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罪と罰の天秤  作者: 一布
第一章 佐川亜紀斗と笹島咲花
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第三十五話① 近付いたのか変わらないのか(前編)


 咲花の近距離砲。


 亜紀斗はすぐに気付いた。咲花が、秀人を仕留めた方法に。


 あの威力と苦痛は、今でも覚えている。実戦訓練で、初めて咲花と戦ったとき。外部型の常識を打ち破る、彼女の奥の手。


 咲花の近距離砲を食らった秀人は、その場に(うずくま)った。呼吸困難になり、声すら出せない状態になっている。


 チラチラと雪が降る、かきつばた中学校の屋上。


 酸欠で意識が朦朧としながらも、亜紀斗には、目の前の光景がしっかりと見えていた。


 亜紀斗と咲花を子供扱いにした怪物。生かして捕まえるどころか、殺すことさえ困難な相手だった。殺すどころか、自分達が生き残ることさえ難しい相手だった。


 そんな奴に、勝てた。


 亜紀斗は、秀人に歯が立たなかった。エネルギーの消費量を度外視して戦っても、一方的にやられていた。酸欠で倒れかけたときに、咲花が助けてくれた。


 ――いや。


 助けた、というわけではないだろう。咲花は狙っていたのだ。秀人に勝てる、唯一のチャンスを。


 とはいえ、現実感が湧かない。あれほど圧倒的にやられていた相手に、勝てたなんて。


 もしかしたら、本当は今、殺される直前なのではないか。意識が混濁して、都合のいい夢でも見ているのではないか。


 ボーッとする頭で、亜紀斗は、そんなことを考えていた。


 亜紀斗の意識を鮮明にさせたのは、咲花の声だった。


「佐川!」


 咲花の声には、必死さが表れていた。普段の彼女とは違う、切羽詰まった様子。


「私はもう動けない! 秀人さんを捕らえて! 早く! 早くして!」


 見ると、咲花の左足は、酷い怪我を負っていた。ブーツはなくなり、隊服の裾も、吹き飛ばされたように破れている。ふくらはぎは、皮が剥がれて血まみれになっていた。間違いなく、立ち上がることさえできないほどの重傷だ。


