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罪と罰の天秤  作者: 一布
第一章 佐川亜紀斗と笹島咲花
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第十三話 どうして苛立っているのか


 チユホで発生した銃乱射および金品要求事件は、午後三時前に終結した。


 犯人七人のうち、五人が死亡。主犯格が重傷。残りの一人が軽傷。殺された被害者は八名。人質十四名は無傷だが、カウンセリングも含めた容態確認のため、病院に搬送された。


 事件を終結させたSCPT隊員は早々に撤収し、後の現場仕事は、他の刑事課の面々が行うことになった。


 道警本部に戻ったSCPT隊員には、報告書作成の仕事がある。また、現場に向かうために訓練を中断した隊員は、帰還後に、再度訓練を行っていた。


 出勤シフトの定時になると、皆、帰宅していった。


 咲花と亜紀斗、藤山を残して。


 咲花と亜紀斗は、事件現場で、あらかじめ藤山から指示されていた。今日の業後に面談を行う、と。そのための残業だ。


 特別課室内には、夜勤に入っている隊員達と、咲花達三人が残った。課長は不在。未だ、事件現場の後処理に回っている。


 午後六時十分。

 日勤シフトの定時を過ぎてから、藤山が、隊長席から立ち上がった。


「じゃあ、咲花君に亜紀斗君、面談をしようか」

「はい」


 咲花と亜紀斗は、同時に返事をした。


「とりあえず、向こうの小会議室を使えるようにしたから。まずは、咲花君から行こうか」

「わかりました」


 咲花は自席から立ち上がった。


「悪いけど、亜紀斗君は少し待っててねぇ」

「……はい」


 亜紀斗の表情は暗かった。咲花に言い負かされ、信念が揺らいだせいだろう。凶悪犯を更生させ、罪に対して罰を与えるよりも、償いの道を歩ませるという信念。


 下らない、馬鹿みたいな信念だと思う。咲花は、亜紀斗の考え方を徹底的に否定していた。大切な人を無残に殺されたことがないから、綺麗事が言えるのだ。自分が被害者遺族の立場になったら、口が裂けても「更生」だの「償い」だのとは言えないはずだ。


 咲花は、亜紀斗の全てを否定している。そんな彼を論破し、黙らせた。


 それなのに、気分が晴れなかった。


 亜紀斗を見ていると、苛々する。彼が、自分の信念を貫こうとしていても。信念が揺らいで、落ち込んでいても。苛立ちの理由が分からず、余計に苛々する。


 藤山と一緒に、咲花は特別課を出た。小会議室まで行き、室内に入る。


 藤山が、小会議室の明りを点けた。


 長机が四つ、列になって並んでいる。入口から見て右側には、大きなホワイトボード。


「とりあえず、二番目の列に座ってくれるかな」

「はい」


 咲花は二列目の椅子を引き、腰を下ろした。


 藤山は一列目の椅子を引き、向きを変えて座った。長机を挟んで、咲花と向かい合うように。


「さて、と。じゃあ、始めようか」


 事件現場で、亜紀斗と争った。その問題行動に関する面談。それはつまり、問題行動に対しての反省と改善を促すことを目的としている。


 しかし、藤山の表情には、咲花を(とが)める様子はなかった。責めている様子もなかった。もっとも、彼がそんな様子を見せることは、滅多になかったが。


 問題行動に対しても寛容に対応するくらい、温厚な性格をしている――というわけではないだろう。この男はいつも笑顔を浮かべ、特別課の隊員達に接している。お面のように張り付けた笑顔。


 この笑顔の裏に、どんな本性があるのか。もう数年の付き合いになるが、咲花は、未だに掴めずにいた。


「で、咲花君」

「はい」


「どうして、事件現場で亜紀斗君と言い争ったりしたの? 君達の仲が良くないことは知ってるし、亜紀斗君のことを好きになれとも言わないよ。でもねぇ。やっぱり、仕事中はきちんとしないと。犯人も目の前にいたんだしさぁ」

