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罪と罰の天秤  作者: 一布
第三章 罪の重さを計るものは
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第十三話③ 最後の復讐。その一歩手前(後編)


「少し自分語りになるけどな。俺、昔、荒れてたんだよ」


 亜紀斗が語り始めたのは、彼の少年時代の話。咲花が以前、藤山から聞いていた話。家庭環境に恵まれず、外で喧嘩ばかりしていた。喧嘩を売られたら、考えるよりも先に買っていた。大勢が相手でも暴れ回った。ついには、相手に大怪我をさせて病院送りにし、警察のお世話になった。


 警察に捕まり、少年課の警察官――先生に出会った。罰するよりも、償わせる道に進ませてくれた恩人。


「俺は、先生みたいになりたかった。どんな犯罪者にも、罪を償わせたかった」


 知っている。咲花とは明らかに異なる考え。だから咲花は、何度も亜紀斗と争った。


「でも、最近、分かったんだ。どんなに諭しても、どんなに道を示しても、償わない犯罪者もいる。社会で生かすべきじゃない鬼畜がいる」


 言葉を切り、亜紀斗は、足元にいる高野を睨んだ。睨むついでとばかりに、蹴りを入れる。ふげっ、と高野が悲鳴を上げた。


「こいつみたいに、反省も後悔もしない鬼畜がいる」

「うん」


 頷いて、咲花は口元から笑みを消した。亜紀斗の言いたいことが、言葉の行間まで分かった。


 亜紀斗は決して、犯罪者に償わせるという信念を捨てたわけではない。ただ、償わせるに値しない者も一定数いると言っているのだ。偏っていた視野が広がり、より現実的で、より理想的な(こころざし)を抱くようになった。


 咲花は、亜紀斗のことが嫌いだった。嫌いだから争い、挑発し、訓練では叩きのめした。


 しかし、嫌いだからといって、全てを否定していたわけではない。確かに認めていたのだ。亜紀斗の、信念に殉ずる意思の強さを。苦難にも挫けない鋼の精神力を。どれほど高い壁でも乗り越えようとする、向上心を。


 認めている。嫌いでも、かけ替えのない仲間だと思える。肩を並べて歩ける同志だと気付いている。


 でも。それでも……。


「ねえ、佐川」

「何だ?」

「そいつがどうしようもないクズだって分かってるなら、殺させて。あとは、そいつだけなの。そいつさえ殺せれば、もうどうでもいいの」


 亜紀斗は、悲しそうに目を細めた。泣きそうになっているように見える。そんな顔のまま、首を横に振った。


「駄目だ。お前に、こいつは殺させない」

「どうして? 分かってるんでしょ? そいつが、償いなんてしないクズだって」

「分かってる。でも、駄目だ。こいつが救いようのないクズでも、生きてる価値なんてないゴミでも、()()()()殺させない」


 亜紀斗の体が、細かく震え始めた。その目はますます潤んできている。


「なあ、笹島。どうしてだ? どうして、いきなり復讐なんて始めたんだ? 凶悪犯を殺せなくなったからか? 神坂の再犯が原因か? それとも、神坂が死んだからか?」

「全部が理由かな」


 素直に、咲花は答えた。今の亜紀斗には、正直に伝えたかった。


「お姉ちゃんは、私に復讐なんて望む人じゃなかった。だから、せめて、私みたいな気持ちになる人を少なくしたかった。私みたいな人の心に寄り添いたかった。でも、できなくなった」


 生きる目的が、なくなってしまった。


「それにね。私、一時期、現場で犯人を殺さなかったでしょ?」

「ああ」

「実を言うとね。少しだけ……ほんの少しだけ、あんたの考えに寄り添ってみようって思ったの。でも、神坂がまた罪を犯して、馬鹿らしくなった。償いなんてしないクズが、確実にいるから」

「正直なところ、今なら俺も分かる」

「そんなことが重なって、刑務所で神坂が死んで、タガが外れたの。私はもう、お姉ちゃんに報いることができない。神坂は刑務所で殺された。でも、死ぬべき奴等はまだ三人も生きてる。それなら、残りの奴等は私が片付けてやろう、って」

「なんでだよ……」


 亜紀斗の声が、歪んでいる。今にも泣き出しそうな歪み方。


「なんで……」

「だから、言った通り」

「それでも!」


 プレハブの中に、亜紀斗の声が響き渡った。悲鳴にも似た響きだった。


「それでもお前は、殺すべきじゃなかった! 凶悪犯を殺せなくなったなら、別の方法でお姉さんに報いるべきだった! 司法が鬼畜を社会に出すなら、戦い続けなきゃならなかった! お前が犯罪者になるんじゃなく、別の方法で戦うべきだった! 犯罪と戦って! 司法と戦って! 悲しいことと戦って! 苦しいことと戦って! 戦って! 戦って! 戦って! 戦うことで、お姉さんに報いるべきだった!!」

