第388話 帝国貴族の最も長い一日
帝都の様子は一見壮麗な印象はある。清潔で美しい街並みではあるが――。
外縁部から外れた裏通りまで視野を伸ばせば、そこには物乞いや孤児がいるのが見て取れた。特に地下区画だ。北方にある帝国では路上で生きていくのは厳しいのだろう。地下区画の一部がスラムのように機能しているらしく、そこでは孤児や浮浪者、貧民達が寄り集まってコミュニティを形成していた。
軍事国家である以上、戦争で孤児や傷痍者、焼け出された者も生まれやすい状況だろう。日の当たるところにいる将軍や兵といったものは名誉の負傷として扱われもするのだろうが、エルンストはそういったところに目を向ける性格でもない。
だから――そこからあぶれた者達が地下区画や裏路地で肩を寄せ合い、日陰で糊口を凌ぐようなことになっているのだ。
彼らへの支援、保護もまた、必要な事だろう。帝国が揺らげば彼らは尚のこと暮らしにくくなるのだから。
「……分かってはいたことですが、課題の多いことですね」
クレアの呟きはリグバルドやオルトレンの耳にも届いてはいたが、その意味するところは分からなかったようだ。
大通り沿いに兵士達も配置されているが――流石に食って掛かる度胸のある者はいないようだ。守護獣達の圧倒的な姿に腰が引けているという印象である。
そのまま大通りを進み、クレア達は宮殿へと向かう。水路を境に結界で覆われた宮殿は敷地も広大で――細かな装飾にも贅を凝らしており、総じて壮麗で華美な印象だ。エルンストの代で作られたものというわけではなく、帝国という国の積み上げてきた軍事国家としての歴史がこれを成したと言える。
「彼らも入っても問題はありませんね?」
クレアが守護獣達を見ながら尋ねる。魔法生物達の背から降りてきた体で、各勢力、部族の代表者、その代理と言った顔触れも姿を見せている。
「敷地や建物の広さは……十分に。その……従魔扱いしているわけではないのですが、要人の護衛として従魔が同行する場合や、騎乗する飛竜が敷地内に入ることもあります故……」
その辺は特に問題ない、ということらしい。ただ、施設の大きさによっては入れない守護獣もいるだろうというのがリグバルドの見解だ。天空の王や巨大な岩の身体を持つ守護獣には窮屈だろうということで、一部だけを伴い、残りの者達には外で警戒をしてもらうということになった。
「では――私はこれにて。何かあればお呼び下さい」
宮殿に入ったところでオルトレンも自分の案内役としての出番も終わったと思ったのか、そうリグバルドに言って退出しようとする。
「ああ。差し支えなければオルトレン殿も同席させて頂けませんか? 外交にも内政にも長けている人物という評を耳にしています。これから先、調整役となり得る方だと思いますし」
「オルトレンを、ですか?」
「ええ。当人に引き受けて頂けるなら、ですが」
クレアが言うと、リグバルドが視線を向ける。オルトレンはやや戸惑っていたようだが、クレアを見て――何か思うところがあったのか、やがて静かに応じる。
「私などで良いのでしたら」
「では、決まりですね。苦労をかけるかと思いますが」
「非才ではありますが、よろしくお願い致します」
オルトレンは一礼する。クレア達はそのまま、大きな回廊を通って会議室へと向かった。様々な目的に使われる会議室ということだ。軍議にも使われるため、かなり広く、同行したトリネッドや孤狼、深底の女王や、ネフ・ゾレフといった守護獣達も十分に立ち入れる。
トリネッドもいるので、外の守護獣達との連絡も問題はない。
宰相リグバルドを始め、彼が話を聞くべきと判断した重鎮達が集められる。今帝都の軍を指揮している者は老将で、指揮経験は豊富でも現役からは半分退いているということであった。
お互い主だったものが名と肩書きを伝え、自己紹介を済ませる。その自己紹介ですら、帝国の者達には衝撃的だった。協力している勢力が多岐に渡る。それらの連合勢力をいつの間にか組織していたということになる。
「さて。何から話をしたものでしょうか。伝えるべきこと、話をしておくべきことは多いのですが。まずは、戦死者で回収できた者の返却。その後であなた方にとっても重要な人物の話、でしょうか」
