第396話 祝福の光の下で
「アルヴィレトは――綺麗で良いところですね。本当に」
少し離れた中庭の賑わいを眺めながら、クレアはグライフに対して呟くように言う。
「そうだな。普段は静かで、平和で……時間がゆっくり流れていたような記憶があるよ。だから、あの頃はこんなに平和でみんな顔見知りなのに、俺達のように身内を疑うような家系や稼業は必要なのか、と余計に引け目を感じていたのかも知れない。だが――」
グライフは小さく笑った。
「今は、先人を誇りに思えるようにはなった。これから先も、クレアや平和を守る知識と力にはなれる」
「そうですね。頼りにしています」
帝国やエルカディウスの後始末や国の再興を考えると、クレアが身を置く世界はアルヴィレトの中だけでは完結しない。クレアから暗闘を仕掛けるようなことはないだろうが、周囲からはそうではない。備えは必要だ。特に知識、見識という面では。
「その――宴が始まる前、お父さん達が言っていたこと、覚えていますか」
「……ああ」
ルーファス達が言っていた、王配に関する話。あの言葉は自分に向けられていたものだと、理解はしている。ただ、誇りに思えるようになったことと、自分がそれに相応しいと思うのかは、また別の話だ。
裏稼業の生まれの人間が、王女の隣に王配としているべきなのか。自分一人で考えた場合、踏み込むべきではないと結論付けただろう。しかし、それは今日、ルーファスやシルヴィア達から問題ないと言われてしまった。
歳だって、少し離れている。武芸や裏稼業のことばかりで育ってきて、口が達者なわけでもない。剣の腕や隠密行動と言ったところには自信があっても、王配として果たしてクレアに相応しいのか。共に国民の前に立ってクレアの足を引っ張らないのか。クレアが……選んでくれるような男なのか。そう考えた時、問われた時に、グライフは頷ける程自分に自信があるわけではないのだ。
ない、からこそ、ルーファスやシルヴィア達はああ言ってくれたのかも知れないが。クレアに向ける感情。それは好意と言うのは間違いない。単純に好ましい性格。敬愛や尊敬できる行動。そういう感情はまずあるだろう。その上で、想う。自分に問いかける。
「あれが――俺に向けて言われたこと、というのは、何となく理解しているつもりだ」
「そう、ですね。多分そういう事なんだと思います。その……私もこんな感じですし、後押ししてくれたんだと思いますが、周りからはそんな感じに見えていたかな、と……。ええとその、私としては……」
クレアの内心を示すように肩の少女人形が片手で顔を抑えてもう片手をバタつかせ、恥ずかしがるような、混乱しているような、そんな仕草を見せていた。
そんなクレアの様子に、グライフは、ふっと笑ってしまう。
「そう。そうだな。正直なところを話すなら、俺は王配として相応しいのか。クレアの足を引っ張りはしないかと問われてしまうと、自信があるわけじゃ、ないんだ。自信があるのは剣だとか諜報のことだとか、そんなことばかりで、な。歳だって離れているし、顔だって――頬に刀疵があってこんな面相だろう」
「そんなことは――」
グライフは、穏やかに笑って首を横に振る。
「けれど――そうだな。ゴルトヴァールで落ちそうになった時。クレアの身体を抱きとめた時、思ったんだ。この人を失いたくないと。驚く程、その身体が軽くて、華奢で。だから、ずっと傍にいて、この人を守りたいと思った。支えたいと思った」
真剣な表情で、クレアを真っ直ぐに見つめて言葉を続ける。
「俺は、選ばれる側だ。だから、俺から言わせてくれ」
「――はい」
クレアが頷く。宴の喧騒も、奏でられる音色も、どこか遠くの出来事のようで。
「これからも君を、誰よりも近くで見ていたい。俺を、選んではくれないか。足りないところがあるなら、相応しくなれるようこれからも努力をする。後悔は、させない」
自分を真っ直ぐに見てくるグライフの瞳は宴の明かりを反射して、深く輝いているようにクレアには見えた。
見つめ合っていた時間はどれぐらいか。今度は自分が言葉にする番だと思った。襟元に付けたブローチ――グライフからの贈り物に少しだけ触れて、クレアもまたグライフを真っ直ぐに見つめて、口を開く。
「グライフは……先程、ああ言いましたが。孤児院の子供達の面倒を見て、ああやって慕われていたこととか、何も言わずに危険な場所に自分から立とうとしてくれる事とか――色々なところで静かに支えて、気遣ってくれるところとか……」
クレアは一旦言葉を切る。想うのはこれまでの日々だ。そっと後ろで静かに守り、支えてくれているような人。グライフはそんな性格だ。仮に自分が断ったとしても、グライフは今まで通りにしてくれるのだろう。誠実で、優しい人だから。
それに、そんなグライフが信頼を預けてくれるから、自分もそれに相応しい振る舞いをしようと思える。女王になったとしても……。いや、女王になるからこそ、きっとそれは変わることがないのだと思えた。
だから。クレアも深呼吸をしてから答える。
「そういうところが、私は……好き、です、よ。私に相応しいのかと言いましたが、私は誰かを王配として選ぶ、のだとするのなら――グライフが、グライフさんが良いです」
「それは――嬉しいな」
「その……これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
少しの間見つめ合って。クレアはおずおずと手を伸ばし、グライフはそっとその指先を取った。だが……そこまでだ。
クレアの顔色が赤らんでいき、俯いてしまう。
「その……相変わらず、内面はこんな、ですけど……」
消え入りそうな声。内面。本当は人見知りで、王女としての顔や戦いの場としての顔はそうなれるように振る舞っているだけ、というのはグライフも知っている。
「勿論だ。そうあろうとしている、というのなら俺だって同じだからな」
そう言って、グライフは穏やかに笑う。
その時だ。風切り音のようなものと共に光の球が打ち上がり、空で極彩色に弾けた。花火。花火だ。祝宴のためにとクレアが案を出して用意されたもので、陽が落ちて予定通りの時間になったから打ち上げたのだろう。
一つ、また一つ。空に鮮やかな色の光の華が広がり、地上をその色に染める。
クレアとグライフは手を繋いだまま、それを見上げる。
「綺麗、ですね」
「ああ」
花火の鮮やかな光に染め上げられて照らされるアルヴィレトの城は、美しく幻想的なものだった。花火が打ち上がる度に、寄り添って立つ二人の影が揺れる。
そうやって二人は暫くの間花火に見入っていた。
「ん」
料理を山盛りにした皿を手に、エルムが通りかかって二人を見て声を上げた。頭の上にスピカも乗せて、花火と料理を楽しんでいた、と言った様子だ。
小さく声を上げてこちらを認めるエルム。
「あ……。えっと……」
クレアは小さく声を上げてそっとグライフから離れる。グライフはそんな様子に小さく笑い、エルムとスピカは何やらうんうんと納得したように頷いていた。
何となくではあるが、エルムとスピカにも伝わったものがあるらしく、両者とも祝福してくれているような雰囲気が感じられた。
王配としてグライフを選んだことになるが――それをどうルーファスやシルヴィア達に伝えたものか、と少しの間クレアは頭を悩ませることになった。
結局、普通に伝えるのがいいだろうと、二人揃って報告に行き、ルーファス達から祝福の言葉を受けることになったのだが。
そうやって、宴の時間は和やかに過ぎていったのであった。




