第十九話② 綺麗なままでは守れない(後編)
「鍵になるのは、秀人君なんだよね」
「秀人、って……金井秀人ですか?」
「そう。あの秀人君」
「どうして、笹島を生かす鍵が金井秀人なんですか?」
「簡単だよ。秀人君を殺せる可能性があるのは、咲花君と亜紀斗君だけだから。君達には、秀人君を捕えた実績がある。つまり、秀人君を殺すためには、君達が必要不可欠だ」
藤山の言うことに、納得できないわけではない。秀人は、全国各地で凶悪犯罪を引き起している。しかも、外部型と内部型双方のクロマチン能力者だ。居場所が掴めず、掴めたとしても確保は容易ではない。容易ではないどころか、力ずくでの確保はほぼ不可能と言っていい。
秀人を殺せる可能性があるのは、彼を捕えたことがある亜紀斗と咲花だけだ。一人ずつでは不可能。二人の力が必要。だから、咲花を処分しない。
理屈では分かる。だが亜紀斗は、何か引っ掛かっていた。そんな理由だけで、国が、咲花の殺処分を思い留まるだろうか。
亜紀斗の直感が告げている。秀人の捕縛のために咲花を生かす理由が、他に何かあるはずだ。彼を捕えるのが非常に困難だ、というだけではなく。
「何か、おかしい気がします」
亜紀斗は違和感を口にした。
「何かって、何が?」
「国が、金井秀人の捕縛や殺害のためだけに、笹島を生かすことがです」
「一応言っておくけど、決定事項じゃないからね。これは、僕が国を相手に交渉する材料」
亜紀斗はキョトンと目を見開いた。
「隊長が交渉するんですか? 国を相手に?」
「うん。そう」
当たり前のように頷き、藤山は続けた。
「ここ最近、僕、不在だっただろ? 色んなところを駆け回ってたんだよ。今回の事件の犯人は咲花君だと思っていたから。だから、国の弱みを握ってるってことを、国に通告したんだ。警察上層部とか、色んな機関を通じてね。で、交渉の場を設けさせたんだ」
だから、藤山は不在が多かったのだ。彼の顔をしばらく見ていなかった理由に、亜紀斗は納得した。納得と同時に、疑問が生まれた。
「国の弱みって、何ですか?」
素朴な疑問。素朴な疑問だが、亜紀斗は、本能で感付いていた。藤山が言った「国の弱み」が、咲花を生かす鍵になるのだ、と。
口元で手を組んだまま、藤山は目を閉じ、大きく息をついた。フーッという息が、彼自身の手に当たっていた。
「まあ、やっぱり、話さないと駄目か」
「話してください。話してくれないと、納得できません」
何に納得できないのかは、亜紀斗自身にも分からない。言語化できない。
「これもまた、昔話になるんだけどね。咲花君のお姉さんの事件よりも、もっと昔。もう三十年くらい前の話だけど――」
藤山の話は、許しがたい内容だった。三十年近く前の事件。警察官一家惨殺事件。被害者は、秀人の両親と姉。加害者は、現在の防衛大臣秘書である五味秀一と、他四人。五味は、当時内閣総理大臣だった五味浩一の息子。五味浩一は、自分の地位と息子を守るため、虚偽の情報を世間に流した。秀人の父親に殺される理由があったとし、この事件を復讐殺人に位置付けた。さらに、犯行は四人だけで行われたと公表した。五味秀一以外の四人による犯行、と。
当然ながら、秀人は事実を知っている。
国にとって、秀人は、可能であれば殺したい人間なのだ。彼の口を封じるために。
反面、秀人は、国にとって手を出しにくい人間でもある。彼が、重大な秘密を知っているから。
「重要なのは、国がどちらに重きを置くかなんだ。秀人君の殺害と、咲花君の殺処分。国にとって、どちらが重要か」
一方は、クロマチン能力者である咲花が人を殺害した事件。国外に――国連に漏れてはいけない事件。
一方は、国の重要人物が凶悪犯を守ったことにより、秀人というテロリストを生み出してしまった事実。国内外の双方に、決して漏らすことのできない事実。
国は、どちらの秘密をより重要視するか。秀人と咲花、どちらの処分を優先的に考えるか。
答えは、火を見るより明らかだ。藤山の交渉が成功する確率は、かなり高い。
亜紀斗の体が、先ほどよりも大きく震えた。拳を、血が出るほど強く握り締めた。怒りのやり場がなくて、つい、握った拳を机に叩き付けた。ゴンッ!――という音が響いた。クロマチンは使用していない。ただの、生身での鉄槌。机が破壊されることはなかったが、木製の表面に亀裂が入った。
「……これは、亜紀斗君が転んで、机に頭をぶつけたことにしておくよ。だから、これ以上は壊さないでね」
藤山が、落ち着き払った声で忠告してきた。
亜紀斗は藤山を睨んだ。