「遺体……。そう言えば、棺を運んできたという割には――」
『我らが協力し、魔法を用いて収納して運んできた。棺に納めてきたが、出していいのならこの場で出そう』
ネフ・ゾレフが言うと、視線が集まる。喋るとは思っていなかったのだろう。正確には念話のようなものだが。
クレアの力の一端を隠すためにネフ・ゾレフが申し出たものだ。ネフ・ゾレフ自身も自分の力を誤認させることができて丁度良い、ということであった。
「……そ、そうですな。確認、せねばなりますまい」
「確認するのも気が重いですが……」
重鎮達の一人は遺体を確認することに恐れを成していると言った様子であった。宮殿に仕える文官であるため、そういった荒事には不慣れではあるのだろうが、重苦しい顔をしている者もいて。そう言った者達は親類縁者を派兵しているのかも知れない。
だが、それらに対して謝罪はしないとクレアは既に決めている。
戦場でのことだ。攻め込むという決断に従い、戦いに赴き、結果として敗れた。
残酷な現実だが、敗北というものがどういうものか知って、戦うことの痛みを思い知らなければ彼らとて変われないだろう。特に帝国は、戦奴兵達を矢面に立たせ、血を流さずに勝利を得てきたのだから。
兵士達に搬送させる準備もできたということなのでネフ・ゾレフが黒い空間を作り出し、そこに糸繭を配置してその黒い空間から引き出されたかのように棺を空いているスペースに出していく。
「……おおお……。将軍達も……近衛の者達に、宮廷魔術師殿も、ですか……」
「何という、ことか……」
「これほどの損害、とは……」
確認する者達の表情が見る見る曇っていく。リグバルドは既に覚悟をしていたのか悲壮な表情ではあるが、威厳だけは失わないようと努めているようだった。他の者達も自分達は高位の貴族で、皇帝亡き後の戦後交渉という自覚があるからか取り乱さないように振る舞っている様子ではあるが。
ただ、彼らにとっての衝撃的な話というのはまだまだある。今日という一日は、帝国にとって相当長いものになるだろう。
「――して……我らにとって大事な人物の話、とは?」
受け渡しが終わると重苦しい表情でリグバルドが尋ねてくる。まだあるのか、というように呆然としていた他の重鎮達も我に返ったように表情を曇らせるが、聞かないというわけにもいかない。
「そ、そう……ですな。戦死者の返還と並ぶほど……重大な話、なのでしょう?」
「はい。それを答えつつ、軽く確認をさせて下さい」
そう言ったのはイライザだ。固有魔法によって、彼らがどこまでエルンストが裏でしていたことを把握していたのかを調べてしまおうというわけだ。ルードヴォルグが戻ってからの統治においては重要な部分だろう。
「話というのは皇太子ルードヴォルグ殿下のことです」
「ルードヴォルグ殿下が、一体どうなさったと……」
「今、帝国側が所在を把握している人物は影武者です。本物は――エルンスト帝の不興を買ったことでクラインヴェールに幽閉され、トラヴィス皇子の主導によって魔法実験の実験体とされていました。それらを、ご存じでしたか?」
「馬鹿な……! いくら陛下でも実の子に、そのような……! その、ような……!」
リグバルドが腰を浮かして言いかけるも、声は尻すぼみになった。エルンストならやりかねない。そう、思ってしまったのだ。
グレアム皇子とその妹、エルザへの待遇であるとか、ヴァンデルやバルタークのように戦いに優れた子らを戦地に送って戦功を競わせるようなやり方だとかが、脳裏を過ぎってしまったから。
ましてや、ルードヴォルグはエルンストに内政の方針について対立するような意見を持っていた。リグバルドもルードヴォルグから相談を受けていたが、ある時からぱったりとそれが無くなった。それ以降はリグバルドが訪問や面会を申し出ても体調を理由に断られ続けている。
そして、先だってのクラインヴェールの騒動。何故自分達も知らなかったことをクラリッサ王女達が把握しているのか。符号、する。してしまう。様々なことが。




