第373話 二つの天球
クレールの持っていた古文書の内容は、エルンストの記憶を垣間見た時に把握している。永劫の都の王は都の防衛戦力を外に差し向けたと古文書にある。引き込む価値がある者はゴルトヴァールに連れていき、ルゼロフ王達がゴルトヴァールに適していない――つまり蛮族と断じた者達には攻撃を仕掛けた。
結局外に出た防衛戦力は封印で切り離されて同じ王族アルヴィレトの祖先の者達から命令を受けた領域主達によって破壊されたようだ。
帝国は破壊を免れた防衛戦力を発掘して改修していたようではあるが。
いずれにせよ、ルゼロフ王は状況が変じていると伝えても止まるつもりがない。
イリクシアの制御を完全に取り戻した場合、同じことを再開するだろう。結果として防衛戦力と外の各勢力との間で戦争になる。エルカディウスの子孫が取り込まれたとしても、そうでないと判断された者達は邪魔者としか考えていないのだから。
それに、どれほどの者がゴルトヴァールに取り込むに値すると判断されるのか。連れて来られて組み込まれる者達はともかく、大勢の死者が出ることになる。
だから――ルゼロフ王がエルカディウスにとってどんな為政者で、どんな理想をもっていたのだとしても、その行いを認めるわけにはいかない。
光の尾を引いて守護獣が天高く昇っていく。頭上に舞い上がった守護獣が、魔力の弾丸をばら撒きながらもクレア目掛けて突撃してくる。
運命感知によって突撃を回避するためのルートに降ってくる偏差射撃を読んで、糸矢で撃ち落としつつ箒の飛行で回避。
運命を読み取っても回避するまでの判断を下すのはクレア自身だ。全てを人形繰りによる自動回避に任せていいのか。それとも細かく制御して攻撃に合わせて最適化された動きを行うべきなのか。刻一刻と状況は変わり、判断を誤れば致死には至らずとも被弾する。攻撃の波に飲み込まれればあの突撃を受ける。そうなればただでは済まない。
研ぎ澄ませ。もっと早く。正確に。
意識を集中させて、魔力の動きを。相手の動きを。運命の流れを読み取り、先手を打ち、機先を制するように糸矢を放つ。
魔封結晶の弾頭は防御を貫通するに至らないが、相手の魔力量を削るという意味では有用だ。守護獣の来るであろう軌道に結晶をばら撒きながらも回避し、星を増やしていく。
守護獣も、増えていく星に警戒はしている。しているが、星座として張られた糸以外に干渉できない以上は本体であるクレアを仕留めるしかない。
戦いの中で増えていくだけで、一向に星自体の動きは見せないのだから、警戒していても始まらない。だから――ルゼロフは先に手札を切ったのだ。何よりゴルトヴァールを終わらせる可能性を持つ人間の存在を許容できなかったというのもある。
加えて、クレアの力が段々と増しているのを感じていた。魔力の総量で優位になると考えるのは甘いだろう。外での戦いに、依り代の仲間達が善戦しているということだ。イリクシアが敗れるということはないとは思うが、戦っている人数から言っても早期の決着は期待できない。
星で何かをしようとしている。その手札を切る前に。或いは切っても押し潰してしまえば良い。体躯や瞬間的な攻撃力ならば、上回っているのだから。
爆発的な速度で飛行し、迫る。翼から巨大な光の刃が展開して迫る。
「――四星。輝煌鳥」
クレアの声と共に。星座の獣がルゼロフと守護獣が格納した頭部――その至近から突然現れる。そして現れるままに鳥の魔法生物が至近から特攻を仕掛け、爆発を起こした。
『これ、か……!』
爆風の中を突き抜けてルゼロフと守護獣が現れ、高速で舞い上がるように飛翔する。頭部の水晶は健在。咄嗟の防御は間に合っている。
星座の寓意魔法で魔法生物を作り、自律行動する魔弾とする。ここまで大量の星々を配置してきたのは、そうした魔弾を叩きつけるためでもあるのだろうとルゼロフは理解した。
しかも発動の寸前まで大した魔力が込められていなかった。寓意魔法として形作られるもの……それ自体が星座として様々な意味や背景を有しているために強力な力を与えられるらしい。誰が作ったのか知らないが、相当に完成度の高い魔法だ。
そして、これならば移動してきたところに合わせて発動すれば回避する猶予も与えずに突然叩きつけることが可能となり、機動力の面での有利不利を覆し、間合いを無視することができる。依り代の巫女も作り上げた場を最大限利用するつもりのようで、今の一瞬の爆発の隙に間合いを開けて星座の瞬く中に身を置いていた。
配置されている星座から出現する獣を予測するのは――不可能だ。寓意魔法であるが故に、そこには意味があるのだろうがゴルトヴァールは長年封印されてきた。外とは常識が異なるために常識は勿論、物語も共有してはいない。
巫女の知る星座を、ルゼロフは知らない。
だが、星座はともかく、知っている星空と知らない星空があるというのはどういうわけか。長く眠っていたと言っても星辰の並びすら全く知らないものに変わる等、有り得るはずもない。
ルゼロフが知るはずもない。クレアは大分して二種の星空――天球というべきものを内部空間に作った。即ち、こちらの世界の星空と、地球から見える星空だ。
それはそのまま、二つの天球を知る者である、クレアの支配する場という寓意が込められている。クレア自身の魔力を高めるフィールドになるということだ。
守護獣は更に速度を上げて、身体に白光を纏いつつクレア目掛けて迫る。
「半馬の射手よ――」
クレアの傍らに浮かんでいた星と星座から、何かが現れる。
それは人の半身と馬の半身を持つ何かだ。手には弓――凄まじい魔力を感じて咄嗟に軌道を変えれば、砲弾のような光の矢が空間を突き抜けていった。
それほどの一撃を放って、それは尚消えていない。シュメール神話やギリシャ神話に起源を持つ人馬。パピルサグともケイローンとも言われる、サジタリウスの星座から形成された魔法生物だ。
技を放って、消えていない理由は単純なものだ。実体化したそれに、クレアの糸が接続されているから。運命の力を操るクレアの糸が繋がっている限り、星座の獣達も存在し続ける。
クレアが飛翔すればサジタリウスは逆方向に空中を駆ける。クレア本体から別方向へと、狩人人形も飛んでいく。
強烈な射手を複数配置することで、攻防の中で一撃を叩き込もうという構えなのだろう。運命の感知をしているということは、攻撃のタイミングも分かると言うこと。そこに攻撃を合わせれば動きが速かろうが命中率も跳ね上がる。
恐らく、守護獣の纏っている魔力の層を抜いて、ダメージを与えてくる。それだけの威力を秘めた一撃だった。
それを見て取ったルゼロフも、温存を止める。ルゼロフの意を受けた守護獣が動くのならばともかく、魂のみとなったルゼロフがその力を行使すれば大きく消耗し、戦いの後に勝敗がどうであれ、遠からずまた眠りにつくことになるだろう。だが、ここで負けるよりはいい。負ければ文字通りに全てを失うのだから。
だから。くれてやれるのは一時的な勝ちまでだ。防衛戦力は既に起動している。女神もこんな戦いの場を用意したのは、自分達が勝てば都の維持は継続するという意思表示でもあるのだ。だから。今は依り代を。イリクシアの巫女を消せれば、それで良しとしておくべきだ。地上のことは次に目覚めてから改めて進めて行けばいい。
光を放ちながらの高速飛翔。やはり速度ではルゼロフに分がある。身体ごとブレるように軌道を変えての突撃。そこに――サジタリウスと狩人人形からの射撃が放たれていた。




