第370話 背中を押す力と共に
糸車を増やしたとて、多数にしたからと運命を司る力が数に比例して増幅される、というわけではない。
だが、手数は増える。糸矢の弾幕。飛び交う斬撃糸。
本体は浮遊したまま迫る者達を迎え撃っているために、クレアのように糸を使って飛び回るということこそしないものの、一軍を相手にして防戦一方に追いやるほどの制圧力を見せている。
シルヴィアやディアナ、イライザにミラベル、反抗組織の魔術師達といった顔触れが結界や精霊による守りを施していなければ人数を頼みにしたところで、あっという間に全滅してしまっていただろう。
だが、持たせることはできている。騎士が。戦士が。イリクシアに肉薄するまで。距離を詰めるまでの守りを担い、グライフやセレーナ達と入れ替わるように切り込み、彼らが体力や魔力、集中力を維持するための時間を稼ぐ。
「姫様! 今お助け致します!」
「今こそ恩義を返す時……!」
そう言ってアルヴィレトの騎士と、獣化族の戦士とが肩を並べて突っ込んでいく。
「慕われているのだな、巫女は」
女神は小さく笑う。それでも繰り出す技に遠慮は感じられない。切り伏せ、撃ち抜くことに躊躇いを見せない。
しかしイリクシアは、運命を読み取りはしても相手に直接操作はしていない。紡いだものが自ら織り成していくものが運命であり世界。
直接的な干渉することをしなかったからこそ、織り成されていく世界を美しく思い、愛していたのだ。そうした想いはこの戦いの場にあっても同じだった。
対する者達も一太刀でも浴びせる。意地を見せる。僅かでも魔力を使わせ、戦える誰かの盾になることで何とか勝ち筋を作り出す。そんな気迫に満ちた動きを見せている。
運命を読み取ることで攻防の一手としているというのなら、そうした動きというのは確かに有効だ。人の感情。必死の行動であっても、そうした無数の意志こそが運命を切り開く。沢山の人の意志が寄り集まる事で生まれる混沌とした状況を全て処理することは、人の器を借りている状態では限界も生まれる。
「クソッ、届かない、のか……!?」
詰めようとした戦士が撃ち抜かれ、間合いを詰めた者もまた一人倒れ伏す。そうなれば運命回帰してふらふらと戦いの場から離れるだけだ。
「諦め、ないで」
そう言ったのはエルムだ。根を伸ばし、浮遊する糸車や拡散した魔力を根で吸い上げて、その髪に果実を実らせる。エルンスト戦でも作り出していた魔力の実だ。魔力タンクとしても利用できるし、食せば一時的に魔力量の底上げをできる。
実った果実をスピカがシルヴィア達に渡すことで、結界の維持に貢献しつつも女神の神気を減らしている。
「――巫女が自ら紡いだ運命。守護獣か。中々厄介なものよな」
そんなエルムの姿を見て、女神が小さく呟くように言う。指先を向ければ、四方八方からエルムに向かって糸矢が飛来する。それを――。
「させるかっ!」
盾を構えた騎士達が割って入る。クレアの作った防殻の魔法道具と盾によって、どうにか糸矢を防いだような形だ。
「あり、がとう」
「続けてくれ! 君の術は女神にも通用している!」
「結界が維持できなくなったらどちらにせよ全滅だからな……!」
礼を言うエルムに、騎士達が笑って答えた。エルムはこくんと頷く。
「みんなの戦い……女神様の中で戦ってる、クレアにも届いてる。力になってる。わかるの」
「そうか、クレアも」
スピカから果実を受け取ったグライフが呟くように言って。その言葉にエルムが頷き、スピカが声を上げる。
グライフの身体に纏う防殻が光を放ち、手にした宝剣の魔力刃に雷が奔る。
それを目にしたイリクシアの手にも糸で形成された剣が生まれた。
斬り込んでくるグライフを、真っ向からイリクシアが糸剣で受け止めていた。そのまま、剣戟の音が響き渡る。
グライフが目を見開く。その剣舞がグライフの記憶を強く喚起するものだったからだ。オーヴェルを彷彿とさせるものだった。
イリクシア――クレアの中にある剣術は、確かにオーヴェルの剣舞を基礎としている。
