第364話 戦いの終わりと
エルンストは咄嗟に両手を突き出して防壁を展開したが、クレアとエルムから魔力供給を受けた宝剣はその防壁を散らし、ガントレットと胸板を諸共に貫通していった。
即死ではないが致命傷となる一撃。空中で撃ち抜かれて展開していた足場も力を失い、瓦礫の上にエルンストは落ちていく。
「グライフさん……!」
「俺は大丈夫だ」
クレアもまた、糸を操作してゆっくりと降下しながらも、グライフの身を案じる。クレアとエルムに心配そうな目を向けられたグライフは穏やかに笑って見せた。
戦いの中で過負荷による反動ダメージを受けたのを見て取った瞬間に、グライフは呪法でそれを自身に移すようにとクレアに言ったのだ。
最後の局面で影に潜み、クレアの身を守る。それがグライフの役割であったが、エルンストの攻撃力や固有魔法の性質を考えると、普通に斬り込むことはできない。肉壁にでもなんでもなる覚悟は決めていたが、それ以外の局面でクレアの盾としての役割を担えたことはグライフにとっては喜ばしいことだ。エルンスト打倒のために最後の余力を残す役割を果たせた。
実際、反動ダメージを引き受けていなければ大技の撃ち合いで支えきれずに撃ち負けていた可能性もある。
それに、実際グライフの受けたダメージはまだ行動にも戦闘にも支障のない程度で留まっている。心配するには及ばないと、クレアに笑って見せた。
クレアは一先ず頷いて、周囲に目を向ける。結界塔の受けた損害は大きい。が、管理者は瓦礫を押しのけるようにして下から姿を見せていた。管理者の立っていた位置を薙ぎ払うよりも前に撃ち合いになったことから、そこまでは攻撃が届かなかった形だ。
結界を維持しているのが施設か管理者かは分からないが、一先ず管理者そのものが無事であったことは喜ばしいことだと思う。
クレアは――それから倒れたエルンストに近付いた。
身体に穿たれた傷口からは止めどなく血が流れており、出血量も傷口の深さも、致命傷というのが分かった。
まだ、息はある。クレアに目を向け、手を翳す。その掌中に黄金の粒子が微かに渦巻くも、形にならずに四散する。
戦闘の続行は不可能と判断したのか、エルンストはつまらなさそうに目を閉じて小さく息を吐く。
「終わり、か。貴様の、ような……甘い小娘に、敗れる、とは、な」
「だから、周囲の人に助けてももらえるんです。悪いこととは思いません」
「そうか」
興味なさそうに言うも、エルンストの左手のガントレットに火花が走り、苦悶の声を漏らした。宝玉に罅が入って、左腕に受けた呪いの力を抑え込めなくなっているのだ。
それを見て取ったクレアは、エルンストに左腕に糸を絡ませる。運命の糸。行ったのは、呪いの縁の分離と隔離だ。呪いの痛みが引いていくことに、エルンストは目を見開き、そして不満そうな表情を見せた。
「情けを……かけた、つもりか?」
「違います。あなたがルードヴォルグ皇子に分けた呪いは、まともに死ねなくなるというものでしょう。万が一にも禍根は残したくないという、それだけです」
そうは言っているが、過去を覗き見たからか――エルンストをあまり貶めたくない、ようにも思う。確かに相容れない人物ではあるが、あの暗殺事件さえなければ。あんな状況で覚醒に至らなければ。今とは違っていたとどうしても感じてしまうのだ。異母兄や、それに侍女。エルンストを、そしてエルンストが大切に思う誰かは、いたのだ。
帝国の皇帝となり、その体制を利用しながらも心の奥底ではその在り方を嫌っていた。自分の力すら破壊して奪うためだけの力と定義していた節がある。もう少し早く。守るために固有魔法を振るえていたら、違っていた、はずだ。
だから、呪いの力で終わるような。尊厳のないものにはしたくない。
「本当に、甘いな」
エルンストは言って、虚ろな目で中空に手を伸ばす。
「ああ……。あと僅かが、届かな、かったか。すまない、な。シグル、ド兄上……。カーシャ……」
何かを掴むような仕草をした後で、エルンストの伸ばした手が力なく落ちる。それきり、エルンストは動かなくなった。
最期に口にしたのは、異母兄と侍女の名だ。
「ゴルトヴァールの力で、取り戻そうとしていたのか」