 亜紀斗はすぐに動いた。秀人の両腕を掴み、後ろ手に回させた。隊服のポケットから手錠を取り出し、彼の両手に架けた。


 秀人は今、大きなダメージを受けている。呼吸困難で動くこともできないだろう。だが、このダメージは、数分もあれば回復する。拘束するのが両手だけでは、安心できない。


 亜紀斗は手錠をもう一つ取り出し、秀人の両足首に架けた。両手両足を拘束し、身動きすら取れないように。


 秀人は、うつ伏せで拘束される格好になった。まったく身動きが取れない状態。


 ――終わった。


 安心感からか。亜紀斗の口から、無意識のうちに息が漏れた。


 すぐそこには、咲花が倒れている。


 亜紀斗は彼女に近寄り、片膝を地面についた。ポケットからスマートフォンを取り出す。


「今すぐに隊長を呼ぶ。救急車もだ。だから、しばらく大人しくしてろ」

「言われなくても大人しくしてる。この足じゃ、立つことも無理だし」


 突き放すように言った亜紀斗に、咲花は、突き放すように返してきた。


 いつもと変わらない、彼女とのやり取り。


 亜紀斗は藤山に電話を架けた。わずか一コールで、彼は電話に出た。


「隊長。俺です。亜紀斗です」

『……どうなった?』


 藤山の口調は、やはりいつもと違っていた。緊張感に満ちている。


「なんとか、金井秀人を捕らえました。至急、護送願います」

『そっかぁ』


 電話の向こうで、藤山が大きく息をついた。安堵の溜め息。


 秀人は元SCPT隊員だ。藤山は、彼の能力の高さをよく分かっていたのだろう。だからこそ、先ほど亜紀斗と話した際に、ひどく慌てていた。


 安堵した藤山の口調は、いつも通りに戻っていた。


『それで、君達は大丈夫かい? 怪我は?』

「俺はなんとか大丈夫です。ただ、笹島が重傷です。命に関わる怪我ではないですが。救急車の手配も、至急お願いします」

『おっけー。わかったよぉ』


 電話を切った。


 スマートフォンをポケットに戻して、亜紀斗は再度、咲花を見た。目を背けたくなるような、彼女の左足の怪我。秀人にやられたものだろう。


「笹島」

「何?」

「何が、どうなったんだ? どうやって金井を仕留めたんだ?」


 咲花はグルッと体を回し、地面に仰向けになった。ふう、と大きく息をついた。額が、汗でびっしょりになっている。左足の痛みによる、冷や汗。しかし彼女は、苦しそうな顔を見せない。


「……破裂型の弾丸で塔屋を撃って、爆風を利用して、秀人さんに近付いたの」


 意外なほど素直に、咲花は答えてくれた。


「秀人さんがあんたに(とど)めを刺そうとする瞬間が、チャンスだと思ってた」


 なるほど、と思った。止めを刺そうとする瞬間は、どうしても、攻撃に溜めができる。溜めをつくる一瞬が、隙となる。


「俺に、動き回るように指示した理由は?」

「できるだけ、秀人さんの背後を取りたかった」


 再度、咲花は大きく息をついた。呼吸が少し荒い。彼女の表情は変わらないが、相当痛いのだと伺い知れた。


「もちろん、秀人さんが私に背後を向けるなんて、思えなかった。あんたが動き回ることで、秀人さんが私に向ける体の方向は、大きく分けると三つ。真正面か、右横か、左横。真正面なら、隙を突くのは難しかった」


