第十九話② 入れ替わる立場(後編)
「君達が、こんなクズ共よりも遙かに優れた人間だって、証明するんだ。あと、それと――」
失禁した加害者から視線を逸らさず、秀人は、被害者達に語りかけた。
「――君達なら、こんな奴等なんて簡単に屈服させられる。その証明もね」
被害者達は、わけが分からない、という顔をしている。
秀人は岡田に聞いた。
「ねえ、岡田さん。ここのトイレって、どこだっけ?」
「トイレですか?」
「うん」
「えっ、と。部屋を出て真っ直ぐの、突き当たりのところですけど」
「そう。ありがとう」
岡田に礼を言うと、秀人は、失禁した加害者の髪を鷲掴みにした。そのまま、被害者達に、相変わらずの優しい笑顔を向ける。
「こいつらを連れてトイレに行くから、着いてきて」
「え? あ……」
呆けた顔をしながら、被害者達は「はい」と返事をした。
「あと、岡田さん達。残りの奴等も連れて来て」
「あ、はい」
秀人の指示に従って、岡田と他の構成員は、加害者達の襟や髪の毛を掴んだ。
秀人は、鷲掴みにした加害者の髪を引っ張り、そのままトイレまで引きずって行った。途中で、加害者が「痛い! 痛いです!」と喚いていたが、無視した。
後ろから、被害者達が着いてきた。
さらに後ろから、「おら! とっとと動けや!」という、岡田や構成員達の怒声が聞こえた。加害者を立たせ、トイレに向わせている。
トイレに着くと、ドアを開けた。一般的な洋式トイレ。蓋を開け、便座も上げた。
トイレの入口付近には、被害者達がいる。
「君は、便器を舐めさせられたんだよね?」
被害者の一人に、秀人が聞いた。彼は、どこか気まずそうな、悔しそうな顔で頷いた。
「じゃあ、もっといいこと教えてあげる」
「?」
秀人は、加害者の髪の毛を掴んでいる。掴んだ髪の毛を引っ張り、加害者の顔を上げさせた。そのまま、便器に突っ込んだ。便器の水の中に、加害者の顔が沈んでいる。
顔を沈められ、苦しさから暴れる加害者。水が、ビチャビチャと飛び散っている。
「ねえ、君」
再度、秀人は、便器を舐めさせられた被害者に声をかけた。
「水、流してみて」
「え……でも……」
「何?」
「そんなことしたら、お兄さんが濡れちゃいませんか?」
気遣いのように聞こえる、被害者の言葉。しかし秀人は、この発言を、優しさとは思っていなかった。彼等は、周囲の顔色を常に気にしているのだ。誰かの気に障ってはいけない。不快にさせてはいけない。
機嫌を損ねたら、いじめられる。
この心持ちを、今から一八〇度変える。
「大丈夫だから。俺は、濡れても気にしないよ。濡れてもいいくらい、楽しいことになるから」
「……?」
戸惑いと、怯えと、わけが分からないという顔。様々な感情を表に出しながら、被害者は、トイレのレバーを「大」の方向へ回した。一気に水が流れ出てきた。
「ゴバッ! ウゴッ! オゴゴゴゴゴゴゴッ!」
便器に顔を突っ込まれた加害者は、苦しそうな声を――声とさえ言えないような音を立てた。激しく体をバタつかせている。激しく流れる水が鼻に入り、気管まで到達したのだ。
つまり、トイレの中で溺れた。
秀人は、加害者の髪の毛から手を離した。
加害者は便器から顔を上げ、激しく咳き込んでいる。時折「ゲエッゲエッ」と嘔吐きながら、鼻と口から水を吐き出し、酸素を求めた。
秀人は立ち上がると、手を振って水を払った。
「知ってた? 人ってね、便器に顔を突っ込んで水を流されると、溺れるんだよ」
溺れた加害者は、ゼィゼィと呼吸をしていた。気管に入った水が、ようやく抜けたのだろう。
被害者達は、一様に目を見開いている。自分達をいじめていた加害者の、無様な姿。この様子を見て、彼等は何を思っているのか。