「何でそんなに落ち着いていられるんですか?」
秀人は、多くの人の命を奪ってきた。けれどそれは、ただの破壊行為ではない。国家に対する復讐だ。自分の家族を惨殺され、貶められ、誹謗中傷されたことへの。秀人の家族は悲惨な最期を遂げただけではなく、魂すらも足蹴にされているのだ。
「亜紀斗君」
藤山の目が鋭くなった。怒りに震える亜紀斗が、鳥肌を立てるほどに。亜紀斗の本能が、危険信号を上げている。それほど、目の前の藤山には迫力があった。
「僕が落ち着いてると思うかい? そんなわけがない。五味親子は殺してやりたいし、咲花君のことは、交渉や駆け引きなんてしないで助けたい。でも、国を相手にそんなことをするのは不可能だ。だからこそ、国の弱みを突かないといけない」
藤山の声は低く、少し早口だった。いつもの胡散臭い笑顔の裏に、こんな本性を隠していたのだ。
「僕はさらに、もし秀人君を仕留めることができたら、咲花君の解放を要求するつもりだ。磯部と南の殺害を高野がやったことにして、咲花君を無罪放免で解放させる。高野には二人の殺害容疑で裁判でも受けさせて、世間的にもそういう事件だったと認識させる。秀人君の始末には、それくらいの交渉価値があるはずだ。僕等にとっても、国側にとっても」
「……」
藤山の迫力で、亜紀斗は冷静さを取り戻した。冷静さを取り戻したから、藤山の話を理解できた。
秀人は神出鬼没で、圧倒的な力と知能がある。彼の居場所を突き止めるだけでも困難。さらに、居場所を特定できたとしても、普通のクロマチン能力者では歯が立たない。たとえ何人集めようとも。彼を殺すとなると、それこそ、不意打ちでミサイルでも撃ち込む他はない。
そんな秀人を殺せるなら、国も、喜んで咲花を解放するだろう。自ら進んで、高野を今回の事件の犯人に仕立て上げるだろう。
亜紀斗は目を伏せ、両手で額を押さえた。考えることが多すぎる。薄汚い事実。汚さを比べ合うような交渉。どうしても助けたい仲間。守らなければならない、大切な人。色んなことが思い浮んで、頭が破裂しそうだった。
「ごめんねぇ、亜紀斗君」
藤山の、間延びした口調。でも、いつもとは違う。
「僕もね、薄汚いって分かってるんだ。でも、綺麗なだけじゃ戦えないんだよ。大事なのは、綺麗なままでいることじゃない。汚れても、泥を啜っても、大事なものを守ることだ。だから、悪いけど協力してもらうよ」
藤山の様子から感じたことを、亜紀斗は言葉にできない。それほどの語彙力はない。ただ一つ、わかることがある。彼にも、納得できないことが無数にあるのだ。納得できなくても、できる限りのことをしようとしているのだ。
亜紀斗は大きく息をついた。
「わかりました」
「ありがとう」
「でも、隊長」
「ん?」
「一つ、大きな問題があります」
「何だい?」
「はっきり言いますけど、金井秀人を仕留めるのは、俺達には不可能です。俺と笹島が二人がかりで戦っても、絶対に勝てません。二年半前に勝てたのは、はっきり言ってまぐれです」
あの時は、秀人が近距離砲を知らなかったから勝てた。でも、彼はもう知った。隠しておける切り札がない。単純な実力では、どう足掻いても勝ち目がない。嬲り殺しにされるだけだ。
「秀人君は天才だからね。それに関しても、手を打つつもりだよ」
「手を打つって、どんな?」
「まあ、色々。秀人君も人間だからね。しかも、本来は――」
藤山から、先ほどの迫力が消えた。口元は、少しだけ微笑んでいるように見える。けれど、同然ながら楽しそうではない。どこか寂しそうな、悲しそうな様子。そこからパッと表情を変えた。
「――どんな手を打つかは、今は言えないかな。期待させても悪いから」
「?」
「じゃあ、これで面談は終わりだから。とりあえず亜紀斗君。今日は、帰って寝た方がいいよ。体調不良による早退にしておくから」
藤山が席を立った。彼も調子は良くなさそうだ。寝不足だろう。
亜紀斗も立ち上がった。
「じゃあ、今日だけは帰らせてもらいます」
正直なところ、亜紀斗は限界に近かった。肉体的にも、精神的にも。まずは眠りたい。気の済むまで眠って、気持ちを切り替えたい。
小会議室から出ると、亜紀斗は着替え、帰路に着いた。麻衣には、チャットアプリで早退したと連絡した。
◇
その日のうちに、磯部と南の殺害事件は、捜査が打ち切られた。理由は機密事項として、周知されなかった。
また、合わせて、咲花が行方不明者として扱われることになった。
それらの理由と事実を知る者は、ほとんどいない。
※次回更新は明日(4/30)の夜を予定しています。




