第356話 トラヴィスの手札
2人のトラヴィスとローレッタ、オルネヴィアが幾度となく激突する。互いに連携の密度、練度が異常だ。絡み合うように切り結んでは離れ、相手が入れ替わったかと思うと斬撃と障壁、魔弾と吐息が交錯して衝撃と火花が弾ける。
トラヴィスの固有魔法は直接的に戦闘能力に寄与するものではない。自身を増殖はさせてもそれが剣技や魔法自体の威力を底上げするものではないからだ。
だからローレッタやオルネヴィア相手に互角に近接戦闘が可能というのはトラヴィス自身の実力によるものと言うことになるが――ローレッタからするとそれも違和感がある。
研鑽は見られるが、純粋な技量よりも反応速度と瞬発力が異常という印象があった。対応、反応が遅れた瞬間瞬間で後から加速して間に合わせてくる。
「瞬間瞬間で異常が見られますわ! 固有魔法以外にも何かあります!」
セレーナの言葉。
「魔法技術に起因するものか……!」
ローレッタとオルネヴィアは直感的に思ったことを口にしていた。
これは。この動きは過去に見たことがある。研究所で戦ったキメラ達だ。
トラヴィスが研究していた何かがあるのだろう。魔物の因子を抽出して組み込むことで身体能力を上げるだとか、そういう研究をしていた男だ。キメラ研究からの副産物。
そういった増強を施された実験体には反動が見られたように思う。完成を見たのかは定かではないが、不確定だという言葉が真実であるならば、健康な本体の無事が確保できているという前提の元に、リスクのある術や秘薬などでも特にデメリットなく扱えるということだ。
「こいつ――恐らく安全な場所に本体がいるな……!」
ローレッタが言うとトラヴィスは笑みを深くした。どちらともとれる笑いだ。
「だが、そう遠くまでは離れられないし、他にいても後1体か2体か、というところだと推測する」
「ふうん? 何故そう思うのかな?」
防壁を展開しながら帝国魔術師達と魔法の応酬をしていたイライザが普段と口調を変えながらも言うと、剣を振るいながらもトラヴィスが問う。
「あの皇帝が、全くの安全圏で行動することを許すはずがない。そしてもっと制限なく増やせるのならば、最初からこの場でそうしない理由がない」
遠くまで離れられないと推測した理由は研究所にいなかったから、というものもある。
「はは。案外帝都や地上にいるのかも知れないよ。いずれにしたって、君達には届かない。ここで僕が殺すからね」
「できるものならな!」
ローレッタがそう言って切り込んでいく。イライザの固有魔法は――正しく作用した。一瞬ではあるがウィリアムに目配せを送り、視線が交差する。僅かな仕草での合図。それで十分だ。イライザの意図するところはウィリアムに伝わった。イライザもウィリアムも生きていることをトラヴィスに悟られてはならない。
偽装魔法と仮面、演技。それから、その瞬間までは目立たないように立ち回ることで、騙し切る。
後は居場所を探る手段。それもある。あるが――またあの人に負担をかけてしまうのかという思いもあった。それはそうだ。一度ならず、ずっと自分達は彼女に助けられている。罠に嵌められたところを命を助けられ、敵だったというのに立場を慮って口利きまでしてくれて。それからも気にかけてくれている。今も――エルンストを追っていったというのに、対処すると伝えてきたのだから。
きっと彼女には追える手段も。自分に正確な居場所を伝える手段もあるのだろう。後は確実に仕留める方法だ。不意打ちだけでもまだ足りない。確実に仕留める手札はある。
いずれにせよ、このままローレッタとオルネヴィアに頑張ってもらう必要がある。安全な場所にいるのだとしても、この場にいるトラヴィス達に負けていては倒す倒さないを論じる以前の問題なのだから。
それに――トラヴィスの言っていたことには虚実が混ざっているようだ。トラヴィスがイライザに答えたこと。その最後だけは本当だと思っている、ということらしい。
