第十二話 ただ注力する
咲花の姉を殺した犯人。生きているのは、あと一人だけだ。主犯格である、宮本祐二。今は高野祐二という名前になっている。
五月。ゴールデンウィークも過ぎ、世間は日常を取り戻している。
亜紀斗はこの一ヶ月で、咲花の姉の事件を、より詳しく調べ上げた。捜査一課の同行と並行しながら。
磯部や南を殺したのは咲花だと、確信している。もしかしたら、刑務所にいる神坂を殺したのも、彼女かも知れない。だとすれば、彼女が次にすることは決まっている。
高野祐二の殺害。
咲花は現在、容疑者候補の下位いる。決定的と言えるほど有力な容疑者候補はいない。ただ、次に狙われるのは高野だと、捜査一課も目星をつけていた。
しかし、高野の足取りを追うのは容易ではなかった。
高野は釈放後、完全に姿を眩ませていた。養子縁組をした支援団体の人物も、彼とは連絡が取れなくなっていた。
咲花は、高野の情報を掴んでいるのだろうか。彼を殺す準備を進めているのだろうか。
捜査一課も、高野の行動を掴めていない。つまり、彼に張り込むことで犯人を見つけ出す、という手法が取れない。
どうすれば咲花を止められるか。考えた末に、亜紀斗は、もっとも原始的な方法を選択した。
時間が許す限り、自分で咲花の周辺を張り込む。
もちろん、亜紀斗も仕事をしている。業務時間が咲花と合わないこともある。彼女を見張れない時間帯もある。
亜紀斗は探偵を雇った。交際している女性が浮気をしているかも知れない、と嘘の依頼をして。
咲花を止めたい。それは決して、高野を助けるための行動ではなかった。
亜紀斗は、咲花の姉の事件について調べた際に、当時の捜査資料を確認した。資料の中にある、現場写真も目にした。遺体の写真も――咲花の姉の姿も見た。
ひどいものだった。
咲花の姉が監禁されていた部屋には、血が飛び散っていた。彼女が、凄惨な暴行を受けた痕。狭い部屋に一ヶ月も監禁され、筆舌に尽くしがたい陵辱と暴行を受け、一人残された妹を心配しながら、地獄の中で彼女は殺されたのだ。
咲花の姉の遺体。写真で見ただけでも、吐き気を催すほど傷ましい姿だった。どれほど残酷な拷問を受けたら、こんな姿になるのか。極度のストレスからだろう、髪の毛は全て抜け落ちていた。頬は鼻の高さに並ぶほど腫れ上がっていた。瞼は野球ボールのように腫れていた。体中に、無数の火傷の痕があった。性器や肛門には異物が挿入され、完全に破壊されていた。
人の所業とは思えなかった。
咲花の姉と亜紀斗は、当然だが面識も繋がりもない。言ってしまえば赤の他人だ。そんな亜紀斗でさえ、激しい憤りと悔しさを覚えた。肺が詰まるほどの息苦しさを感じた。
実の妹である咲花は、どれほど苦しかっただろう。捜査資料や遺体の写真を見たとき、どれだけ辛かっただろう。彼女が正気を保っていただけでも驚くべきことだ。
罪を犯した者を前にしたとき、亜紀斗は、常に先生の言葉を繰り返していた。
『償いは、許されることを期待するものじゃない。自分が壊してしまったもの以上のものを作り上げることだ』
亜紀斗は、被害者の痛みを想像していないわけではない。被害者遺族の苦しみから目を背けているわけでもない。むしろ、被害を受けた者の気持ちを考えるからこそ、犯罪者には償いをさせたかった。犯人を殺しても、被害を受けた事実が消えるわけではなから。犯人が死ぬことで、怒りや恨みの行き場を失った被害者遺族が、生きる気力をなくしてしまうかも知れないから。
だが、先生の言葉を実現できない犯罪者は、確実に存在する。加害者が生きているだけで死にたくなる被害者も、間違いなく存在する。
麻衣に言われたことが、今になって突き刺さった。
『償うどころか、反省も後悔もしない人がいる。出所した後に罪を犯したら、どうやったら捕まらないかを経験から考えるだけ。捕まったら、どうやったら重い罪にならないかを経験から考えるだけ』
咲花の姉を殺した奴等は、明らかに、反省も後悔もしていなかった。
出所後に再犯で捕まった神坂は、被害者に対して脅し文句のように言っていたという。
『人を殺して刑務所に入っても、看守を騙すなんて簡単だ。裁判で反省する素振りを見せて、減刑を嘆願することだってできる。お前一人殺したくらいなら、数年もすればシャバに戻れるんだ』
すでに殺された南は、半グレのような者達と行動していた。捕まってこそいなかったものの、他人に危害を加えていた。
同じく殺された磯部は、神坂や南と異なり、出所後は人に危害を加えていなかった。刑務所でいじめられ、人間不信となり、ほとんど引きこもりだった。自分は、咲花の姉に地獄を見せたくせに。償うこともせず、いじめられたことで被害者面をし、自分の罪に背を向けていた。
こんな犯罪者を見ると、麻衣の言うことは正しかったと改めて実感する。彼女の、先生に関する推察。
『何度も何度も裏切られて、色んな人を見て、判断できるようになっていったんじゃないかな。加害者であり続ける人と、償える人を』
先生は、確かに見極めていたのだ。償う犯罪者と、加害者であり続ける犯罪者を。
咲花の姉を殺したのは、明らかに、加害者であり続ける犯罪者だ。
殺されても同情なんてできない。むしろ、なぜこんな鬼畜共を世に放ったのかと、司法に問いかけたくなる。
奴等は一生、檻の中に入れておくべき獣だ。檻の中に入れておけないなら、殺処分すべきだった。
それでも亜紀斗は、咲花に、仇討ちをしてほしくなかった。
だからこそ、睡眠時間を削り、大金を払って探偵を使い、咲花の行動を追った。
家に帰ることもできない日々が続いた。出勤前にネットカフェで仮眠を取り、シャワーを浴びる。出勤し、仕事をする。業後は咲花の動向を追う。
そんな日々を繰り返して、一ヶ月ほど経った頃。
探偵から、ひとつの情報を入手した。
ある意味では想定内の情報。反面、ある意味では想定外の情報。
亜紀斗はただ、驚く他なかった。
※次回更新は4/20を予定しています。




