第三十六話 事実はどこまでも薄汚い
この国は、地方分権の体制を取っている。各都道府県は、法律に違反しない範囲での条例を制定することができる。行政機関として、一定の範囲で独立している。
とはいえ、その大本は国にある。権限や権力は、最終的には、全て国に属している。
各都道府県における行政機関のひとつが、警察――都道府県警である。管轄区内の活動においてほぼ全ての権限を有し、都道府県公安委員会に管理されている。
もっとも、各都道府県警の指揮監督をしているのは、警察庁である。
警察庁は国家公安委員会に管理され、国家公安委員会は内閣府の外局であり、国家公安委員会の委員長は国務大臣である。
そして、国務大臣の任命や罷免――解任すること――は、内閣総理大臣によって行われる。
つまり、結局のところ、国の行政機関はピラミッド型の縦社会となっている。内閣総理大臣をトップとした、ピラミッド。もちろん、政党派閥等はあるが。
かきつばた中学校での事件から二ヶ月。
咲花は、事件後、怪我の治療に専念した。左足の骨は粉砕骨折をしており、手術が必要だった。さらに、皮膚が剥がれ、血管もボロボロになっていた。まだ完治したとは言えないが、ようやく、走れる程度には回復した。
回復後、咲花は行動を開始した。
かきつばた中学校の屋上で、秀人に言われた言葉。
『二十五年前の事件について、詳しく調べてみなよ。といっても、表向きの捜査資料じゃない。秘匿されてる、本当の資料を』
二十五年前の事件――警察官一家惨殺事件。
まずは、一般的な捜査資料を調べてみた。残された資料の中身は、世間に知られている内容と相違なかった。
誤認逮捕された少年四人が、逮捕した警察官を恨み、彼の家を襲撃した。警察官とその妻、娘を惨殺した。逮捕後、自分達の人生に絶望し、同時に復讐を果たしたことに満足し、自殺した。
秀人の言葉を信じるなら、この捜査資料には事実が記載されていない。記載されているのは、表向きに発信できる内容だ。
では、発信できない内容は――事実は、どうやって調べるか。
簡単だ。事実を知り得る者に確認する。
咲花は、警察庁長官にコンタクトを取った。国内警察のトップ。法を遵守し、治安を守る立場でありながら、児童買春に手を染めている愚者。児童買春に手を染めている愚かな息子までいる。蛙の子は蛙、ということだろう。悪い意味で。
警察庁長官は、二十五年前の事件に関し、最初はシラを切ろうとした。だが、咲花が少し揺さ振りをかけると、すぐに口を割った。何度も他言無用だと念押ししたうえで。
二十五年前。市内郊外にある、一戸建て。ある少年課の刑事の自宅で、起った事件。
そこを襲撃した犯人は、五人いた。
そのうち四人は、地元の不良だった。万引き、恐喝、傷害、強姦を繰り返す、矯正など不可能と思える少年達。繰り返す犯罪により、保護観察中だった。
市街地で遊び回っていた彼等は、一人の少年と意気投合した。長期の家族旅行で遊びに来ているという少年。
少年は、五味秀一と名乗った。
五味は羽振りが良かった。五人で風俗店をハシゴした。酒を飲み、酔った勢いで、通りすがりの中年に因縁をつけた。気が済むまでリンチをした。
酔いの覚めた四人が「またやっちまった」「保護観察中なのに」とうなだれたとき、五味は、鼻で笑った。
「問題ねぇよ。俺の親父、大物だから」
五味は決して、自分の父親の身分を明かさなかった。ただ、自分の父親は大物で、事件を揉み消すくらいは簡単だと語った。
四人は、五味の話に興味を持った。どのくらいの事件なら揉み消せるのか、と。
五味は答えた。殺人でも何でも揉み消せる、と。
五味の言葉に対し、四人は、最初は半信半疑だった。半信半疑ながら、彼に、自分達の恨み辛みを語った。少年課の警察官に逮捕されたこと。そのせいで、窮屈な思いをしていること。どうにか仕返しをしたいということ。
「その警察官の名前、分かるか?」
五味に聞かれて、四人は答えた。
五味は、電話連絡ひとつで警察官の住所を調べ上げた。
調べ上げた上で、四人に持ちかけた。
「仕返ししねぇとな。オトシマエ、ってやつだ」
五人は、警察官の家に向った。
郊外にある家の周囲には、それほど人もいない。誰かを襲い、家を襲撃するには最適な環境と言えた。
五人は物陰に隠れて、警察官の帰宅を待った。
四人を逮捕した警察官が帰宅してきた。家の鍵を開けた。その瞬間に、五人は、刑事に襲いかかった。鉄パイプを持って。
警察官を滅茶苦茶に痛めつけた。
