第三十五話② 近付いたのか変わらないのか(後編)
「いやいや、だから待ってってば」
先ほどと同じ言葉を繰り返して、秀人は溜め息をついた。
「言っただろ。俺の負けだ、って。抵抗はしないよ。今回は大人しく捕まってあげる。亜紀斗君がその気だったら、俺は殺されてただろうし」
「……」
確かにそうだ。秀人が、咲花の近距離砲で倒れたとき。ダメージで動けないときの彼なら、殺せていた。
「だからさ、ちょっと話をしようよ」
「話?」
「そう。咲花はさっき、俺に聞いてきたよね。どうしてこんなことをしてるのか、って」
確かに咲花は、秀人に聞いていた。
亜紀斗は、秀人と戦う前のことを思い出した。
『家族が殺される痛みを知ってる人が、どうしてこんなことしてるの?』
『俺の仲間になるなら、全部教えるよ。表に出ていないことも、全部。そうしたら、理解してもらえると思う。どうして俺が、こんなことをしてるのか。これが復讐だってことも』
戦う前の、秀人と咲花のやり取り。
「咲花は俺の仲間にならないみたいだけど、教えてあげる。俺に勝ったんだから、そのご褒美かな」
言いながら、秀人は、両足を少し動かした。繋がれている手錠が、ガチャガチャと音を立てた。
「ねえ、佐川君」
「何だよ?」
「せめて、足の手錠だけでも外してくれないかな? こんなのしてても無意味だし、邪魔なんだよね」
「そう言われて、『はい外します』なんて言うと思うか?」
「だよね」
秀人は眉をハの字にして、苦笑した。
「でも、これ、本当に邪魔なんだよね。だからごめんね」
言うが早いか、秀人は、両足を広げて手錠を破壊した。バキンッという金属音が屋上に響いた。
「……てめぇ……」
「はいはい、そんなに睨まないで。抵抗なんてしないから。それに、先に謝っただろ?」
亜紀斗はつい、舌打ちしてしまった。秀人の様子が、いちいち癪に障った。
大怪我をしているものの、余力と余裕がある秀人。彼に比べて、亜紀斗はエネルギーが尽きかけている。咲花は動くことも難しい重傷。
まるで勝った気がしない。
「で、秀人さん」
咲花は落ち着いていた。
「どうして秀人さんは、こんなことをしてるの?」
戦う前と同じ質問を、咲花は秀人に向けた。
「そうだね……」
秀人の口から漏れる息が、白くなっている。微笑は消えていない。
「二十五年前の、警察官一家惨殺事件の話はしたよね?」
「うん。その生き残りが秀人さんだ、って」
苛立ちを抱えながら、亜紀斗は口を挟まなかった。秀人の過去には、亜紀斗も関心がある。
警察官一家惨殺事件――その概要は、亜紀斗も知っている。少年課の刑事の家に、四人の暴漢が押し入った事件。刑事とその妻、娘が惨殺された。
事件当時、亜紀斗はまだ物心もついていなかった。この事件の存在を知ったのは、警察官になった後だ。
「あのとき、俺はまだ八歳だった。姉さんに洗濯槽に押し込まれて、隠されたんだ。だから俺は、犯人達に見つからなかった」
「知ってる。息子が一人だけ生き残って、その息子が通報して、事件が明らかになったんだよね。生き残った息子が秀人さんだってことは、知らなかったけど」
「そっか」
少しだけ間を置くように、秀人は空を見上げた。雪はまだ、緩やかに降り続けている。
「まあ、そんなわけで、俺一人が生き残ったんだけど――」
言いかけて、秀人は、不自然に言葉を切った。空を見上げていた顔を、塔屋に向けた。
「どうしたの? 秀人さん」
咲花に聞かれて、秀人は少し困った顔をした。
「ごめんね、咲花。話そうと思ったけど、時間切れみたいだ」
「?」
「佐川君が呼んだ人達が、こっちに向ってるみたい。足音が聞こえる」
「は?」
亜紀斗には何も聞こえない。
「秀人さんが言うなら、もう来るんだろうね」
咲花は、秀人の言うことにあっさりと納得したようだった。
そういえば、戦う前に咲花が言っていた。秀人は異常なくらいに耳がいい、と。
一分もしないうちに、亜紀斗の耳にも足音が聞こえてきた。大勢の足音。階段を駆け上る音。
すぐに、塔屋にあるドアが開かれた。バタンッ、と勢いよく。
大勢のSCPT隊員が屋上に駆け込んできた。藤山の姿もあった。
「よいしょ、っと」
小さく呟いて、秀人は立ち上がった。
屋上に来た隊員達が、秀人に対して身構えた。一定の距離をおいて、近付いてこない。警戒しているのだろう。藤山から、秀人の情報を聞いたのだろうか。
ただひとり、藤山だけが無警戒だった。普段通りの表情。ゆっくりとした歩調で、こちらに近付いてきた。
「やあ、秀人君。久し振りだねぇ」
「久し振りだね、藤山さん」
「どうだった? うちの二人は。強かったかい?」
「そうだね。正直、少し驚いたよ」
「うんうん。ウチの期待のコ達だからねぇ。だから、君が犯人だって知ったときは、慌てたよ。このコ達が殺されるんじゃないか、って」
