第362話 廻る糸
「――廻れ」
クレアの声に合わせて、その手の中で束となった糸が高速回転を続ける。廻る糸。車輪や糸車はそのまま運命の寓意を表すものだ。
運命操作の力を温存したり隠したりする気も、事ここに至ってはもうない。縁の糸の接続で、糸にそういう性質があると示した。
ここで駄目ならば次だとか、そういったことも考えていない。手の内を明かした以上はここで決着をつける。
「それが――本来の姿か」
エルンストが剣を構えて眉根を寄せる。
運命を司る力を使う。そう決めて魔力を全開にした時点で、クレアの姿を偽装していた魔法も消し飛んだ。
金とも銀ともつかない淡い色の髪。アメジストの輝きを宿す双眸がエルンストを見据える。
運命の子としての力だというのなら見た目を偽ることも力を阻害されることに繋がる。事実、偽装魔法に割いていた魔力以上の力がクレアを中心に放射されている。
浮世離れした美貌と、神秘的な魔力。その姿を目にした管理者は何か思うところがあるのか、敬意を示すような仕草を見せていた。
エルンストはと言えば――心の内を殺意で塗り潰し、黄金の粒子が細かく火花を散らす。
実体化していない魔力の糸が遠心力に乗ってか、或いは波紋のようにというべきか、糸車から放射状に、光の環となって広がる。
正体不明。エルンストはその光の環に触れないように飛翔しながらも踏み込む。それを――クレアの糸が迎え撃った。
「廻れ、車輪よ――」
高速回転する糸の渦が円盤状になってエルンストに向かって撃ち出される。
「ッ!」
エルンストは予想以上の速度で迫ったそれを、剣で受け止める。糸で形成されたとは思えない衝撃が走り、火花を散らして互いの武器が弾かれた。
車輪にはクレアの糸が繋がっている。実体化していない、先程の環と同様の質感の光の糸だ。クレアが腕を振るえばブレるような速度で位置を変え、複雑な軌道を描きながらエルンストを両断するように戻ってくる。今度は速度も織り込み済みなのか、粒子の探知網で軌道を見切り、体術によって回避するとクレアに向かって踏み込む。
エルンストの速度もまた、先程までとは違う。この場で終わらせるために全力全開の速度だ。管理者の弾幕を振り切り、クレアの動きに追いついて剣を振るうも――当たらない。
踊るように転身して避けたかと思うと、クレアの回避の動きに合わせるようにぎりぎりの空間を縫って車輪がその背後から突っ込んでくる。
クレア自身の動きと魔力を感知してしまう距離だ。探知網そのものが働かない。真正面から迫る車輪をエルンストは黄金の剣で受けた。車輪というよりも回転ノコギリの刃だ。ギャリギャリと引き裂くような音と火花を散らしてエルンストを押し込もうとしてくる。
回転方向に合わせて力を逸らして弾きながら身を交わし、足捌きと飛行技術を合わせて踏み込む。斬撃斬撃。黄金の暴風のようなそれを、避ける。避ける。虚実織り交ぜているにも関わらず、あらかじめ来る軌道が分かっているというような、最小限の動きで曲芸のような避け方をする。さながら演武か何かのようだとエルンストは感じた。
その直感は正しい。運命の力を使うと決めた時に、最初に拡がった光の環。それは既に展開している糸にもその力を拡散させるためのものだ。
クレアの展開している探知網もまた、既に通常のものではない。運命感知によってより起こる確率が高い未来を探知している。即ち、因果律から読み取って来るであろう攻撃を予測し、人形繰りの操作技法で反射神経よりも早く、最小限、最大効率の動きでの回避を行っている。
その動きは当然、通常の体術、武術からはかけ離れている。
反射や予測から来るような真っ当な動きではない。恐らく糸と運命から来る寓意魔法で何かをしているとエルンストは判断する。
