第378話 宣誓と承認
「まずは改めて礼を伝えておきたい。こうして自由の身となったのも、そなた達の紡いできた絆、そして勇戦があってのものだ。誠に美しく織られ、見事なものであったよ」
「それは――ありがとうございます」
紡いできた絆について見事と言われたことに、クレアはそんな風に返す。自分のというよりも、皆のことを褒められたような気がしたから、そう答えていたのだ。
「ふふ。礼を言っているのは我だというにな」
クレアの返答に少し笑ってから、イリクシアは言葉を続ける。
「話というのは、この都の現状のこと。そして、これからのことだ。少し長い話にもなるであろうから、楽にして話を聞くがよい」
イリクシアに促されて、クレア達も立ち上がる。
「では――まずそなたと戦ったルゼロフ王、そして王の守護獣についてだ」
クレアはイクシリアを真っ直ぐ見て頷く。それはクレアとしても気になっていたことだ。
「まず王は――魂だけの状態となり、深い眠りについている。本来なら魂すら砕け散っていたところなのだがな。そなたはそこまで他者に対し、苛烈な報いを与えようとは思ってはいまい?」
依り代として同化したから、イリクシアはクレアの性格や考え方も掴んでいる。エルンストやクレール、それにトラヴィスに対してすらも――許せないとは思っていたが、報復として苛烈なものや、残虐なものはクレアは望まない。
というよりも、自分の中で、為政者としてそうすべきではない、という一線を引いているのだろう。
「そう……ですね。目的が相容れないにしても彼を慕う民、救われた民もいたのだと思います。それに、為政者を志す者として彼の在り方には思うところもあります」
クレアが頷くとイリクシアも頷いた。
「故に魂だけは回帰させた形だ。そなたの魔法は、本当に何もかもを単なる魔力にまで還してしまったのでな」
イリクシアがクレアの想いを汲んだ形ではあるだろう。クレアとルゼロフの戦いであったために、イリクシアやルゼロフの考え方、ゴルトヴァールの法も絡んだトラヴィスの時とは対応も異なる。
「少し、安心しました」
「うむ。次に守護獣だが――あれの魂も回帰し、眠りについておるが……他の守護獣達よりもゴーレムに近い存在でな。元より魂や自意識というものが希薄なのだ」
「それは――初めからルゼロフ王が制御するという想定だったのでしょうか」
「恐らくはな」
「そうでしたか……」
クレアは目を閉じた。ゴーレムに近い、自意識が薄いと言っても、人から利用されるために作られた存在だからこそ罪はないとクレアは思う。
「そして、ここからが本題だ。そなた、あの戦いの中で宣言したことを覚えておるか?」
「宣言……。エルカディウスの系譜に連なる王族として、ルゼロフ王の跡を引き継ぐということですか?」
少し考えてからクレアは尋ねる。
「その通りだ。そなたとしてはゴルトヴァールの民を案じ、王に対する説得の言葉でもあったのだろうが……王が倒れた今、そのつもりがあるのかを問うておこう」
イリクシアから問われたクレアは、居住まいを正し、真っ直ぐに見据えて口を開く。
「……あります。御身の前での誓いでもあったと思っています」
女神の前での宣誓。軽い言葉だと翻すつもりはない。ルゼロフを倒してそうなったら、元々ゴルトヴァールの後始末をするつもりではあったのだから。
「よかろう。元々魂だけの王。空席の玉座であったのだ。現存する王族の系譜が王位を継ぐことはエルカディウスの法とも合致するものであろうよ」
「ということは……クレア様は……」
セレーナが驚きながらも呟くと、イリクシアが言った。
「エルカディウス王国アルヴィレト朝の女王ということなるか。我が名において認めよう」
驚いているのは他の者達も同じだった。そして何故、ここに来るまでの防衛戦力が歓迎や祝福というよりも式典を想起するようなものだったのかを理解する。
言うなれば、クレアの返答次第で王位を継承する戴冠式になるからだろう。
「だが、ゴルトヴァールの民達とは、我との契約関係もある。守護獣の統制を受けてのものでもあるが、幸福にするという契約を取り交わしているのだ。故に――提案がある」
「提案、ですか?」
「そう。まずは現状を伝える。契約を終わらせ、夢から覚める者を望むものはそのように。我が揺籃で眠り続けることを選ぶ者は――魂だけの形であれど、我がこの世界を去る時が来ようとも当人らが望み続ける限りは契約を履行しよう」