「……」


 亜紀斗の言いたいことは分かる。彼の言うことは、間違いなく正しい。


 けれど人は、いつでも正しく生きられるわけじゃない。罪を犯さない、という意味でなくとも。悲しくて、苦しくて、どうしようもないときがある。恨みと憎しみに囚われてしまうこともある。


「佐川の言う通りだと思うよ。でも、もう遅いの。私にできるのは、もう、そいつを嬲り殺しにすることだけなの」

「そんなこと……」

「ねえ、お願い。殺させて。そいつを嬲り殺しにできたら、あとは好きにしていいから」


 亜紀斗はギュッと目を閉じ、俯き、唇を噛んだ。ほんの二、三秒だけ、咲花から目を逸らして。すぐに目を開け、強い視線で咲花を見つめ直した。


「駄目だ。殺させない。俺の隣りには、お前が必要だ」


 まるでプロポーズのような、亜紀斗の言葉。もちろん彼は、そんな意味で言ったのではないだろう。


「言い方考えないと、誤解されるよ?」

「茶化すな」

「うん。分かってる。でも、私、もう二人も殺してるから。あんたの隣りにいるのは無理でしょ?」

「別に刑事としてでなくてもいい。お前の信念も、俺自身の信念も、これから俺が背負う。お前は、俺の隣りにいるだけでいい。刑事でなくても」


 ああ、そうか。咲花は無言で呟いた。亜紀斗は、クロマチンを使用して罪を犯した者がどうなるか、知らないんだ。


 捕まれば、咲花は間違いなく殺処分される。犯罪者として扱われることもなく、裁判にかけられることもなく、秘密裏に殺される。


 咲花には、もう、まっとうに生きる道はない。だからこそ、高野だけは殺しておきたい。


「ごめんね、佐川。あんたの頼みは聞けない。邪魔するなら、あんたを片付けてからそいつを殺す」

「……」


 亜紀斗は両目を擦った。涙が流れる前に、塞き止めていた。口から、低い声を漏らす。


「おい、クズ」


 高野は何の反応も示さなかった。虚ろな目で、ただ震えている。


 亜紀斗は高野に蹴りを入れた。


「この場にクズっていったら、お前しかいねぇだろうが。呼ばれたら返事しろや」

「……すみません」


 高野はすでに泣いていた。大して痛めつけられたわけでもないのに。少なくとも、香澄に比べれば。


「で、ゴミ。助けて欲しいのか?」

「助けてください」

「分かってると思うけど、お前が助かるためには、俺があいつを止める必要がある」

「お願いします」

「で、実はあいつも、俺と同じ刑事でな。実戦訓練で、俺と何度も戦ったことがある。何回戦ったか数えてみたら、三十七回だった」

「はい」

「それで、だ。俺とあいつの戦績、何勝何敗だと思う?」

「は? え? え……と、分からないです」


 亜紀斗は再び、高野に蹴りを入れた。「うごっ」という呻き声。


「勘でもいいから答えろや。何勝何敗だ? 間違ってても怒らねぇから、言ってみろ」

「あの……え、っと……」


 怒らないと言われても、高野は怯えていた。亜紀斗の機嫌を損ねない回答を探しているようだ。やがて、決心したように答えた。


「三十勝七敗、くらいでしょうか?」


 亜紀斗は鼻で笑って見せた。


「ハズレだ。答えは、〇勝三十七敗」

「……は?」


 高野の口から、間抜けな音が漏れた。わけが分からない、という顔をしている。すぐに、目を見開いて絶望に満ちた表情になった。亜紀斗の言葉の意味を理解したようだ。血まみれの顔から、サーッと血の気が引いてゆく。


「俺の、三十七戦全敗。あいつには、一回も勝ったことがない」


 見開かれた高野の目から、涙がこぼれ落ちた。死刑宣告でもされた気分なのだろう。ただの死刑ではなく、拷問の末に殺される死刑。


 亜紀斗は片腕で、高野を持ち上げた。軽々と。クロマチンを発動させたのだ。そのまま、プレハブの隅に高野を投げ捨てた。壁にぶつかり床に落ちた高野の口から、「おごっ」という悲鳴が吹き出た。間違いなく、体の何カ所かは骨折しただろう。


 咲花は、亜紀斗に向って構えた。いつもの実戦訓練と同じように。いつもの実戦訓練とは、違う気持ちで。


 亜紀斗も構えた。隅にいる高野に、吐き捨てる。


「せいぜい、奇跡に期待でもしてろ」


※次回更新は4/23を予定しています。


反発し合っていても、互いに認め合っている二人。

今まで何度も戦ってきた二人。

今までは訓練。ジャッジをしてくれる人がいた状況での戦いだった。


今回の戦いは、止めてくれる人などいない。

認め合う二人が、譲れないもののために戦う。

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