そこに、イリクシアの運命を読み取る力が加われば、クレアの運命に深く関わっているオーヴェルの剣舞を、クレアの知らないところまで引き出すことが可能ということだ。
「オーヴェル殿……」
グライフと剣を交えるイリクシアの動きはローレッタを始めとしたアルヴィレトの騎士達にも理解できたようだ。一瞬固まるも、すぐに我に返って動き出す。
「感謝する、女神よ」
グライフが小さく言う。言って、凄まじい密度の剣戟を重ねる。横薙ぎの斬撃を受け流して踏み込みながらの刺突。剣の腹を手の甲で僅かに逸らし、至近から反撃への反撃が繰り出される。
驚きはしたが、憤りの感情はない。亡き師の剣に、今の自身の全身全霊をぶつけられることへの喜びが強い。オーヴェル本人ではなくとも、自分が何故この場に立っているのか、今日まで生き延びることができたのは何故か。その土台となっているものを再確認できたから。
そして、上回って見せることで成長を見せなければ弟子である意味がない。それが師に恩を返すということだ。
だから、恩義を返すようなつもりで、グライフは、そしてローレッタやアルヴィレトの騎士達は、その持てる技術の総てを以って女神にぶつかっていった。
裏の技術をベースにしているグライフや、キメラとして長年戦い、体格も変わったことで新しい戦い方になっているローレッタはともかく、他のアルヴィレトの騎士達は同門ということで次のやり取りが運命から読み取られやすいということなのか、あっさりと斬り伏せられていく。
「運命を読み取っている! 同門の定石は一旦忘れろ! 動きが少しでも単調になると一瞬で終わるぞ!」
「なら私達ならどうかしら……ッ!」
そう言いながらルシアがアストリッドと共にニコラスの剣を従えるように切り込んでいく。
糸矢の弾幕がニコラスの操る剣を迎え撃ち、暴風を槍に纏わせたルシアの掬い上げるような一撃が女神の剣に受け止められる。そうやって動きを止めた瞬間に、アストリッドが少し離れた位置から、氷の斧を振り抜く。
地面を伝播する氷の波が一直線にイリクシアに向かって走る。そちらを一瞥したイリクシアが空いた腕を振り上げれば糸の壁が編み上げられて迫る氷の波を押し留めた。
光の斬撃が地面を薙いで地平までそれが奔っていく。凄まじい守護獣の力の噴出。しかしクレアは回避している。守護獣に対抗するために魔力も運命干渉の力も全力全開ではあるが――息切れしない。力。力が湧いてくるのだ。
己の内に力が湧き上がってくるのを感じていた。守護獣の力はすさまじいものがあるが十分に渡り合える。
そう。自分の力になっているのは外での戦いだ。みんなの想いや願い。そうしたものが自分の背中を押してくれる。
女神は守護獣の統制の影響下にもあるが、クレアを依り代に顕現している。言うなれば綱引きをしているクレアと守護獣の勝敗を見守っている途中にあると言える。だからどちらにも傾かずに公平であろうとするのだ。
ならば守護獣にもそうした想いの力の後押しはあるのだろう。
だが、どうだろう。皆の想いや願いがゴルトヴァールの住民達の願いに押されるだろうか。
与えられる幸せな現状に浸っていたいという願いが、現状を打破して幸福な未来を自らの力で切り開いていきたいという強い願いに勝つだろうか。
クレアは、そうは思わない。
イリクシアに敗れてゴルトヴァールに取り込まれて尚、戦いの行く末を、皆の幸福を願っている者達ばかりなのだから。
そうした想いを受け取って。クレアの乗る箒の速度がさらに増す。凄まじい速度。羽根の呪いで慣性の影響を無視しての飛行は守護獣に引けを取るものではない。糸矢と光の斬撃とが交錯して弾け、目まぐるしく攻守が入れ替わる。
「ああ――」
皆の想いの強さに感嘆の声を漏らしながらも、踊り子人形を繰り出す。連接剣の一撃は凄まじい雷光を放ち、下から上へと、一切合切を両断するように空間を切り裂いていった。
守護獣は回避こそしたものの、その一撃の威力を見て警戒に値する、と判断したようだ。女神の守護獣、天空の王。運命の力。そうしたものの来歴や皆の想いの後押しもあって、威力の底上げが成されている。王の守護獣をしてその身を脅かす破壊力を秘めていた。




