第343話 魔法毒
燃え落ちていく飛行船団を尻目に、青白い閃光が走った。
天空の王がそれを回避する。流線形のそれは――白銀の煌めきを放つ身体をしている。大きな翼。流線形の身体。長い尾。金属光沢を持ったエイのような姿をしていた。
飛行型の魔法兵器とも呼べる存在だ。当然ながらこれもエルカディウス由来のものだが、こちらは改修する余地が少なかったのか、天空の王にとって見覚えのある姿をしていた。
ゴルトヴァールの防御機構に属していた存在だ。しかも雑兵ではなく、かなり高位の個体。封印後に取り残されていた防御機構の魔法兵器は、機能停止したところを領域主達に壊されたと思っていたが、どこかで残っていたものが発掘されたのか、それとも破損状況の良いものが帝国によって修繕されたのか。ともあれ、外側に取りこぼしがあって今更になって帝国に利用されているということだ。
後の世に禍根を残すだろうからと破壊して回った、当時の自分達の判断は正しかったということだろう。
今は帝国の制御下にあるあれも、ゴルトヴァールの状況如何によってはどうなるか分かったものではない。だから――これはやり残した仕事の後始末と言えた。
全身に凄まじい雷を漲らせ、残光の軌跡を残しながら天空の王が突っ込む。魔法兵器も青白い光を発して速度を上げた。それだけの速度を出せるのなら飛行船団よりも先行できただろうに、そうさせなかったのは制御権を握っている者の作戦だろう。
高機動で高火力の魔法兵器と、有人の飛行船団の連携が難しかったか。或いは少しでも天空の王の魔力を消耗させ、毒で弱らせてから本命の魔法兵器をぶつけることで勝率を高めようとしたか。どちらにせよ天空の王のすることは変わらない。
雷撃の槍と青白い魔力光を撃ち合いながら、二つの光は螺旋を描いて空中で交差し、ぶつかり合った。
トリネッドの前肢と帝国の将軍の斧とが幾度となくぶつかり合う。巨体をものともせず、木々の幹や糸を足場として木立の間で立体的な機動を行うトリネッドと、堅実な体捌きから長柄の戦斧と魔法を織り交ぜて戦う将軍。
攻防は凄まじい密度だった。トリネッドの脚はそれ自体が堅牢な武器だ。関節の可動域が通常の蜘蛛のそれよりも遥かに広く、近接の攻防や高速の機動において力を発揮する。加えて美女の半身からは魔法と糸が繰り出され、その手数は非常に多い
そんなトリネッドと相対する帝国の将軍もまた、凄まじい膂力と速度。長大な戦斧を巧みに振り回し、魔力の刃を展開しての二刀流でトリネッドの手数に対抗する。
その技量は、まあ、当人の研鑽として理解はできる。しかし、まともにトリネッドと打ち合って押し負けず、人間の域を超えた反射速度を時折見せる。
激突の度におかしな魔力反応を感じていた。
「なるほど。話に聞いていた増幅器。あながち大樹海を突破するというのも夢物語でも無かったかも知れないわね」
トリネッドは独りごちる。クレアは増幅器なる固有魔法の増強を示唆していたが、この場合は通常の肉体強化術であるとか魔法の出力そのものを増強しているようだ。
こういった装備なり処置なりを施された実力者を揃えれば、領域主を打倒することは戦力的には可能な範囲だとトリネッドも思う。
特に、クレアが戦った帝国の皇子達はそれぞれに強烈な固有魔法を持っていたようだ。彼らが健在であれば大樹海での帝国との戦いは、もっと厳しいものになっていたのではないだろうか。
「増幅器のことまで知っているようだな。この力は貴様らの首にも届くだろう」
「そうね。人は創意工夫する生物だもの。不変の私達はそういう技術の発展の前に、いつか遅れを取る、かも知れないわね。けれど」
今回は数を頼みに領域主への不意打ちをかけることはできなかったし、逆に分断して一対一の状況に持ち込んでいる。
「少なくとも、貴方達に次はない」
