第390話 皇太子の帰還
「……大体、私達の調査と一致するわね」
「どうやら、そのようですね」
シルヴィアが言うとイライザも頷く。
「どういう意味ですかな?」
「帝国の地方を統治している領主達の中には、残念なことに必要以上の重税を取り立てたり、理不尽な統治と搾取を行ったりといった者も多いのです」
「……版図が広く中央の目が届かない。それも帝国の構造的な欠陥ですね。或いは領主当人は与り知らず、代理官の独断による不正ということもあるでしょう。ですが、それを見過ごしている無能や不作為も、政務を預かるに相応しくない人物と言わざるを得ません。国体を維持するのだとしても、不要だと断じます」
その言葉に、一気に帝国貴族達の表情が青ざめる。
「ああ。全員ではありませんよ。皇帝の不興を買えば血縁でさえ苛烈な扱いを受けるのですから、命を守りつつもその中で現実的な統治を行っていた方々もいるというのは分かっています」
そう続ければ、少し反応も分かれる。矜持があるのか真剣な表情になって居住まいを正す者と青ざめたままの者の二種類だ。
「この場で虚言を弄する者や不誠実な言葉を吐く者も信用には足りませんが……まあ、おおむね顔色と一致している、というところですか。名前を呼ばれた者はこちらの指示に従い、別室へ」
そう宣言し、抗議の声を上げる間も与えずに名前を羅列していく。
「お、お待ちください! 証拠もなしにこのような……!」
「そ、そうです! 虚言などと……そのようなことは……!」
名前を呼ばれた者は慌てて弁明しようとするも、その瞬間、凄まじい魔力が守護獣達から放射され、脂汗を流して押し黙る。
「帝国国内の諜報部隊からあなた方の統治の実情を記した資料もありますが……そもそも国体を維持することも、あなた方の協力を得るかどうか検討することも、戦いをすぐに終わらせ、戦後の混乱を最小限にして民の負担を減らす、という……ただそれだけが理由なのです。交渉のテーブルではありますが、そもそも対等ではありません。勘違いをなさらないように」
「元より、あなた方がしてきたことを考えれば、即刻全員処断、族滅でもおかしくはないのだから……十分に恩情のある対応だとは思うけれどね」
クレアの言葉に同意するようにルシアが続ける。
「わ、私達はどうなるのですか……家族は――」
「それぞれやってきたことも違うでしょうから追跡調査の上で沙汰を下す形になります。家族も……知っていて協力し、不正な蓄財から利益を得ていたなら相応の罪はあるでしょう。年端もいかぬ子であれば――保護はしましょう」
帝国に対しては暫定的な処置として同盟の盟主たるアルヴィレトの統治機構――総督府を設ける形になる。帝国の新体制が確立、安定するまでの補助を行うということになるだろう。
その上で裁きを下すならばアルヴィレトの法に照らして罪相応のものを、となるだろうか。やったことが陰惨なものなら死罪になり得るが、アルヴィレトの法には追放刑に合わせて開拓や採掘作業に従事というものもあるらしい。
当人でなく家族も行いを知っていて諫めるでもなく、贅沢な暮らしを享受していたのなら共犯だろう。流刑地に封じ、そこを自分達の手で開拓させて自活生活をさせる……というのも民の暮らしから収奪していた者に対しては相応の罰かも知れない。
貴族達は逆らうことも抗弁することもできないのか、項垂れつつも深底の女王とアルヴィレトの武官に連れられて隣室へと移動していった。その際、足首のあたりにトリネッドの細い糸が巻き付いている。逃亡は不可能だろう。
「子供には恩情を、ですか……」
帝国の老将が彼らの背を見送り、目を閉じる。
騎士ではあるが主戦派ではない人物というのがルードヴォルグの評だ。ただ、堅実で防衛戦に定評があったことから、不在の間の帝都の守りを任されたのだろう。ただ――その将軍をして、守護獣達相手ではどうしようもないという判断になっての無血開城ではあるのだが。