 そりゃそうだ。声に出さず、亜紀斗は呟いた。秀人の真正面から向っていったら、咲花は、接近する前に殺されていたはずだ。


「つまり、確率としては三分の二だったの。あんたに止めを刺そうとする秀人さんが、私に、右横か左横を向けていれば。その瞬間に接近できれば」

「そこは運任せだったわけか」

「まあね」


 自分達より圧倒的に強い相手に、確実に勝つ。そんな都合のいい戦略など、存在しない。必ずどこかにリスクがある。


 咲花は、運任せのリスクに勝ったのだ。


 亜紀斗は、咲花の隣りで座り込んだ。尻餅をついて、空を見上げた。


 空からは、相変わらず雪が降っている。ちらちら、ちらちらと。


 雪が顔に落ちてきて、冷たい感触を残して溶けてゆく。冷たさが、火照った体に気持ちいい。


 亜紀斗は咲花が嫌いだ。ほんの数瞬前まで共に戦い、協力して危機を乗り越えたといっても。


 共通の敵を打ち破ったくらいで簡単に歩み寄れるほど、二人の溝は浅くない。


 だが、それでも。


 亜紀斗の口から、自然と、言葉が漏れた。


「……助かった」


 目は合わせない。亜紀斗は空を見上げている。咲花がどこを見ているのかは、分からない。


「俺ひとりだったら、確実に殺されてた。ありがとう」

「……」


 咲花は、何も言ってこなかった。彼女も、亜紀斗のことが嫌いなはずだ。それでも、今だけは、挑発的なことを言ってこなかった。


 雪が降り、静寂に包まれた屋上。


 亜紀斗は空を見上げたまま、動かなかった。


 咲花も、仰向けのまま動いていない。


 汗が冷えてきて、少し寒くなってきた。


 唐突に、小さな笑い声が聞こえてきた。


 亜紀斗は、笑い声の方に顔を向けた。秀人の方へと。


 秀人は楽しそうに笑うと、ゴロンと体を動かし、仰向けになった。そのまま上半身を起こし、胡座のような格好になった。両手足を拘束されたまま。


 秀人の端正な顔は、美しい笑みを型取っていた。傷一つない顔。


「何がおかしい?」


 安堵の気持ちも忘れて、亜紀斗は秀人に聞いた。


「いや。なんて言うか。咲花に佐川君」

「何だよ?」

「何?」


 咲花は上半身だけ起こしていた。秀人を睨んでいる。


 秀人は、亜紀斗と咲花を交互に見ていた。


「いや、見事だよ。まさか、俺が負けるなんて思わなかった。凄いよ、本当に。お世辞抜きに凄い」


 両手を後ろ手に拘束され、さらに両足をも拘束されている秀人。彼の表情には、明らかな余裕があった。身動きできない状態だというのに。


「特に咲花。さっきの近距離での攻撃は、俺も予想できなかった。まあ、実際に食らってみて、()()は分かったけど」

「……」


 亜紀斗も咲花も、無言だった。安堵の気持ちが、一瞬にして消え去った。拘束されながらも余裕のある秀人が、不気味だった。


「外部型クロマチンの弾丸を、高速で回転させて威力を出す。回転させることで、本来必要な飛行距離の代わりにする。うん、発想としては単純かも知れないけど、かなり難しいだろうね。俺でも、身に付けるとしたら、二、三ヶ月はかかるかも知れない」


 実戦訓練で咲花が近距離砲を見せてから、道警本部の外部型の隊員は、同じことをしようとした。しかし、誰一人としてできなかった。外部型の弾丸を高速で回転させるのは、それほど難しい技術だ。


 近距離砲を自分のものにするまで、咲花は、どれくらいかかったのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、亜紀斗は、秀人から目を離せなかった。


 彼は身動きできない。どんなに強くても、今の状態で戦えるはずがない。


 それなのに、恐い。


「何が言いたいの? 秀人さん」


 この寒空の下でも、咲花の汗は引いていなかった。左足は、激痛に襲われているはずだ。汗が一滴、顎から落ちた。


 秀人はまた、ふふっ、と笑った。まるで絵画のように、微笑が似合う。


「君達、クロマチン能力者を捕らえるのは初めてだろ?」

「……だから何だよ?」


 喧嘩腰で、亜紀斗は質問を返した。


「いや。ただ単純に、詰めが甘いな、って。特に佐川君。俺を捕まえたいなら、両手足をへし折るくらいはしておかないと」

「どういうことだよ?」


 亜紀斗が聞き返したところで、咲花が何かに気付いたようだった。亜紀斗の視界の端で、彼女はビクッと体を震わせた。


「佐川!」


 呼ばれて、亜紀斗は咲花を見た。彼女の顔は、青ざめていた。


「今すぐ秀人さんを攻撃して! 早く!」

「!?」


 訳が分からず、亜紀斗は、目を見開いたまま止ってしまった。「どういうことだ」という言葉が、口から出かけた。


「あー、待って待って!」


 慌てた声を出したのは、秀人だった。もっとも、笑みは消えていないが。


「大丈夫。言っただろ、俺の負けだ、って。抵抗するつもりはないよ」

「?」


 意味が分からず、亜紀斗は、咲花に答えを求めた。彼女の言葉を待った。


 回答を口にしたのは、秀人だった。


「佐川君。君、内部型だろ。自分に置き換えて考えてみなよ」

「あ?」


 苛つきを隠さない声が出た。十年前に、亜紀斗が、喧嘩を売ってきた奴等に発していた声。


「言いたいことがあるなら、さっさと言えよ」


 秀人は小さく、息をついた。


「鈍いなぁ」


 呆れたように言って、彼は続けた。


「手錠を壊すくらい、簡単にできるんだよ、俺。君にもできるだろ、佐川君」

「!」


 亜紀斗は慌てて立ち上がり、構えた。


 秀人の肋骨は折れているはずだ。戦力はかなり削がれている。とはいえ、明らかに余力があった。


 彼に対して、こちらの戦力は半分以下だ。亜紀斗は大半のエネルギーを消費した。咲花は、戦える状態ではない。


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