そういう手札があると分かっているのなら、トリネッド達とて対策が取れる。それに――帝国があれに手を出すのなら、どういう結末になるのだとしても帝国との再戦の機会は恐らく訪れないだろう。ゴルトヴァールでの戦いの勝者が誰になるのだとしても、状況は大きく動くだろうから。
何よりも、トリネッドも孤狼も深底の女王も、彼らをここから生かして帰す気はない。二度と手出しする気を起こさない程に帝国の部隊を壊滅させる必要がある。
将軍の振るう斧と、蜘蛛の前脚をぶつけ合い、離れ際に、トリネッドの腕が虚空を薙ぐように横一閃の一撃を放つ。煌めくそれを、将軍は受けずに身体を深く地に沈めるようにして避けていた。
横薙ぎの一撃は糸によるもの。一瞬にして周囲の太い木々が切断されていた。凄まじい切れ味。殺傷力だけで言うならクレアの斬撃糸より上だ。威力の差は糸を放つトリネッドの膂力そのものがクレアとは比較にならないというのもあるが、そもそもクレアの斬撃糸とは切断の方式――種類が違う。
将軍は斬撃の威力に慄然としながらも、身を屈めた姿勢から爆発的な速度で踏み込んでくる。但し、幻影魔法によって正面と左右、三方向に身体が分かれるようにしてだ。
トリネッドは特段身構えるでもない。三方向のどこでもなく、何もない空間に翳すように蜘蛛の前脚が動けば、重い金属音と衝撃が響いた。幻影は視覚的情報だけだ。空間に展開された微細な糸が周囲の動き全てを把握している。
将軍は幻影を飛ばしながらも自身は姿を消して切り込み、トリネッドはそれを糸で把握して受けた。
姿を消したまま連撃を繰り出すも、その斬撃を悉くトリネッドの蜘蛛脚が弾き返す。トリネッドの感覚を欺くのであれば、視覚だけでなく糸から得ている空気の動きや魔力の動き。それら全てに偽情報を与えなければならない。
トリネッドの情報収集能力、処理能力と空間把握能力は異常なほどだ。そして、それを戦いの場――大樹海というフィールドで応用するのならば――。
「そこ」
糸によって切断した木々の大きな幹が、接続した粘着糸の急激な収縮によって爆発的な速度で将軍の背後から迫る。
「ちぃっ!」
舌打ちしながら身を交わして飛び交う木々を避ける。が、それでは終わらない。糸の性質変化はトリネッドも得意とするところだ。接続している糸の方向と性質を変化させることでやり過ごしたはずの木々がまた別方向から迫ってくる。
空間を埋めるように。或いは時間差で。幻影で身を隠しているはずの将軍の位置を追尾するように木々が飛び交う。その中を当たり前のように木の幹から木の幹へ飛び移りトリネッドは脚と糸を振るう。
「う、おおっ!?」
脚と腕の数。処理能力の高さ。張り巡らされた糸の変化。そこから来る手数に、将軍は増幅器を全開にして速度と膂力の双方を底上げすることで抗う。抗おうと、した。
飛び交う木々の暴風。その中を跳び回るトリネッド。それらとの攻防の中で、足首に細い糸が絡んだことに、将軍は気付くのが僅かに遅れた。
意識を散らされて感知や魔法防御が一瞬手薄になったのだ。だから当たり前のように糸の絡みついた部分の筋組織を糸が沈み込むかのように深く深く刻む。
斬撃、というのは正確ではない。帝国は天空の王に魔法の毒を放っていたが、トリネッドもまた蜘蛛の魔物として魔法毒を持っている。蜘蛛毒。獲物――有機物を溶かす魔法毒だ。溶解毒を糸に乗せて放つ、或いは糸から放出する、というのがトリネッドの斬撃糸の正体だった。
「な――」
驚愕の声。事態を把握するよりも早く、高速で飛来する木々の砲弾が将軍の身体にぶちあたる。鎧と魔力防御で受け止めるも。
「さようなら」
冷たい声と共に倒れ伏したそこに容赦なく蜘蛛脚が振り下ろされ、戻って来た木の幹が容赦も呵責もなく殺到する。それで――トリネッドと将軍の戦いは幕引きとなった。