イリクシアの言葉は、魂だけの形であっても共に連れて行く、と言うことだろう。幸福の中で夢を見せ続けるのはゴルトヴァールのシステムとして組み込まれていた時と同じでも、イリクシア自身の意志によってそうする、ということだ。
「それは――ご負担なのでは?」
「大した手間でもない。それに……神族や精霊は約束を守るものだ」
当たり前というようにイリクシアは言った。そう。神や精霊は律儀なもの、という印象がある。領域主達もそうだったし、だからこそイルハインでさえ契約に縛られていたのだと思う。
「イリクシア様が旅立たれた後に契約を終わらせたいと言われた場合、その人はどうなるのでしょう」
「その時に我がいる世界で、別のものに生まれ変わる、ということになろうな。こちらにいるのと同じことだ」
イリクシアの言葉を聞いて、クレアは少し考えた後に頷く。
「分かりました。それで問題ありません」
「良いだろう。王位の継承と同時に、ゴルトヴァールの制御権はそなたに移ることとなる」
「それは――」
今すぐに、という話だろうかとクレアは返答に迷う。女王になることは問題ないが、自分はアルヴィレトの王女としての立場もあるのだから。
勿論自分は、将来的には元々アルヴィレトの女王となる立場ではあった。あったが、今すぐに返答して問題ないものか。根回しや調整は必要なのではないか。
それに――そういう式典ならば、ロナやルーファス、シェリル王女を始め、親しい人、世話になっている人にも同席してもらいたいとも思ってしまう。
「王位を空座のままにしておくのも問題があってな。準備や根回しもあろうから正式な戴冠を行うのは後日でも構わぬが、魔法契約としてこの場でのそなたの宣言と承認が必要なのだ」
「なるほど……」
ロナの弟子から独立して庵を作るために、その一帯を自分の領域としたのと同じことなのだろう。
「王位の継承ね……。私達としては問題ないわ。帝国の問題が解決したらクレアに王位を継承してもらうことを、ルーファスも私達も、視野に入れていたもの」
「そうだったんですか?」
シルヴィアの言葉にクレアの肩に乗っている少女人形が、驚いたような仕草を見せる。
「ええ。それも皆の士気を上げて再興の原動力にもなると思っていたから。勿論、あなたが待って欲しいというのならそうするつもりだったけれど」
「どちらにせよ実務で支えていくことは変わりないものね。かつての主家に戻り、王朝を興すというのなら、王家の権威に陰りが出るわけでもないのだし」
と、ディアナと共に言うシルヴィア。
「なるほど……」
「永劫の都の後始末は元々しなければならないこと。抱え込む民が少し増えるというのはあるけれどね」
食糧問題に関して言うなら、エルムの力を借りての即席栽培と、大樹海から得られる食料があれば解決する。衣と住も、大樹海の資源が使えるなら問題はないはずだ。ゴルトヴァールやエルカディウスの遺産や知識自体は――いずれ封印なり処分なりするにしてもだ。
「分かりました。お話はお受けします。戴冠式は後日、ということで」
「よかろう。では、クラリッサよ。ここへ参り、跪くがよい」
イリクシアに促され、クレアは一人その眼前に行き、片膝をつく。
イリクシアはその姿に頷くと、神気を放つ。厳かで、深く、静か。だけれど、どこかに優しく見守るような。そんな印象を受ける神気であった。
「エルカディウス前国王、ルゼロフは隠れた。クラリッサ=アルヴィレト。そなたにエルカディウスの民を背負う覚悟はあるか」
「――非才ながら、謹んでお受けします」
クラリッサとしての表情で。声で。クレアは応じる。
「では、現アルヴィレト王国王女、クラリッサを正式なエルカディウスの王太女とすることを、ゴルトヴァールの守護女神イリクシアの名において承認する。尚、暫定的な処置として王の不在期間中の摂政を王太女クラリッサに任せ、王権を預けるものとする。この場にいる者、全てが見届け人である」
そう言って。イリクシアの手の中に光の粒子が集まり、それは白い――壮麗な杖となって実体化した。
「王太女クラリッサに、摂政の身分を示す笏を授ける。受け取るが良い」
イリクシアの手の中で浮遊するその白い杖を――クレアは恭しく両手で受け取る構えを見せる。ぼんやりとした光を纏いながらゆっくりと降りてきたそれは、クレアの手の中に収まった。
「これにて王太女クラリッサは摂政となった」
そうして、イリクシアの宣言と共に。居並ぶ者達から拍手が起こったのであった。