つまりは帝都や地上にはいないし、ウィリアム達の手も届く。しかし、トラヴィスが自分達を殺せると思っているのは本当ということだ。
現状、確信なりを以ってそう言えるほど、ローレッタとオルネヴィアとの戦いは実力に差がついているわけではなく、寧ろ拮抗しているように見える。であるならば、トラヴィスが奥の手なりを隠しているということになる。それは一体、何か。魔法道具か。それとも。
後衛――イライザに向かって斬り込んできた帝国騎士と切り結びながらも、ウィリアムは思考を回す。
固有魔法持ちであるウィリアムは、転移、転送の技を抜きにしても魔法の行使能力が高く諜報部隊の長として剣技も身に着けている。
特に帝国は軍事国家であるが故に、皇子であっても武芸か魔法か、或いはその両方が求められる気風が強い。固有魔法持ちは特に魔法も含めた処理能力が高い故に剣技などにも才を発揮するものが多いのだ。だからウィリアムも近衛騎士と渡り合えるが――それはトラヴィスも同じだ。瞬間瞬間の増強を行っているようではあるが、それも下地があってのものではある。
ブーストを断続的に行いながらローレッタとオルネヴィアの攻撃を切り返し、剣を叩きつけ。そういう無茶な動きをする、その度に魔力を消費しているが――。
「片方ばかりにそれをさせて、もう片方は魔力を温存している――? そういうことが出来てしまう固有魔法――」
セレーナが2人の魔力の不均衡を見て言う。
ブーストを繰り返して負担を被っているのは片方だけだ。もう片方は入れ替わり立ち替わりで誤魔化しながらも防御的に立ち回って魔力を温存している。何のためか。当然、温存して頃合いを見て増殖することで相手にだけ消耗戦を強いる為だ。
分裂体を使い捨てにする。その考えを突き詰めていくのなら――。
「君も何か固有魔法を持っているのか、厄介だね。見切れないようにしているつもりだったんだけど」
トラヴィスが静かに言って。攻防の中でローレッタに浅く腕を斬られた瞬間に、薄く笑う。
ぞくりと、その表情にローレッタとオルネヴィアの背に同時に悪寒が走った。
2人が大きく後ろに跳ぶのと、トラヴィスの身体が内側から爆ぜて紫色の爆炎――魔法毒が撒き散らされるのがほぼ同時。
かつてオルネヴィアを捕える時に用いた魔法毒だ。人間相手には致死。成体の竜すら麻痺させる。そんな毒。周囲一帯に一気に広がるも、味方すら巻き込んだ――というわけではない。エルンストの側近達には対策の魔法道具を装備させているからだ。
だが――トラヴィスにはそういう手札があると、クレア達も既に知っていた。紫色の煙の中に、ローレッタもオルネヴィアも、他の者達も変わらず立っている。
対策は行っている。毒を警戒したが故に遮断し、内部の空気を浄化する結界壁を構築する魔法道具だ。
至近で爆圧に晒されていたら危険だったろうが、ローレッタもオルネヴィアもトラヴィスを知っている。そして、自分の分裂体すら使い捨てにするかも知れない。そういう可能性は、セレーナが示唆してくれた。
合理的な癖に悪意のある男。トラヴィスならそういうこともすると、ローレッタ達は知っていた。だから寸前で退避が可能だった。
「今の動き――反応というには少し違和感があったね」
「しかも残らず魔法毒の対策までしている……。おかしいな。研究所に記録は残していないし、知っている人間も少ないはずなんだけど」
薄れていく煙の向こう。そこに2人のトラヴィスの姿があった。自爆を手札としたのは残された分裂体が安全に増えるためのタイミングを確保するためだ。
だが、ローレッタ達の動き、そして備えが完璧だったことから、警戒すべき何かがあると判断したようだ。その表情から笑みが消えて、静かにローレッタとオルネヴィアを観察しているようだった。