「そうですね」


 藤山の言うことは正しい。咲花は素直に認めた。


「佐川があまりに甘いことを言うんで、つい、ムキになりました。反省してます」

「甘いことって?」


「犯人を更生させるとか、償いをさせるとか」

「いや、でも、それって、犯罪者を刑務所に入れる本来の目的でしょ?」


「まあ、そうなんですけどね」

「それだと、咲花君はやり過ぎたんじゃないの? 主犯のコなんて、左手がなくなっちゃってたし」


「それはやむを得なかったんです。佐川と言い争っているときに、唐突に銃を向けられて。反射的に撃ってしまったんです」


「あの左手、もう繋がらないだろうねぇ。破裂タイプの外部型クロマチンで、吹っ飛ばされてたし。神経も血管も骨も、グッチャグチャだろうから」


「そうですね」

「それに、右手も重傷みたいだよ。手首の辺りを貫通させちゃって。こっちも、骨から神経から血管までやられてるみたい。主犯のコが運ばれた病院から連絡があったけどねぇ。親指以外は一生動かせないかも、だってさ」

「そうなんですか」


 連続レイプ犯には似合いの末路だ。胸中で、咲花は吐き捨てた。これで、二度と女の子を襲ったりはできないだろう。


「あのね、咲花君」


 藤山の笑顔は変わらない。胡散臭さと嘘臭さに満ちた笑顔。


「わざとでしょ?」


 いつもの笑顔のまま、唐突に、藤山は確信に迫ってきた。


 咲花はつい、流れに任せて「はい」と言いそうになった。キュッと唇を結び、声を止めた。結んだ唇の端を上げて、笑顔を浮かべた。藤山の嘘臭い笑顔に対抗するような、嘲笑。


「何がですか?」

「もう。とぼけちゃってぇ」


 机を挟んで、咲花は藤山と向かい合っている。


 藤山は、机に身を乗り出してきた。咲花に顔を寄せてくる。お面のような、彼の笑顔。気味の悪ささえ感じる。


「ノリに任せて本音を言ってもらおうと思ったんだけど、失敗しちゃったかな?」

「言ってる意味が理解できませんが?」


「いやぁ。僕もそろそろ、君と本音で語り合いたいんだよねぇ。亜紀斗君みたいに」

「佐川は、私の失敗を責めてるだけですよね? 手元が狂って、犯人達を殺してしまった。その点については、私も反省してます。でも、反省以上の本心なんて、私にはありませんが?」

「うん。そうだね。反省は大事。うん。大事だよぉ」


 わざとらしく、藤山は「大事」と繰り返した。


「でもさぁ。僕もそろそろ、困ってるんだよねぇ」


 困っている様子など微塵もない。


「何にですか?」

「今まではさぁ、誰もに何も言われなかったんだよ。君が、現場で犯人を殺すことについてね。上からの命令で、問題にもならない。他の隊員達も、文句を言えなくてねぇ。今までは」


「『今までは』っていうと、今は文句を言われてるんですね? 佐川にですか?」

「うん。流石。ご名答」

「馬鹿でも分かりますよ」


 咲花は溜め息をついた。藤山のわざとらしい言い回しに、苛立ちさえ覚えた。もしかしすると、咲花を苛立たせて、苛立ちに任せて本音を吐かせる気なのかも知れない。


 咲花は、深く静かに呼吸をした。自分を落ち着かせる。


「まあ、ね。そんなわけで、僕ね、亜紀斗君に詰められちゃったんだよ。前回の、銀行の立て籠もり事件のときに」

「お疲れ様です」

「なんか、心が込もってない労いだなぁ。もっと真剣に聞いてよ」

「真剣に聞いてますけど?」

「まあ、咲花君がそう言うなら、信じるけど」


 藤山は頬杖を突いた。相変わらずの笑顔。これまたわざとらしく、困ったように眉をハの字にしている。


「とにかく、亜紀斗君に詰められたとき、僕も困っちゃってさぁ。聞いてくれる?」

「どんなふうに詰められたんですか?」


 藤山に質問したのは、興味があったからではない。もちろん、藤山の愚痴を聞きたかったわけでもない。咲花が聞くまで、彼は、延々とこの話をするだろうからだ。


「それがさぁ。犯人を殺した咲花君には、何のペナルティもないのか、って」

「そういえば、ないですね」


「亜紀斗君は、それが気に食わないみたい。どんな理由にせよ――たとえわざとじゃなかったとしても、犯人の命を奪ってるわけだからねぇ」

「まあ、そうですね。反省してますよ、一応。でも、こればっかりは実力ですから」


「いやいや。実力が伴わなかったのは仕方ないことだよ。どんな人も、失敗くらいはするからねぇ。ただ、亜紀斗君が問題視してるのは、たとえ失敗による結果だとしても、犯人の命を奪ってることなんだよ」