警察官は必死に、家の中の家族に叫んだ。逃げろ、と。
五人は、家の中に侵入した。鉄パイプで滅多打ちにし、何カ所も骨折させた警察官を引きずって。
家の中には、警察官の妻がいた。五人を迎え撃つように、包丁を構えていた。
妻の包丁を鉄パイプで叩き落とし、彼女に襲いかかった。
家の中から、警察官の娘が出てきた。手に棒を持って、五人に襲いかかってきた。
五人は容易く、娘の武器も叩き落とした。
そこからは、五人にとっての宴だった。警察官の妻や娘を、嬲り尽くした。
警察官は、襲撃開始後、約一日ほどで絶命したと考えられている。
宴は、三日間続いた。妻や娘を、正気を失うまで嬲り尽くした。宴に飽きた五人は、彼女達も殺した。三人の遺体を放置し、彼等は、警察官の自宅を後にした。
郊外にある家だから、事件の発覚は早くないと思っていた。
ところが、事件は早々に明るみになった。警察官の家族は、妻と娘だけではなかった。息子もいたのだ。
その息子が、通報したのだという。
五味はすぐに動いた。自らの保身に。父親に、この事件のことを相談した。
すぐに隠蔽工作が行われた。五味の存在は伏せられ、他の四人だけが逮捕された。かつて、被害者の警察官に逮捕された四人。
四人の口から、五味の存在が漏れるのは避けたい。だから、彼等を始末した上で、留置所で自殺したと公開した。
当然ながら、少年達が自殺した理由が必要だった。自殺と犯行に因果関係を持たせるため、被害者の警察官による誤認逮捕をでっち上げた。
犯人の少年四人は、被害者の警察官に誤認逮捕された。誤認逮捕への恨みから、今回の犯行に及んだ。復讐を果たしたことに満足し、かつ、殺人を犯したことへの絶望から、自殺した。
五味を守るために作られたシナリオ。世間に公開された嘘の情報は、五味にとって都合にいい効果を生んだ。
通常の事件の場合、犯人のことを調べ上げる者がいる。少年四人のことを調べ上げられたら、五味の存在に辿り着いたかも知れない。
だが、世間では、少年四人はある意味で被害者だと捉えられた。誤認逮捕により、人生を狂わされた被害者。
結果として、世間の非難の矛先は、誤認逮捕をした警察官に向けられた。
残酷な最後を迎えた警察官に――彼の家族に、同情する者は少なかった。同情どころか、身勝手な正義を振りかざす者達の的になった。
メディアでは、連日、事件のことが報道された。
『人生を狂わされた少年達』
『許されざる職権の行使』
『誤認逮捕が招いた悲劇』
テロップや紙面は、少年達に対する複雑な思いと、警察官を批難する言葉で飾られた。
事件の捜査が終了し、誰も居なくなった警察官の家に、火を点ける者までいた。
放火され、全焼した警察官の家。家の中にあった物も、全て焼け焦げた。思い出も、全て。家族旅行のお土産。幸せだった頃の家族写真。息子が書いた、家族の絵。娘と息子が両親に贈った、誕生日プレゼント。
全てが、灰になった。
秘匿され、隠蔽され、捻じ曲げられた事実。
決して知られてはならない事実だからこそ、実際に事件があった地方警察に、正しい資料は残されなかった。脚色された資料が、まるで事実だと物語るように残された。
それが、二十五年前の事件の真実。
秀人の復讐の根源。
事実を知った咲花は、納得する他なかった。
どうして秀人が、こんな犯罪に走ったのか。どうして彼が、躊躇いなく、犯罪者でもない人を事件に巻き込めるのか。
秀人にとって、この国の人間は――国そのものが敵であり、仇なのだ。
秀人の家族を惨殺した五人。その中の生き残り。
五味秀一。現在の、防衛大臣秘書。
彼の父親は、五味浩一。現在の防衛大臣。二十五年前の内閣総理大臣。
秀人は、無意味に事件を起こしているのではない。
意味もなく犯罪を重ねているのではない。
彼は、国に復讐したいのだ。
自分の家族を貶めた、この国に。批難の矛先を自分の家族に向けた、国民に。
◇
秀人の逮捕と勾留から、わずか三日後。
彼は、あっさりと逃亡した。
ただし、監視していた者達は、誰一人として殺されなかった。殺した方が逃亡が容易に行え、かつ、確実であるにも関わらず。
もしかすると、それも、咲花と亜紀斗が秀人に勝った「ご褒美」なのかも知れない。
※明日(11/4)も更新します。
国が「正義」を遵守しなければ、国民は、何が正義か判断できない。国民は、「正義」を執行することもできない。
秀人の事件は、国が社会正義を無視し、権力保持と保身に走った結果。
あっさりと逃亡した秀人は、これからどう動き、どう生きてゆくのか。




