に、亜紀斗を含めた隊員三人は、犯人達に向って走り出した。
犯人達に迫る、咲花の弾丸。クロマチンの弾丸は無色透明で、目視することはほぼ不可能だ。外部型クロマチンを発したときは周囲の空間が歪んで見えるが、高速で動く弾丸の歪みなど、見切れるはずがない。
犯人は、咲花の弾丸を回避できない。
だから亜紀斗は、犯人に向って走り出しながら、ほぼ確信していた。
――今回も、犯人を殺される。
いや。違う。
――今回も、殺すのを見逃した。
咲花の弾丸が、犯人達に命中した。
亜紀斗が犯人達に向って走り出したのは、咲花が弾丸を放った後。当然だが、亜紀斗が犯人に到達する前に、咲花の弾丸は犯人に当たっていた。
銃を持った、犯人達の右手に。
咲花が放ったのは、破裂型の弾丸だった。全て、犯人達の右手首に当たった。手首が吹っ飛び、銃を持った手が身体から切り離された。ゴトリという重い音を立てて、銃を持ったまま床に落ちた。
犯人達の右手首から、血が流れている。怪我の割に出血量が少ないのは、外部型クロマチンで撃たれた際の特徴だ。
大怪我を負った犯人達。しかし、生きている。救急車を呼んで処置をすれば、命を失うことはないだろう。
思わず亜紀斗は、犯人に到達する前に立ち止まってしまった。足を止めた理由は、もちろん、犯人達の怪我や床に落ちた手に怯んだからではない。
咲花が、犯人を殺さなかった。あまりに正確に、かつ作戦通りに犯人達の戦力を奪い、戦闘不能にした。
戦闘不能にするだけに止めた。
「あ? あ……」
犯人達が、自分の右手を見ている。手がなくなり、血が流れている手首。あまりに信じがたい光景に、混乱しているのだろう。震えながら、悪夢でも見ているような顔をしている。
「佐川! 何止まってんの!?」
亜紀斗の背後から届いた、咲花の声。
「早く捕まえて!」
咲花の声で、亜紀斗は我に返った。
直後、犯人達が絶叫を上げた。手を失ったことが現実だと、理解したのだろう。意味不明な叫びを発している。言葉にならない悲鳴。
亜紀斗は犯人の一人に接近し、彼を組み伏せた。左手に手錠を架けたが、右手には架けられない。手錠を架ける手がない。仕方なく、右手の肘辺りに手錠を架けた。たぶん抜けはしないだろう。
他の隊員達も、亜紀斗と同じように犯人を捕縛していた。
犯人達は相変わらず、涙が混じった悲鳴を上げている。
咲花がこちらに来た。ポケットからスマートフォンを取り出し、発信した。
「あ、隊長。終わりました。犯人は三人。全員捕縛しました」
淡々とした、咲花の口調。藤山と話しながら、泣き叫ぶ犯人達を見下ろしている。ゴミでも見るような目で。そんな冷たい目のまま、咲花は、藤山との会話を続けた。
「え? 生きてますよ、三人共。手首が吹っ飛んで、右手がなくなりましたけど」
犯人達を見下ろす咲花。
犯人を捕縛し、取り押さえている亜紀斗。
亜紀斗と咲花の目が合った。
「ええ、分かりました。では、犯人を連れてそちらに戻ります。後のことはお願いします」
藤山への報告を終えて、咲花は電話を切った。スマートフォンをポケットに戻す。
亜紀斗と咲花の視線は、絡んだまま。薄暗い店内でも、彼女の表情はよく見える。いつもと同じ、冷静で冷徹な、澄ました顔。綺麗な顔立ちをしているだけに、言葉に出来ない迫力を感じる。
「何? 私の顔に何かついてるの?」
「いや。ただ……」
咲花が、犯人を殺さなかった。そのことに、亜紀斗はただ驚いていた。犯人確保の際に、思わず足を止めてしまう程度には。
表情を変えないまま、咲花が聞いてきた。
「作戦通り。問題ないでしょ?」
「ああ。問題は……ないな」
「じゃあ、そいつら連れて戻るよ。隊長が、救急車も手配してるんだって。私達が戻ったら、現場検証もするみたい」
「わかった」
犯人を捕らえながら、亜紀斗は立ち上がった。頭が混乱するほど戸惑いながら。
※次回更新は明日(11/29)の夜を予定しています。
犯人を殺さなかった咲花。
彼女の行動に戸惑う亜紀斗。
少し変化した二人。
では、かつて彼等と戦った秀人は、何をしているのか。
変わっているのか、変わっていないのか。




