第386話 宮殿からの遣い
「オルトレン=ホードハルキンですね。外交官にして執務の補佐を行う書記官も兼任している人物です。地方貴族の家柄ですが、爵位は持っていないはず」
ルードヴォルグが武官達の隣に立つ人物を見て言った。
「執務補佐……。実務方の人物ですね」
「そうです。様子見で交渉役として出されてきた、といったところでしょう。帝国では主流派でも穏健派でもなく、堅実に実務をこなす仕事ぶりが真面目で評価されて宮廷に取り立てられた人物で、外交と内政を繋ぐ人物でもありますね」
帝国は他国を支配しようと動くその軍事的な性格上、そういった部署、役職が必要になるのだ。
「ある程度話ができる人物で、こちらの出方を窺う、といった感じですかね」
「恐らくは。心情的には肩を持ってあげたいところですね。私とは話の合う人物でしたよ」
「留意しておきます」
糸繭の中から外の映像を見たルードヴォルグの、やや気の毒そうな様子にクレアは小さく頷く。
出方を窺う、と言えば聞こえはいいが、貧乏くじを押し付けられたという方が正確なのだろう。
ここであまり話の通じない人物を出しても仕方がないし、クレア達が好戦的でいきなり斬られるだとか、守護獣達に食われるなどということも――事情を知らなければ危惧するのも分かる。そこで実務方で理性的に話が出来て、交渉役になれる人物を、とオルトレンに白羽の矢が立った……といったところだろう。外交官も兼任しているという立場であることからも、人選としては間違ってはいない。
もっと単純に、上の者達の保身故にオルトレンに押し付けた、ということも有り得るが。オルトレン始め、一緒に出てきた武官達の顔は一様に青ざめ、緊張の色が見られる。守護獣達に囲まれているのだ。致し方がない。クレアも少しその立場には同情する。
クレアは糸繭を天空の王の背に残したままで、グライフやセレーナ、ルシアーナ、ニコラスと共に地上に降りる。
クレアはクラリッサとしてアルヴィレトや同盟を代表して表舞台に立った形だ。グライフやセレーナは護衛役として。ルシアーナとニコラスは同盟を組んでいるロシュタッドを代表としてという形になる。宮殿内でもっと上役と突っ込んだ話ができるのなら、顔を見せて話をするべき面々ももっと多くなるだろう。
「オ、オルトレン=ホードハルキンと申します。此度、宰相殿より確認と案内役を仰せつかりました」
オルトレンは自身を落ち着かせるように深呼吸をしてから言った。
「それは、私達の勧告を受け入れ、交渉をする用意がある、と受け取って良いのですか?」
「……此度の状況にもよります。帝国が大樹海での戦いに敗れ、要人の返却に来たと仰いましたが……そのお話の真偽と現状を確認しないことには、現在帝都にいる者達だけで交渉を進めることは皇帝への背信や越権行為となるでしょう」
「それは……もっともな話ですね」
敗戦の報が早馬よりも先に敵方によってもたらされ、帝都が守護獣と飛行型の魔法生物によって包囲されているという前代未聞の事態ではある。
抗戦や抵抗するにはあまりに敵の戦力が大きく、要人の返却というのがどのぐらいの要人で、どのような状態なのかも知れない。それが把握できなければ、自分達がどれぐらいの裁量で、どの程度の責任を負って話をすることができるのかが分からない。まずは現状の確認をさせて欲しい、ということなのだろう。
「では――そうですね。最も分かりやすいところから」
クレアは言って、糸繭から棺を外に出し、グライフに天空の王の背中から降ろしてきてもらう。
「棺――ですか」
オルトレンの表情が曇る。最悪の状況も覚悟しなければならないということだ。そして、その予測は正しい。棺に設けられた小窓を開けば、そこにはエルンストの、目蓋を閉じられた姿があった。
清められて保存の魔法もかけられているが、返却というのは人質、という意味ではない。人質については後方にて捕えているから、そちらの返却は今後の交渉次第ということになるだろうが。
それを目にしたオルトレンは最悪の予測が当たったのか瞑目し、武官達は言葉を失っていた。或いは背後に守護獣達がいなければ武官達も反発していたのかも知れないが、剣呑で強大な魔力にそうする気力もへし折られている様子だ。
「……エルンスト、陛下……」
オルトレンは絞り出すような声で呟き、少しの間立ち尽くしていたが、やがて顔を上げるとクレアに尋ねる。
「トラヴィス殿下や、他の将兵達は――」
「トラヴィス皇子は大樹海の古代遺跡で――私達と戦った後、守護者達と出会い……空間の狭間に落とされました。回収は不可能かと」
「なん、という……」
「他の将兵に関してですが――主だった将軍達は戦死しています。魔術師のクレールもですね。戦死者も数が多いので回収できた人物では順次対応、という形になるかと。捕虜になった者もいますが、それ以外は――私達が空から見た時は大樹海を壊走中でした」
クラリッサ王女は淡々と口にしているが、要するに帝国の大敗、ということだ。しかも伝令より早く、こうやって良いように帝都まで攻め上られ、圧倒的な戦力で包囲され、棺を証拠として出された上に開城を求められている。
最悪の状況で、選択の余地すらない。
ただ――良い情報もある。クラリッサ王女が理性的で、交渉や遺体の返却と言っていることだ。攻め滅ぼすつもりであれば、領域主達が結界を破れないはずがないのだからとっくにそうしている。
大樹海への侵攻前に、地方で敗れた者達も考えてもそれは分かる――。クラリッサ王女との関連があるのならという前提ではあるが、奴隷扱いまでは考えていないのだろう。解放された武官達は従属の輪を付けられてはいても、軍との関わりや他者を害することを禁じていても、自衛や行動の自由までは奪っていない。市民としてならば生きる余地を残してくれている。
もっとも、その戦後交渉というのは帝国にとって相当不利な条件になるだろうが。今まで帝国がしてきたことを思うと属国であれば随分とましなのだ。
被害状況にもよるだろうが、大樹海に向かった帝国軍は相当な大戦力だったのだから、それ次第では周辺国家や周辺民族からの逆侵攻、支配してきた民族からの反乱等々、大きな動乱に繋がっていくことすら予想される。
だから――ここで交渉のテーブルにつかないという選択は有り得ない。敗戦の衝撃を和らげ、暗い時代になったとしてもそれを秩序だったものにできるのか。それとも動乱と混沌に飲み込まれてしまうか。その瀬戸際、分水嶺なのだ。
オルトレンはぐらつく視界の中で現状を受け止めてそう分析すると、絞り出すような声で言った。
「承知、しました。上役に話を通し、説得……して参ります。ですからどうか、彼らの抑えをお願いしたく……」
「口にした約束は守るわよ。私達は、ね」
オルトレンの言葉に答えたのはトリネッドだった。天空の王もにやりと笑う。
「……相談や状況を呑み込む時間も必要でしょう。日没までは待つ、というのは既に伝えた通りです。それ以降は待ちません。約束を守る、というのはそういう意味でもあります。お忘れなきよう」
恐らく恩情はあっても、甘くはない。宣言した以上はこちらが引き延ばそうとしても確実に実行するだろう。それをオルトレンは理解する。
何としても、他の者達に理解してもらわねばならない。説得しなければならない。幸い、日没まではまだ時間がある。
オルトレンと共に出てきた武官達が棺を担ぎ、そうして門の中へと戻っていった。




