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罪と罰の天秤  作者: 一布
第二章 金井秀人と四谷華
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第一話 獣が人になり得るのか


 亜紀斗に関われば関わるほど、違和感は大きくなっていった。


 実戦訓練で彼と戦うたびに、疑問を抱くようになった。


 ――どうしてあいつは、あんな甘い信念を抱いているのか。


 亜紀斗が道警本部に異動してきてから、二年ほどが経っていた。


 五月。


 咲花は幾度も、実戦訓練で亜紀斗と戦った。


 咲花と戦っているときの亜紀斗は、全身に殺意を(みなぎ)らせていた。明かに、殺す気で咲花に向ってきていた。


 彼から滲み出る、暴力性と凶暴性。


 咲花と亜紀斗は、嫌い合っている。嫌いな相手だから、戦う際には殺意を抱くこともあるだろう。


 けれど、亜紀斗の殺気は、相手が嫌いという理由だけで放てるものではなかった。気の弱い者が向けられたら、それだけで失禁しそうなほどの殺気。


 暴力性と凶暴性こそ、亜紀斗の本質だ。そう、咲花は確信していた。罪を犯した者に罰を与えるよりも、犯した罪以上の償いをさせる――そんな甘い考えなど、まるで似合わない。


 亜紀斗は、右の頬を殴られたら左の頬も差し出すような人間ではない。一発殴られたら三発は殴り返すタイプの人間だ。


 本来なら、咲花の行動に賛同しそうな人間。


 そんな亜紀斗が、どうして。


 違和感を拭い切れず、咲花は、藤山に疑問をぶつけてみた。道警本部で、もっとも亜紀斗のことを知っていそうな人に。


「あれぇ? 咲花君、もしかして、亜紀斗君に興味があるのぉ?」


 嬉しそうに言った藤山を、殴りたくなったが。


 とはいえ、正直なところ、確かに興味はあった。亜紀斗のことが嫌いだからこそ、興味を持った。


 藤山はあっさりと、亜紀斗のことを教えてくれた。


 十代中盤まで、亜紀斗が、ひどく荒れていたこと。市内のいたるところで喧嘩をしていたこと。十六のときに、喧嘩の相手に大怪我を負わせ、保護観察処分になったこと。


 昔の亜紀斗のことを聞いても、咲花はまったく驚かなかった。むしろ、喧嘩ばかりしている姿の方が、違和感なく想像できた。


 保護観察所分になったとき、亜紀斗は、一人の刑事に出会った。少年課の刑事。


 亜紀斗は、その少年課の刑事を「先生」と呼んで慕った。街中で絡まれても喧嘩をしなくなった。それどころか、自分が大怪我をさせた喧嘩の相手に、謝罪までしたそうだ。


 その「先生」が、亜紀斗にどんなことをしたのか。どんな関わり合い方をしたのか。藤山も、詳細までは知らないという。


 ただひとつ、分かっているのは。先生の影響を受けて、亜紀斗は警察官を目指した。先生のような警察官になりたくて。


 先生のように、荒れ果てた者の道標になりたくて。


 そこまで聞いて、咲花は気付いた。亜紀斗の信念は――罪を犯した者に償いをさせるという考えは、もともと、先生の信念だったのだと。


 単純な話だ。自分を救ってくれた人と、同じことをしているだけ。


 とはいえ、やはり疑問が残る。単なる憧れだけで、あそこまで自分の本質を抑え込めるものだろうか。亜紀斗ほどの凶暴性と暴力性を秘めた人間が、凶悪な犯罪者を前に自制できるものだろうか。


「佐川の先生って、どんな人なんですか? 道警本部の人なんですか?」


 素朴な疑問。


 咲花の問いに対し、藤山は、眉をハの字にした。いつもの胡散臭い笑みを浮かべたままで。


「亡くなったんだよねぇ。僕もその人とはあまり面識がないから、正確な時期までは覚えてないけど。でも、亜紀斗君がSCPT隊員の訓練生だったときだから、七、八年くらい前だと思うけどねぇ」


