第389話 皇帝の心の裏に
影武者と実験。本物なのかどうかなのか。確かめる方法はある。リグバルドならルードヴォルグの幼い頃を知っているから、そこを本人に聞けばいいだけだ。だから、そんなことでクラリッサ王女達は嘘を言いはすまい。他の情報も信憑性を高める傍証になっている。
クラインヴェールの一件は何か、軍関係の研究施設から大きな竜の影が飛び出していっただとか、大きな出来事があったようではあるが……エルンストの命で箝口令が敷かれていたはずだ。
そこまで厳命するというのは何かあるのだろうとは思っていたが、触れることはできなかった。国庫から魔法研究の予算は捻出されていたが、その内訳は軍事機密扱いであり、振り分けも国王の専権事項であったからだ。
勿論、そんなことを部外者が知るはずも無い。宰相ですら知り得ないことで、探りを入れれば処罰の対象に成り得る。魔法の研究施設がクラインヴェールにあるのは知っているが、その程度だ。
そういった軍の機密に対してできる宰相の仕事は、皇帝に言われた予算をいかに捻出するか、というものでしかない。
「それが本当の話であるというのであれば……知り、ませんでした。ルードヴォルグ殿下からの相談は受けていましたが、体調が悪い、静養するとそれが途絶え……宰相として、それを……知らされもしなかったというのは……」
イライザは――項垂れたリグバルドの言葉に静かに頷く。リグバルドの反応に嘘は見当たらなかった、ということだ。
ここに来てリグバルドが目に見えるほど落ち込んでいるというのは、エルンストから宰相の地位を与えられながらも、そういった裏でしていることを知らされなかったこと、気付けなかったからだ。
信頼を得られていなかったように感じられたり、自分の目が節穴だったのではないかと感じてしまった。
自分が清廉潔白ではない、というのは自覚している。帝国の為にと言われれば、他民族を犠牲にしていることを良しとしている部分はあった。エルンストは苛烈な性格。自分とて諫言をすればどうなるか分からない。内政は歪みを抱えつつもエルンストの求める方針に従うことが帝国の基本となっていた。
だが。長年仕えてきた相手なのだ。自分の仕事、手腕は信頼されていると思っていた。何よりエルンストのこともルードヴォルグのことも幼い頃から知っていた。エルンストの暗殺未遂の騒動は知っていたし、ルードヴォルグのことも将来を楽しみにしていたのだ。
ルードヴォルグは聡明で帝国を支えるのは勿論、次代で少しずつ変えていける人物なのではないかと見込んでいた。だからエルンストを支え、ルードヴォルグを支えようと思っていた。
なのに。それが――全く心の内に立ち入ることが出来なかった――というのは。
リグバルドははっとしたように顔を上げる。衝撃を受けている場合ではない。
「し、して……! ルードヴォルグ殿下は……!」
「心配はいりません。私達はクラインヴェールにも潜入し、人体実験をされていた同胞を救出する際に、ルードヴォルグ殿下の保護と治療もしています。命に別状はなく、体調は安定しています」
クレアの言葉に、リグバルドは安堵したように胸を撫で下ろす。しかし、そうだとしてもルードヴォルグがそんなことになっていたと気付けなかったというのは……。もっと、違和感に目を向けていれば――。
「……あまり、気に病まない方がいいでしょう。遠い関係の人達なら数字の上で処理することができても、顔を知った相手だと耐えられない。そういう感性の人物だと皇帝が思っていたとしたら、そういう裏の話は、しないでしょうから。帝国にとって必要な人間だと思っていたとすれば、尚のことです」
リグバルドにかけられたのは、そんなクレアの言葉だった。
ああ。エルンストは、そういう御仁だったかも知れない、とリグバルドはクラリッサ王女の言葉がすっと腑に落ちた。勿論、クレアはエルンストの人となりをそこまで知らないだろうから、見かねての言葉だったのかも知れないが……それで何となく、エルンストの心の内に触れられたような気がしたのは事実だ。
クラリッサ王女に慰めの言葉を掛けられるほど自分は取り乱していたのかと、リグバルドは自身の気持ちを切り替え、表情に出ないように努める。
もっとも、クレアはエルンストの深いところを、縁の糸で触れて知っていたからそういった言葉を口にしたのだが。
多分リグバルドは半端に情に甘いところがある人間だから、そういう裏の事情には触れさせなかった。内政に必要な人間と評価していて、自分のことを支えるつもりがあって。そんな相手が、裏でしていることを知った時、もしも自分を否定するような事を言ったら。諫言してきたら。
始末するしかなくなると。そう思っていたから。それは、したくないから。
だからエルンストはリグバルドを半分無意識的にそういう方面からは切り離していたのだ。ルードヴォルグに苛烈な扱いをしたのは歪みの部分から来ているが……エルンストの人間的な部分、感情的な部分の裏返しでもあったのだろう。
大切に思う部分があるから核心からは遠ざける。だというのに帝国を憎んでいるから、トラヴィスのような人物は手元において重用する。こういう動きが無意識的な部分であったのだ。あんな暗殺事件さえなければと。そう思わざるを得ない。
少しかぶりを振って、クレアも思考を切り替える。
「……一人一人答えて頂きたいのです。それらのことを、知っていたのか、いないのか。知っていることがあるのなら、どこまで把握していたのかも」
イライザが言った。イライザも、そんなエルンストの内心であるとか人物像には思うところがあるが……今はそこに目を向けている時ではないし、態度にも出さない。 クレアやリグバルトが気持ちを切り替えたのを見て、同様に自身も意識的に気持ちを切り替えて重鎮達を見回す。
重鎮達は知らないと異口同音に言う。それぞれでルードヴォルグが病に伏して静養していたことは知っていただとか、クラインヴェールに軍関係の施設があることは知っていた等々……断片的に持っている情報は違うようではあるが、核心の情報は持っていないと。
基本的には大人しくイライザの質問に答えていた。というより質問を拒否するという選択は守護獣達と共に詰めかけている以上、とれないのだろう。
イライザは一見、静かに頷いて応対しているように見せていたが、その実ちょっとした仕草の中に合図を混ぜて、固有魔法によって潔白かどうか、誠実に答えているかどうかを伝えていたりする。
その中で白と判定された人物には考え方、今後どうしたいか等の聞き取りを行った。
殊勝な発言を聞きたいわけではなく、戦奴兵や被支配層である奴隷が今後すべて解放されるという前提の元に現実的な考え、見識を聞かせて欲しいのです、というイライザの言葉で、彼らも為政者としての発言と現状への見解を引き出された形だ。
一方で、黒と判断された人物には、もっと突っ込んだ情報が引き出せるように誘導を行っていった形だ。
やがてイライザは「質問はこんなところで結構です」と切り上げる。大体それぞれの考え方は理解したというところだ。
帝国貴族はエルンストからの不興を買わないよう、方針には従いつつその中でできることを、というのが良くも悪くも基本となっている。
現在、主だった有力な領主達も、大樹海侵攻の再編の都合上帝都に集まっているという状態で、それらの者達にも聞き取りができるというのは一気に帝国国内の掌握を進めることができるだろう。そもそも地方の統治は代理官に任せている者も多い、ということだ。
保身や私服を肥やすために知恵を回すのか。現実的な統治のために皇帝の示した方針の中でできることを模索するのか。
そういった違いはあるが、後者の貴族達はルードヴォルグの力になれる者達だ。そういう部分での切り分けを行った形である。