もしここで加害者に同情するようなら、そんな奴は必要ない。でも、もし、加害者に怒りをぶつけることができるのなら……。
秀人は、被害者達を煽ってみた。
「こんな無様な奴等が、君達をいじめてたんだ。君達に、みじめな思いをさせてたんだ。許せないだろ?」
「……」
被害者達は黙り込んでいる。しかし、怯えている様子はない。それぞれが、加害者達に視線を向けている。たった今溺れた加害者。他の加害者。
どの被害者にとっても、一番許しがたい加害者がいるだろう。
加害者達は、全員、手錠を嵌められて後ろ手に拘束されている。周囲を、暴力団員や秀人に固められている。つまり、加害者達は、逃げることも抵抗することもできない。
被害者達の気持ちが、大きくなって当然の状況。
「ねえ」
被害者達の心情を見取って、秀人は聞いてみた。
「君達もやってみなよ。多少濡れるけど、きっと楽しいよ」
加害者の一人が「ひっ」と声を漏らした。後退ろうとして、構成員に捕まっていた。
秀人は被害者達に近付き、顔を寄せた。
「君達は、あいつらに散々オモチャにされた」
これまで受けた屈辱が、被害者の心で渦巻いているはずだ。しかし、今までは、抵抗も反抗もできなかった。加害者達を恐れていた。
でも、もう違う。加害者達を恐れる必要などない現状。思う存分、怒りをぶつけられる状況。
「だから今度は、君達が、こいつらをオモチャにする番だ」
ゴクリと、唾を飲む音が聞こえた。好きな女の子の前で、オナニーをさせられた被害者だ。
「誰をオモチャにしてみたい? 一番、誰に思い知らせてやりたい?」
「奥野がいいです」
唾を飲み込んだ被害者が、加害者の一人を指差した。
奥野と呼ばれた加害者は、ビクッと体を震わせた。逃げようとして、構成員に捕まった。
「おらぁっ! 逃げんな!」
構成員に襟首を掴まれ、奥野は引き倒された。倒れたまま、足をジタバタとさせている。
「嫌だ! やめて! 許して! 謝るから! 謝るから!」
奥野の顔は、涙と鼻水で濡れている。構成員に引きずられ、便器の側まで運ばれた。
「ごめん! ごめんなさい! 今までごめんなさい! 許して下さい! 許して下さい!」
無様で、汚い懇願。
奥野を指名した被害者。彼の表情が、少しだけ変わった。口元が、かすかに緩んでいた。薄く、笑みの形に。
構成員に代わって、秀人が奥野を取り押さえた。彼の頭を便器に突っ込んだ。
被害者が、トイレのレバーに手を掛けた。でも、まだ水は流さない。
「お兄さん」
水を流さないまま、彼は秀人に聞いてきた。
「奥野の頭、俺が押さえます。踏みつけたいんで、手、離してもらえますか?」
被害者の顔が、薄暗い悦びに満ちてゆく。
「いいの? 足、濡れちゃうよ?」
「いいんです。俺、こいつに、散々頭を踏まれたんで」
「うん。いいよ」
秀人が、奥野の頭から手を離した。ほとんど同時に、被害者が、奥野の頭を踏みつけた。奥野の顔が便器の底にぶつかって、ゴンッと音が鳴った。
被害者は、すぐに水を流した。
便器の中で、奥野は溺れた。無様に。惨めに。被害者を嘲笑っていた面影など、微塵もなく。
被害者の顔が、恍惚に彩られた。薄暗い悦楽に満ちた顔。
その顔は、奥野が被害者を嬲っていたときと、よく似ていた。
※次回更新は8/18を予定しています。
秀人が見つけた、いじめられている中学生。いじめている中学生。
いつの時代にも存在する、陰湿な人間関係。
強い者が弱い者を虐げる、ある意味での現代の縮図。
では、弱い者が力をつけたら――「自分は強い」と錯覚したら、どうなるのか。