「よかったね。二人とも、命に別状はないよ。咲花は大怪我してるけど。でも、俺に勝つくらいだから、本当に成長したよ」
「そっかぁ。秀人君に勝ったのかぁ」
秀人は微笑を浮かべ、藤山は、いつもの胡散臭い笑みを浮かべている。とても、刑事と犯人の対面とは思えない。
藤山は、距離をおいて身構えている隊員達に声を掛けた。
「そんなに警戒しないで大丈夫だから、早く連行して。負けを認めてなお抵抗するほど、器の小さい人じゃないからねぇ、秀人君は」
距離をおいていた隊員達は、互いに顔を見合わせた。一人がゆっくりと近付いてくると、他の者達も続いた。
あっという間に、秀人は、隊員達に囲まれた。
藤山は、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面を開く。
「十三時三十七分、逮捕、と」
逮捕時刻を告げた藤山に、秀人は苦笑した。
「藤山さん」
「ん? 何だい?」
「まだ続けてたんだね、その喋り方」
「そうだよぉ。穏やかそうだろ?」
「いや。まったく似合ってないよ。むしろ気持ち悪い」
「ひどいなぁ。これでも、僕、一生懸命なんだよ」
「まあ、努力は認めるけどね」
藤山と会話をする秀人。彼の両脇を、隊員達が固めた。
「じゃあ、連行よろしくねぇ」
秀人に「気持ち悪い」と言われた口調で、藤山が指示を出した。
割って入ったのは、咲花だった。
「秀人さん」
秀人の足が止り、周囲の隊員達も足を止めた。
「何?」
「まだ、質問に答えてもらってない」
立ち止まった秀人と、腰を下ろしたままの咲花。二人の視線が絡んでいる。
亜紀斗も、秀人の過去について聞きたかった。警察官一家惨殺事件。凄惨な事件の被害者遺族が、どうして、こんな犯罪に手を染めているのか。
「藤山さん」
咲花から視線を外して、秀人が藤山に聞いた。
「ほんの少しだけ、咲花と話をさせてくれないかな?」
「何で?」
「俺に勝ったご褒美に、咲花の疑問に答えたくて。まあ、ほんの数秒だよ」
「しょうがないなぁ」
藤山は、親指と人差し指で、小さな隙間を作った。少しだけ、のジェスチャー。
「ちょっとだけだよ」
「ありがと」
秀人からは、逮捕された絶望も悔しさも感じない。散歩にでも行くような軽い足取りで、咲花と亜紀斗に近付いてくる。両手は後ろ手で拘束されているが。
咲花のすぐそばに来ると、秀人は、彼女と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。小さな声で、囁くように伝える。
秀人の言葉は、近くにいる亜紀斗にも聞こえてきた。
「二十五年前の事件について、詳しく調べてみなよ。といっても、表向きの捜査資料じゃない。秘匿されてる、本当の資料を」
「それって、どういうこと?」
「調べてみれば、意味は分かるよ。俺のことも、全部ね」
「……」
「たぶん、咲花にならできるだろ? 凶悪犯を殺してもお咎めがないなら、それなりのツテがあるんだろうし」
言うだけ言って、秀人は立ち上がった。連行する隊員達のところに、戻ってゆく。隊員達に囲まれて、屋上から出ていった。余裕のある様子のままで。
屋上には、亜紀斗と咲花、藤山だけが残った。
「さて、と」
藤山は、亜紀斗達の方に向き直った。
「お疲れ様、咲花君。亜紀斗君」
「はい」
「咲花君が重傷だって聞いたけど、思ってた以上にひどいねぇ。救急車は呼んでるけど、担架を持って来させようか? 正直、今の校内にこれ以上人を入らせるのは、少し抵抗があるんだけど」
校内には、大勢の遺体が転がっている。二階と三階の廊下は、所々が血まみれになっている。
「いいですよ。なんとか片足で行きますから」
フラフラとしながら、咲花は立ち上がった。右足だけで。
無言で、亜紀斗は咲花に近付いた。左側から、彼女を支えた。自分の肩を、彼女に貸した。
「何? 気でも遣ってるの?」
どこか挑発的に、咲花が聞いてきた。
もちろん亜紀斗には、咲花を気遣うつもりなどない。
「そんなわけないだろ。俺はお前が嫌いだ」
「知ってる」
「ただ、今回は助けられた」
「だから肩を貸してくれるの?」
「それもある」
「それも?」
「あと一つ、後で聞きたいことがある」
「何?」
亜紀斗は、咲花に顔を近付けた。藤山には聞こえないように。
「金井のことが分かったら、俺にも教えろ」
咲花の怪我に負担をかけないようにしつつ、亜紀斗は歩き始めた。
亜紀斗に合わせて、咲花も足を進める。
亜紀斗の言葉に、小声で、咲花が返してきた。
「気が向いたらね」
※次回更新は11/3を予定しています。
負けを認め、素直に捕まった秀人。
とはいえ、明らかに余裕がある。自分のやるべきことを諦めたとは思えないほどに。
秀人はどうして、犯罪を重ねるのか。
家族が殺された事件に、どんな事実があるのか。




