第360話 奪う者
「――ほう。神族の力か」
「はい。我らが今、固有魔法と呼ぶそれは――古代には因子魔法と呼ばれていました」
「因子。神の因子ということか?」
「その通りです。神々が我らの内に遺した因子。それらが発芽したもの、と呼べるでしょう。古代魔法王国はその神々の力を制御する術を見出した、と禁書にはあります。それによってエルカディウスは栄華を極めましたが――。同時にそれは、神族が我らを見捨て、世界から去っていく契機ともなったのです」
最初に見えたのは、そんな記憶だった。禁書を手に、その内容を伝えていくクレールと興味深そうに耳を傾けるエルンスト。
「エルカディウスの者達は――神々の全てが我らの元から去っていくのを恐れました。折しも天変地異が重なり、長い長い冬が訪れようとしていました。その災いを、時の王らは神々が我らを見捨て、世界から去ったためではないかと恐れたのです」
クレールはこつこつと部屋を歩きながら言葉を紡ぐ。そして――彼らは神々の力が世界から完全に失われないよう。天変地異でエルカディウスが滅びないように、永遠の幸福の内に繁栄を続ける都を作り上げようとしたのだという。
しかしエルカディウスがどうであったとしても。神族が自分達を見限り、世界を去ったのだとしても。今も尚、神々の不在のまま世界は続いていて、自分達は生きている。
長い長い冬。それは小氷期と呼ばれる寒冷の時代への突入だった。だが、エルカディウスの王はそれを神々が自分達を見放したためだと理解――そう信じたのだ。
ともあれ、彼らは動き出した。永遠の繁栄。永劫の幸福。それらが王と民の願いであり、目指すところは不老不死であり、死者の復活であり、離別や艱難辛苦に見舞われることのない日々であり、飢えず凍えることのない都だった。
残された神々の力を使い、それらは歪んだ形であっても実現はした。してしまった。
ただ――それらに警鐘を鳴らす者も当時は存在していたのだ。それらが、大体預言者と呼ばれる可能性を読み取る因子魔法を発芽させる王族の分家だった。彼らは、時の王に諫言したのである。このままでは破滅の未来が待つ、と。
そこで王は保険として彼らに管理権の一部を与え、都の内外から何かあった場合の対応もできる体勢を整えさせた。それによって破滅自体は回避される可能性が高いという預言も成され、彼らはゴルトヴァールの暴走を収め、封印したのだという。
今も尚、大樹海の奥深く、異空間に封印されたゴルトヴァールは揺籃の内に眠り続けている。不老不死、永劫の幸福を実現するための魔法技術をその内に宿したままに。
「くく、その世迷言がどうであれ、貴様が我らの知らない高度な魔法技術体系を持っていて、その古文書に使われている文字が、古代遺跡に刻まれた警告と符合する、というのも事実ではあるな」
そこまで言ってエルンストは少しの間思案を巡らせていたが、やがて言葉を続ける。
「……良いだろう。封印を解く鍵を手中に収めることが必要だというのならば、貴様の話に乗ってやってもいい。隠れ里の存在が確認できれば、その話を信じるのも一興だ。鍵の娘を赤子の内に手に入れることができれば、帝国皇家の娘として育てることも容易であろうしな」
エルンストは軽く左手――ガントレットに触れてから笑って言った。
一瞬。景色がぶれて世界が一変する。エルンストの記憶。記憶だ。
生暖かい。両手は真っ赤だった。鉄錆の臭い。血の臭い。物が燃える臭い。母親の、血。異母兄の血。
エルンストは先代皇帝の子として生まれた。帝国貴族の娘ではあったが、他の皇妃に比べれば身分の低い娘。皇帝が戯れに手を出した侍女の息子。愛妾や寵姫とも呼べない。それでも、継承権を持つ皇帝の子だ。
父親には大して愛されてはいなかった。皇族であっても周囲からも大して期待もされていなかった。皇帝の子は有力な者達が他にもいたからエルンストは冷遇されていたのだ。
母親はそれでも皇妃の一人であるという自負心からかエルンストに皇族に相応しい振る舞いであるとか、誰よりも強く、賢くあれと求める。
一方の宮殿の中では他の兄弟姉妹の派閥から有形無形の嫌がらせを受け、剣も魔法も使える事から年若くして魔物相手の初陣も済ませていた。異母兄弟らの監督の元、戦闘訓練と称して見世物のように捕獲した魔物との戦いを行わされたり。そんなものが日常であった。
仲良くし、気にかけてくれた異母兄はいる。品行方正、文武両道。高潔で高い志を持つ。そんな異母兄だった。継承権も高く、第一皇子ではないものの、彼こそが次期皇帝に相応しいと見込む者も多い。武芸の修練をしている時に、声をかけてくれたのがエルンストと仲良くなった切っ掛けだったか。尊敬は――していたと思う。
けれど。
事件は彼に招待された静養地での会食の席で起こった。暗殺。会食の席にて、突然使用人に紛れていた刺客がその凶刃を振るい、異母兄を背後から斬り伏せた。