この手の回避術を使う相手との戦闘経験はある。斬撃のような線での攻撃、射撃のような点の攻撃では埒が明かない。間合いを詰めて、射程に捉えたと判断した瞬間に金色の粒子が広がる。細かな無数の刃が触れたものを切り刻む、凶悪な領域だ。自動防御に割り振っていたリソースを攻撃に回し、クレアの攻撃は自分の技量で捌く構え。
範囲攻撃として展開された無数の刃は、クレアの展開していた細かな糸が、やはり小さな車輪となって相殺していた。小さな火花がいくつも散って、爆ぜるような衝撃がクレアとエルンストの周囲に散る。
剣に黄金の渦を纏っての範囲斬撃。振るう前にクレアの操る車輪が突っ込んできて、本体に振るうより前にその対処を余儀なくされる。弾くと同時にクレアの懐から茨の鞭が繰り出された。エルムの繰り出した吸収の茨だ。激突で散った魔力を吸収して力と大きさを増大させて、長大になったそれがエルンストを横薙ぎに払う。
茨の鞭を切り払う。が、残った部位は植物としてまだ生きている。黄金の渦の一部を吸収して、噴出させた力そのものを減衰させてくる。
構わず茨を刻みながらも追随する。先程までのような、大きく動く機動戦ではない。斬撃、斬撃。瞬き一つの間にいくつもの斬撃と刺突を重ね、蹴り脚と同時に金色の衝撃波を浴びせ、攻撃を寸断するように飛来する車輪と、撃ち出される茨を払う。
斬撃も小さな刃もあらかじめ分かっていたというような対応の速度。無形の衝撃波ですら、繰り出されるファランクス人形が盾で抑えるようにしてクレアには届かないように押し留める。
茨を繰り出している存在の正体は不明だが、クレアとは別の魔力波長を宿している。別個体の何かが潜んでいるのだろう。だというのに、撃ち込まれる管理者の光弾も含めて一つの個体であるかのような連携をしてくる。何もかもを見通しているかのような動き。予め定められたかのような攻防。
その全てが、エルンストを苛立せる。
運命の子などと。全てが予め決まっているだなどと、そんなことがあるはずがない。意志の下に攻撃を繰り出しているのは自分だ。だというのに、フェイントには反応せず、繰り出される攻撃の種類に対応した防御と回避を見せる。クレアの浮世離れした容姿やゴルトヴァールの情報も相まって、どうしても運命を司る神などという言葉が頭の片隅にちらつく。
この状況に至ったことも含めて、何もかもが得体の知れない力の流れの上にあるのではないかとすら――。
そんな考えを、憎悪と殺意で塗り潰し、大きな渦を纏って飛来する攻撃を全て消し飛ばす。
「小賢しいッ! 定められた運命などとあるわけがない!」
運命を操る。或いは全てが予め定まっている。そんなものは認めない。認めるわけにはいかない。固有魔法だとしても周囲のものすべての運命、事象を操作するほど力を個人が持つわけがない。
恐らくは――直近の要素から起こり得る中で一番高い可能性を読み取っているに過ぎない。そう断じる。
当然そうなるだろうと予測した結果に合わせた動きをしているだけで、それは運命を操作しているというわけではなく、言ってしまえば計算の帰結に過ぎない。
エルンストの推測は当たっていた。クレアの運命操作はそこまで及ばない。触れていない相手や縁を強く結んでいない相手、望みや願いの一致していない操作までは未だにできないし、それをするのは運命操作による呪法の領域だろう。
だから周囲から読み取り、極めて高い精度での予測を立てるまでがクレアの今していることだ。
ならばどうするか。物量と力でねじ伏せるというのがエルンストの出した結論だった。クレアの戦い方は力よりも技に寄ったものだ。
魔力総量は恐らくそれほど差がない。精度と射程距離はクレア。しかし瞬間的な出力と破壊力はエルンストに軍配が上がる。
それらの分析。立てた対策と戦略。それらは正しく、クレアに対して有効なものではあった。
――勝負に出てくる。そういう気配を感じ取り、クレアもまた身構えて魔力を高める。