 しつこい。同じことを、繰り返し繰り返し。意図的に犯人を殺したと自白するまで、このやりとりが、ずっと続くのだろうか。言葉を変え、言い回しを変え、会話の流れを変え、繰り返し繰り返し。


「それで、隊長は、私に何を望んでいるんですか?」


 藤山の胡散臭い笑顔に対抗するような、咲花の嘲笑。咲花は、さらに口の端を上げた。この無意味な会話を終わらせるために。


「無実の私に、嘘の自白をさせたいんですか? わざと犯人を殺した、って」

「やだなぁ。恐いよ、咲花君」


 藤山は身を引いて、首をフルフルと振った。ただし、やはり笑顔は消えていない。


「そんなふうに身構えないでよぉ。僕、もう隊員を引退したおじさんだよ? もし君がその気になったら、あっさり殺されちゃう程度のおじさんだよ? それこそ、今日の犯人達みたいにさぁ」


 皮肉か嫌味にしか聞こえない言葉を吐き出すと、藤山は、机の上で両手を組み合わせた。そのまま、先ほどと同じように、咲花に顔を近付けてきた。


 咲花と彼の顔の距離は、二十センチほど。


「ただ、ね。僕は知りたいんだよ」

「だから、何をですか?」


 藤山の口元は、笑ったまま。けれど、唐突に目付きが変わった。咲花でさえ――道警本部の誰よりも強い咲花でさえ、寒気を覚えるような目付き。


「咲花君。君、どうやってそんなふうにしてるの?」

「……どうやって、とは?」


 咲花の口から、嘲るような笑みが消えた。目の前の男は、警戒すべき人間だ。笑みなんて浮かべていられない。本能が、そう告げていた。


「犯人を何人殺しても、君には一切のペナルティがない。それどころか、一部事実をねじ曲げてでも、犯人殺害を正当なものとしてる。そうするように、僕にも命令が来るんだよ。僕には課長から。課長には刑事部長から。でも、今のところ、刑事部長以上の出所が掴めない」


「そうなんですか。私は末端の隊員ですから、どこからどんな命令が出てるか、知る由もないですけど」


「刑事部長クラスになると、あるいは、事実をねじ曲げて君を庇うことができるのかも知れない。でも、そんなことを何度もできるほどの力が、ウチの刑事部長にあるとは思えない。さらに上への報告なんかもあるだろうからねぇ」


「つまり、私の失敗を、もっと上の人が(かくま)ってるってことですか?」

「とぼけないでよ、咲花君」


 藤山の視線が、さらに鋭くなった。口元の笑みはそのまま。目だけが笑っていない、彼の表情。気の弱い者が見たら、失禁くらいはしてしまうかも知れない。


「君、どうやって、こんなことしてるの? どうやって、犯人殺害の免罪符を手に入れたの?」

「……」


 藤山は、完全に本音で喋っていた。咲花の犯人殺害が、意図的なものであると断定している。断定したうえで、犯人殺害が認められる根拠を、突き止めようとしている。


 どうして藤山が、突然、こんな行動に出たのか。咲花には想像もつかなかった。彼は、面倒なことを避ける事なかれ主義者に見える。たとえ、心の奥底に凶暴性を秘めていたとしても。その証拠のように、今までは、犯人殺害について問い詰められた事がない。


 いずれにせよ、どんなに問い詰められても、事実を話すつもりなどない。また、事実を正直に話したとしても、にわかには信じられないだろう。咲花が――ただの末端の隊員が、警視庁長官と繋がっているなんて。警察組織のトップの力を使って、犯人殺害を正当化しているなんて。


