最終章 おまけ④
クッソ長げぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
・・・という声が聞こえてきそうです。
なぜか。
書いてる本人が思ってるんですもん。
クッソ長げぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
とはいえ本当にこれが最後のおまけです。
色々と書きましたが、最後に、本作を書こうと思ったきっかけについてです。
本作のタイトルは「罪と罰の天秤」
罪と罰とは。罪の重さとは何か。罰とは何か。何のためにあるのか。文字通り、そんなことを書こうと思って筆を取った(まあ、PCで書いてるんですが)作品です。
話と秀人の存在が大きくなりすぎて、プロットのうちから「これ、罪と罰というより、国の三権の在り方について語ってねぇか?」なんて自分でツッコミを入れましたが。
とはいえ、作中で秀人が語ったことが全てです。
『国は、国のためにあるんじゃない。国民のためにあるんだ。国民がいるから、国があるんだ。国民であれば、誰でもいいわけじゃない。必死に生きて、平穏な日々を大切にして、周囲の人達を大切にして』
『そんな国になるべきなんだ。行政は、権力者のためにあるんじゃない。立法は、ご都合主義のルールじゃない。司法は、形に縛られた結論を出すものじゃない。国の三権は――行政も、立法も、司法も、今を必死に生きる者のためにあるんだ』
このセリフは、秀人が言うからこそ価値がありました。彼が、人生を狂わせてしまうほどの痛みを抱えているから。人の命をゴミのように扱ってしまうほど、痛みによって狂ってしまったから。狂った状態からたった一人の少女によって目覚め、その少女の幸せを守るために、自分の命を捨てられる人だから。
作中には、実際に発生したものをモチーフにした事件が複数あります。咲花の姉の事件だけではなく、複数(改変しすぎてモチーフだと気付きにくいものも)。
そのどれもが痛ましく、悲しく、救われない事件です。
どこかの薬物取締法で捕まった人物が言いました。
「厳罰で犯罪は防げない」
お前が言うな、と言いたい発言です。が、一部は正解と言えます。一部は間違っていますが。
日本では、判例上「殺したのが一人であれば死刑にならない」という傾向があります。
その結果、集団で強盗殺人を行った者達の一人が、一人の被害者を出した後に自首してきた例があります。理由は、他の仲間がさらに人を殺そうとしていたから。二人以上殺したら死刑になるから、殺した人数が一人のうちに自首した。
この事例で言うと、「厳罰で犯罪は防げない」ことはないと言えます。
が、同時に、厳罰では防げないケースもあります。
妙な万能感があって、自分は捕まらないと思っている者。自暴自棄になっており、罰に対して恐怖などない者。「死刑にならなければいい」ということで、殺さずに人を傷付ける者。
では、悲惨な事件(殺人だけではなく)を起こさないためにはどうしたらいいか。
犯罪者の再犯を防止するにはどうしたらいいか。
被害者の救済のために何をすべきか(犯罪被害者等基本法などがありますが、十分とは言い難い)。
犯罪に限らず、国の三権は国を良くするためにあるわけですが。
犯罪に関して言うのであれば。
立法は、こういった問題に対して、国民が安心して生活できる法を発案すべきであり。
行政は、こういった問題に対して必要な対処をすべきであり。
司法は、犯罪に対して、過去の事例や裁判官同士の人間関係に囚われない判決を下すべきである。
・・・と、思います。
上記に関しては色んな事例を挙げ連ね、法に関することを色々と書き綴って意見を述べたいところですが。
そんなことをしたら十万文字を超えると思うので割愛します。
もう、本作を読んでくれという感じで締めくくっちゃいます。
まあ、本作で全てを伝えられるかと言えば、自信がないところですが(力不足)。
とにもかくにも、書きたいことを物語として形成し、物語として読めるように少年誌的なテーマも織り交ぜた本作。
「楽しむ」といった表現が似合う作品ではないですが、読んだ方の心に残ってくれれば幸いです。
さて。
おまけ①で全裸になっておきながら、こんなことを言うものアレですが。
作品最後のおまけでは、適当にふざけながら裏話などを暴露しようと思っておりました。
が、作品の性質上、ふざけたままで終わるのもよくないと思ったり(全裸のくせに)。
ので、最後に少し真面目な話をしたいと思います。
まったく個人的な意見ですが、一布は、犯罪の被害者に対する「被害者の冥福を祈る」という言葉が好きではありません。
もちろん、そういった言葉を口にする人を批難するつもりはありません。その人にはその人の考えがあるのですから。
ので、完全に個人的な意見ですが。
本作の締めくくりとして、「モチーフになった事件の被害者の冥福を祈ります」と言うつもりはありません。
被害者となった方々は、亡くなる直前、表現できないほど恐かったでしょう。苦しかったでしょう。辛かったでしょう。「どうして自分がこんな目に」という気持ちに襲われていたでしょう。
被害者遺族となった方々は、生きている限り、後悔に近い感情を持ち続けるのでしょう。助けられる状況でもなかったのに、「どうして助けられなかったのか」という思い。自分も辛いはずなのに、亡くなった家族に心を痛め、自分の幸せを放棄してしまう。
そのような背景があるなかで、冥福を祈るだけでは終わらせたくないです。ただ犯罪を批難するだけでは終われないです。
凄惨な事件が起こったのであれば、二度とそんな事件が起こらないように。
たとえ家族を亡くした悲しみを忘れられなくとも、被害者遺族が幸せに生きられるように。
そのために、今、何ができるか。
失われた命は、二度と戻りません。
だからこそ、失われた命に報いることこそが、本当の意味での「冥福を祈る」になるのではないか。
本作には、そんな気持ちも込めたつもりです。
・・・まあ、気持ちが届くほど多くの人には読まれてませんが(苦笑)
秀人が最後に語ったことが現実となることを祈り、日本が作中の「この国」のようにならないことを願い(この物語はフィクションです。実在の人物、団体等とは一切関係ありません)、このおまけを締めくくりたいと思います。
最後に、本作を読んで下さった方々に、心からの感謝を申し上げます。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました!
(おしまい)