 藤山の返答を聞いて、咲花の中の疑問が解けた。


 亡くしてしまった恩人。自分を救ってくれた人。今の自分を見せたくても、二度と見せられない人。大切な、報いたい人。


 咲花は気付いた。嫌でも気付かされた。亜紀斗は自分と似ているのだ、と。


 咲花は、姉の死を背負っている。


 亜紀斗は、先生の死を背負っている。


 背中に担いだ、重すぎる誓い。亡くなってしまった大切な人に、どんなことをしても報いる。


 だから亜紀斗は、自分を抑えることができるのだ。彼の掲げる信念が、あまりに重いから。凶暴性や暴力性を押し潰すほどに。


 亜紀斗の過去を聞いて。自分の過去を見つめて。咲花の心に、迷いが生まれた。


 つい、考えてしまった。


 もし、姉を殺した犯人達が、心から後悔し、反省するのなら。姉の死を背負い、自分の欲望を抑え切れるのなら。身を粉にして、償いのためだけに生きるのなら。


 自分は、彼等を許せるだろうか。


 考えて、答えは簡単に出た。


 許せるわけがない。


 本当は、姉と同じ苦しみを与えて殺してやりたい。毎日毎日痛めつけて、「殺して」と懇願するほどの地獄を見せて、それでも生かし続けて。絶望の中で人生を終わらせてやりたい。


 でも、と思う。


 彼等が姉を殺したことを悔いて、同じような事件が起こらないように尽力するなら。自分達が奪ったものの大きさを伝え、自分達の罪深さを語り、他の犯罪者予備軍を止める抑止力になるのなら。


 彼等にも、生きている価値はあるんじゃないだろうか。


 咲花は、姉を殺した犯人達を許せない。たぶん、一生許せない。たとえ彼等が、どのような謝罪をしても。どれほどの償いをしても。


 けれど、彼等の償いが、姉の事件を終わらせるキッカケになるのではないか。咲花の中で、姉の事件を終わらせるキッカケ。


 加害者が心から償った場合の、被害者遺族の気持ちを考えてみた。


 被害者遺族の感情というのは、様々だ。突如として、理不尽な理由で大切な人を奪われた。やり場のない悲しみに、心がズタズタに引き裂かれているだろう。犯人への怒りに、胸が焼かれているだろう。


 状況により、犯人に死刑判決が出ることもある。


 犯人に死刑判決が出たら、被害者遺族の心に、ひとつの区切りがつく。もちろん、死刑判決だけで、遺族の怒りや悲しみが消えるわけではない。とはいえ、犯人の命を――人生を奪う判決は、ある意味で復讐の役割を果たす。復讐を果たし、事件に一区切りをつけるキッカケとなる。


 だが、犯人に死刑判決が下されなかった場合はどうか。


 その判決は、ある意味で、遺族に絶望を与えることになる。犯人が奪った命の重さは、犯人自身の命よりも軽いと言われているようで。刑期を終えた犯人が、償いを終えたという(てい)で、当たり前に生きられるのだから。


 では、刑期を終えた犯人が、ただ当たり前に生きるのではなく、ひたすら償いのためだけに生きたらどうか。


 遺族は決して、犯人を許さないだろう。


 許さないが、犯人が生きることまで否定するだろうか。


 そこまで考えて、咲花は分からなくなった。


 償いのために生きているということは、何らかの形で誰かの役に立っているということだ。もしかしたら、誰かの命を救うことすらあるかも知れない。


 彼等が奪った命よりも、多くの命を救うかも知れない。


 もしも。


 もしも、姉を殺した犯人達が、そんな償いの人生を歩んだとして。


 もしも、償いに生きる犯人達を、誰かが殺したとして。


 犯人の死によって、ほんの少しだけでも、怒りや悲しみが薄れるのだろうか。


 どれだけ考えても分からない。


 亜紀斗の先生は、この答えを知っていたのだろうか。


 聞いてみたいが、先生は、すでに亡くなっているという。


 咲花の心は、出口のない迷路に入り込んだ。


※次回更新は明日(11/26)の夜を予定しています。


亜紀斗の過去を知った咲花。

犯罪者ではないにしても、亜紀斗は、更生して自分を変えた人間だった。


人は変われると、亜紀斗自身が証明していた。自分の欲望を抑え込み、犯した罪以上の償いができるのだと。


亜紀斗の事実を知って。


断罪を掲げる咲花は、何を思うのか。どう行動するのか。

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