「分かり、ません。本当に可能ならば、自分から奪われたものを取り戻すという理由でそうしていたのかも知れませんし。呪いの力は僅かずつ増大していて、自分には時間がないと。そう考えていたところもあるようです」
ルードヴォルグへの対応が苛烈なものになったのも。何もかもをゴルトヴァールに注いだのも、そういう理由があってのものなのだろう。
「こんな……こんな馬鹿な事があってたまるか!」
トラヴィスがローレッタとオルネヴィアの猛攻を捌きながら咆哮する。ヴァンデルの再現魔法を行使しながらも魔力を全開にもできず、攻撃をただただ凌いでいる形。だが、手傷は確実に負っている。攻撃の切れ間にウィリアムが固有魔法を行使したりセレーナが刺突を放ったり……或いはその素振りを見せることから一時足りとて動きを止めることができない。
何せ、ウィリアムもセレーナも、攻撃の性質と射程距離の関係で実際に行動しなくてもいいのだ。素振りを見せる。それでも魔力の動きは生じるし、両者の攻撃はまともに当たれば一撃必殺。手足に食らっても不可逆のダメージを負う。である以上、フェイントであっても回避しないわけにはいかない。その間にローレッタとオルネヴィアが体勢を整えて突っ込んでくる。
結果としてトラヴィスは間断なく攻め立てられ、生き残りの側近達とも連携できず、一人また一人と、ウィリアムやセレーナによって各個撃破されていくような形になっていた。
「はあぁっ!」
ローレッタの踏み込みと同時に、魔力と動きを一致させた一撃が振り抜かれる。体格にそぐわない、ローレッタ本来の剛剣だ。
重い衝撃が弾けて、互いの身体が後ろに弾かれる。ウィリアムの固有魔法。その魔力の動き――。横跳びに跳べば結晶が寸前までいた空間に出現。着地したところにオルネヴィアのブレスが飛来する。
「ぐうぅっ!」
再現魔法で魔力障壁を展開。ブレス自体は弾いたが、そこでトラヴィスが咳き込み、口腔内に血の味が広がる。改良されているといっても再現魔法の反動はゼロではない。連用していればそれだけ身体のダメージもある。
再現魔法の行使にしても分裂体であったが故に反動を考慮しなくていいという前提があったからこそのものだ。致命的ではないものの、細かい手傷も負わされている。ヴァンデルの再現魔法がなければとっくに終わっているだろう。
再現魔法を行使するしかないがすれば状況は悪化し、好転してはいかない。ジリ貧だ。それが分かっていても隙がない。どうやって状況を変えるか。トラヴィスが思考を巡らせていた、その時だ。
爆発が起こった。エルンストと鍵の娘が突入していった、結界塔の内部からだ。
壁を突き破り、黄金の奔流が薙ぐようにゴルトヴァールの街を輝きで照らす。
「あれは――」
恐らくエルンストの一撃。それだけではない。全力全開のエルンストに勝るとも劣らない、凄まじい魔力反応がもう一つ。それらは結界塔の内部で激突しているようだった。白光が白々と街を染め上げていく。
ぶつかり合っているのは鍵の娘の一撃だろう。勝敗の行方は、どうなるか分からない。しかし、今トラヴィスにとって重要なことはそこではない。エルンストが勝って状況が変わるのならそれもいいだろう。だが、それよりもどう自分が生き残るかが重要だ。
結界塔の大規模な破壊と共に、城壁を覆っていた結界が消失したことにトラヴィスは気付いていた。
そう。これならば、あれが使える最低限の状況が整った。少なくとも結界に遮られることはない。分裂体を作れて安全を確保できるが故に、エルンストやクレールから預けられているものがある。
トラヴィスは懐から取り出した宝玉を掲げ――迷うことなくそれに魔力を込めた。本来は――城や神殿の奥まで踏み込み、手筈を整えてから使うという段取りのものだったのだ。しかし今はトラヴィスが自身の生存をかけ、状況を変えるための一手として使った。
「何をした!」
ウィリアムの声と共に固有魔法が飛んでくる。避けようとして、身体に走った痛みのために反応が一瞬遅れる。
足に激痛が走ってトラヴィスはもんどり打って地面を転げた。足。足は拙い。傷口を見るまでもなく理解する。封印を解いても、これでは――。