クレアは何も言わない。恩情。確かにそういう気持ちも個人として見るならばあるかも知れないが、何も彼らに恩情をかけたというわけではない。
罪を犯した個々人にのみ負うべき咎が生じるからであり、為政者としての権力の使い方に法という基準を設けているというだけだ。エルカディウスの全てを受け継いだ自分がエルンスト達のようにはならないためであり、帝国に対して規範を示さなければならないという意味もある。
「さて――。では、ここに残った者達は彼らとは少し違う、と仮定して話を進めましょうか。確認しますが、ルードヴォルグ殿下が戻って来た際にその政務を支え、帝国の体制を根本から作り直し、建て直すことに協力する気はありますか? 最初に言っておきますが、どちらの選択であっても考え方や生活も、これまで通りとはいかなくなるでしょう」
帝国貴族のやり方は、被支配層がいてこそのものだ。そこが認められないのだから、根本から方法を改めなければ立ち行かない。
断わるのならばそれはそれで貴族としての責務を履行していないということになる。政に関わる資格もない。相応の処遇と身分になるだけだ。
問うているのは国や帝室の形が変わろうともこれまでの知識や情報を手に、ルードヴォルグを補佐する気があるのかという――国を支えてきた貴族としての矜持や覚悟の問題でしかない。
「それは――」
即答を躊躇う者達の中で、口を開いた者と立ち上がった者がいる。宰相のリグバルド。それから老将軍ベルケル。補佐官のオルトレンだ。
「そのつもりです。私は――宰相の地位としてできることをと考えて、生きてきましたが――。臆して目を瞑り、口を噤んできたからそうすることができていたのです。ですが、エルンスト陛下を誤った方向に進ませたのも、ルードヴォルグ殿下を苦境に立たせてしまったのも、我らのそのような臆病さが寄り集まって招いたこと、なのでしょう。でしたら……それを変えるためにも、今度こそ正しく力を使いたい。亡国の瀬戸際に立たされて、今更……なのかも知れませんが」
「……リグバルド殿の仰る通り、ですな。まだこの老骨のこれまでの知識や経験を役立てる場面があるのならばですが」
「私は貴族ではなく一役人でしかありませんが、体制が変わろうともお役に立てることはあるでしょう。どうかよろしくお願いします」
リグバルドに続き、ベルケルとオルトレンも言う。
それで残った者達も覚悟が決まったのか、一人一人ルードヴォルグを支えるつもりだと言葉を口にしていった。
イライザが静かに頷く。残った者達は、先程出ていった者達とは違うということだろう。
「良いでしょう。では――」
クレアが視線を向けると、後方に控えていた仮面とローブの男が頷く。そうして、フードを下ろして仮面を外す。
「で、殿下……!」
「同行しておられたとは……!」
そこにいたのはルードヴォルグ当人だった。
「ルードヴォルグ殿下の帝位の継承と国内統治の権力移譲を進めるにあたっては――まあ邪魔な貴族もいましたからね。補佐にあたるのは、覚悟と矜持を以って望める者、法を遵守する意識のある者達だけで十分です」
クレアが言うと、ルードヴォルグも頷いて口を開く。
「……というわけだ。皆、久しいね」
「で、殿下。ご無事で何よりです……」
「本物であるか、とは問わないんだね」
苦笑するルードヴォルグに、リグバルドも少し笑う。
「殿下のことは幼い頃より存じておりますれば、影武者であれば気付きます。些細な思い出話まで影武者にできるとは思えませんな。それに……先程のクラリッサ殿下の話にも傍証が沢山ありましたから」
「思い出話か。そうだな。家庭教師の授業中に、リグバルドが顔を見せた時があっただろう。あの時私が茶を零して、ここを火傷してしまった話だとかね」
「ああ。そんなこともありましたな」
手首に触れながら言うルードヴォルグにリグバルドが頷く。それは、他の貴族達にも間違いなくルードヴォルグ当人だと伝えることにも繋がっていた。