会食の席にいた者達の殺戮を始め、同時に他の刺客が屋敷に火を放ったのだ。最初に殺されたのは異母兄。背後からの一撃。悲鳴を上げるその母も次に斬られた。そして逃げようとした自分の母や侍女達も。等しく殺された。
それを――。その一部始終をエルンストは見ていた。さっきまで笑っていた異母兄も。穏やかに笑う異母兄の母も、自分の母親も。昨日まで自分を世話していた侍女も使用人達も。皆皆死んだ。何の意味もなく。
「ああ――」
嘆息なのか。納得なのか。自分でもよく分からない声が口から漏れる。刺客達は自分にも目を向ける。血塗られた刃を手に逃すつもりはないと、その目が言っていた。
そう。あの異母兄が殺されてしまったのだ。自分もきっと簡単に殺される。死ぬ。何の、意味もなく。
「意味も、なく……」
よろめきながら壁際に追い詰められて、呆然とその言葉を口にし――そして。
どうしようもないと冷静に分析している一方で、胸の奥で渦巻く激情のようなものがあった。皇帝や母の望むままに都合よく生きてきた。自分の生に何の意味があったのか。何のために殺されなければならないのか。
こんな目に遭わせた何者か。そいつは首尾よくことが運んだと、自分の死の報を異母兄のついでとして聞いて、笑って明日も生きるのだろう。
そんなことが、許せるか。
否。否。否だ。歯噛みして、掌を上に向けて、何かを握りつぶすような仕草を見せる。黄金の輝きが手の中に渦巻く。刺客達は一瞬目を見開き、その内の一人がエルンストを殺すために走ってくる。
「おおおおぉぉおお!」
激情を魔力に乗せて解放する。突き出す掌から迸る黄金の粒子はさながら獣のような形状をとったかと思うと、走って来た刺客の上半身を食い千切るが如く消し飛ばす。
「え――?」
間の抜けた声が漏れた。刺客達の声。
これがエルンストの覚醒。初めての固有魔法の行使だった。力の使い方。性質。そうしたものへの理解が後から来た。
呆けたような刺客の顔と。目覚めた力を何の気兼ねもなく振るえることへの喜びと。それらの入り混じった感情が、笑いとなって表出する。
「く、くく……。はは、はははははッ!」
渦巻く黄金の奔流が足元から立ち昇り、渦を巻いて。
その光景に悲鳴を上げた刺客が背を向けようとする。凄まじい速度で踏み込む。理解したままに腕を振るえば、刺客は文字通りにばらばらになって吹き飛んだ。
他に動く者のいなくなった燃え盛る屋敷の中で、エルンストは笑う。笑う。楽しそう哄笑を上げ続けた。
そう。もう何者も自分から奪わせはしない。これからは奪う側に回るのだと。そうだ。異母兄も、母も。刺客も皇帝も。死んでしまえば何の意味もない。だから自分は奪って生き残る。全てをこの手中に収めて見せよう。
それからのエルンストの半生は戦いに継ぐ戦いの日々だった。凶悪無比な固有魔法に目覚め刺客らを返り討ちにしたことで、皇帝からは称賛を受けた。戦場に向かう日々は変わらず。しかし、以前とは違う事がある。自らの意志で積極的に戦場に赴いたということだ。
鬼神のように戦い、武功を上げ続けた。勝つこと、奪うこと。誰かの死が、彼の帝国内での立場を。声を、立場を、権力を日に日に大きなものにしていった。
戦いは戦地で行われるものばかりではない。宮殿の内部でも積極的に他派閥を切り崩し、必要なら刺客を放って命を奪う。兄弟姉妹も結局奪い奪われるだけの競争相手でしかないし、何より自分の命を狙った誰かを、エルンストは許してはいなかった。
戦功を積み重ねながらも異母兄弟を時に蹴落とし、時に始末し――次期皇帝としての立場を確固たるものにしていったエルンストではあったが、その人生に再びの転機が訪れる。
それは――帝国南方。大樹海での領域主との戦いであった。
皇帝の命により、発見された遺跡を守るように座する領域主を討伐に向かったのだ。勝利は収めたが、エルンストは左腕に深手を負ったのだ。魔法技術と魔法道具によって事なきを得たが、完全に元には戻らなかった。その結果が今も左腕につけているガントレットだ。
ああ、だから、と。クレアは思う。だからエルンストはゴルトヴァールを目指したのだろう。再び、自分から奪われたと思ったから。
それがエルンストには許せない。奪う側でいるために。自分が自分であるために。生きるために大樹海をも飲み込まねばならない。
それはエルンストの生き方であり、固有魔法に目覚めた時からずっとそうしてきたことであり。今も尚左腕に刻まれたままの屈辱でもあって。それを諫め、戦いを止めるように進言した皇太子ルードヴォルグをあんな目に遭わせたのも、何もかもをゴルトヴァールの攻略に注ぎ込んだことも。その野心や好戦的な性格以上に、かつて暗殺されかかったことや、左腕のことが土台になっているからだろうとクレアは思う。
言われるがままに生きて失ったから、奪われることがないように奪い続ける。そんな男の半生を、クレアは一瞬の内に垣間見た。