「どうやっても何も、私は、何もしてませんよ」


 額と額がくっつきそうなほど、咲花は、藤山に顔を近付けた。近付き過ぎて、互いの瞳しか見えない。


「私が未熟で、失敗して、犯人を殺してしまった。それについては謝罪しますよ。申し訳ないです」


 もちろん咲花には、罪の意識など微塵もない。申し訳ないなどとは、欠片も思っていない。


「でも、失敗を繰り返しても特にお咎めがないってことは、警察上層部にも思うところがあるんじゃないですか? 凶悪犯罪者は死ぬべきだ、というような」

「……」


 しばらくの間、咲花と藤山は睨み合った。


 そのまま、どれくらい時間が経っただろうか。一、二分か。数分か。数十分か。


 藤山は大きく息を吐き、身を引いた。咲花との距離が空いた。


 咲花の目に映る、藤山の顔。やはり、笑みが浮かんでいる。


「もう。嫌だなぁ、咲花君」


 藤山の雰囲気は、一瞬前までとはまるで違っていた。鋭さも威圧感も消えている。


「そんなに恐い顔しないでよぉ。言っただろう? 僕、隊員を引退した、か弱いか弱いおじさんなんだから。咲花君にそんなふうに睨まれたら、オシッコ漏らしちゃうよぉ? いいのぉ?」


 咲花は溜め息をついた。


「漏らしてもいいですけど、後片付けは自分でして下さいね。私は、この面談が終わったら、すぐに帰りたいんで」

「冷たいなぁ」

「普通の反応だと思いますけど」

「じゃあ、僕が漏らさないように、もう恐い顔しないでねぇ?」

「しませんよ」


 あんたが、さっきみたいな態度を取らなければね――口に出さずに、胸中で付け加えた。


「じゃあ、話を戻すけど」

「はい?」

「もうね。本当にね。事件現場で仲間と言い争ったりしないでね。仲間、大事。チームワーク、大事」

「肝に銘じます」

「じゃあ、復唱して」

「は?」

「仲間、大事。チームワーク、大事」

「……」


 藤山は、楽しそうに笑っていた。胡散臭くもない、嘘臭くもない、楽しそうな笑顔。咲花が事実を白状しなかったことに対する、小さな仕返しのつもりだろうか。


「はい、咲花君。復唱して。仲間、大事。チームワーク、大事」


 咲花は藤山から目を逸らし、意図的に、徹底的に、棒読みで復唱した。


「仲間、大事。チームワーク、大事」

「うん。よくできました」


 藤山が拍手をした。


 彼は凶悪犯ではないが、咲花は、その頭を撃ち抜いてやりたくなった。


 咲花の心情など気付く様子もなく、藤山が指示してくる。


「じゃあ、咲花君はもう上がっていいよ。ただ、帰りついでに、亜紀斗君に、ここに来るように伝えてね。仲直りの証として、握手してきてもいいよ」

「後ろ向きに検討しますよ」


 吐き捨てて、咲花は椅子から立ち上がった。そのまま、小会議室を後にする。


 このまま一旦特別課まで戻り、亜紀斗に、小会議室に行くよう伝える。それが終わったら、さっさと帰ろう。


 藤山との面談――彼の尋問も終わった。神経を逆撫でする彼の笑顔は、もう目の前にはない。


 それなのに、やはり、苛立ちが消えない。


 特別課まで足を進めながら、ふいに、咲花は考えた。


 亜紀斗は、まだ落ち込んでいるのだろうか――と。


※次回更新は、7/14を予定しています。


咲花は亜紀斗を嫌っている。

そんな彼の信念を否定し、論破し、黙らせた。

真実を突き詰める戦いをしていたという意味であれば、咲花は、亜紀斗に勝ったと言える。


それでも、苛ついている。


自分の心の揺らぐ理由が、分からない。

分からないままの咲花は、どうするのか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まさかまるまる一話、藤山さんが出演するとは。 いつも笑顔って逆に怖いですよね。なんか胡散臭くて。 咲花に危険だと思わせるなんて、藤山さんすごい…! 二人のやり取り、読んでいてとてもゾクゾク…
2024/07/07 18:22 退会済み
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