第341話 地上での戦い
森歩きの術を用いて木々をかき分け、隊列を組んで進む。戦奴兵を連れて逃げる者達を追撃する手筈ではあったが、元々隠密能力に長ける者達だ。見失いはしたが、その場合の次善の策も用意されていた。ここからは大樹海の中心部を目指して進軍する。
戦奴兵の戦力を失いはしたが、ここに踏み入るまで帝国軍精鋭の戦力は温存されている。新しく開発された術、魔法道具や最新鋭の装備によって進軍路の魔物達を遮断、ないし排除できると帝国は下調べの上で見積もっていた。
事実、前線で温存されていた帝国軍の正規兵の装備は上等なもので、魔術師部隊と最新鋭の魔法道具により張られた結界は魔物払いや防護として正しく機能している。
その上で魔物払いを無視して近付いてくることのできる魔物や縄張り故に遭遇してしまう魔物は探知魔法で感知して集中攻撃によって排除。森歩きの術によって進軍の速度を早め、帝国軍は大樹海を更に奥地へと進んでいた。
戦奴兵がいた時よりも大胆になっているのは、事態が動いてエルンストに合わせているからだろう。クレアが戦奴兵を救出するより前に永劫の都が姿を現していたら、今帝国兵が行っていることを戦奴兵達が担わされていたはずだ。
そこに――。
「あれは――」
森歩きの術で開けた視界の先。そこに何か、細身の影があった。
一瞬、鍵の少女かと期待するも、すぐに違うと分かる。年齢が違う。尖った黒い帽子。細身の体躯と黒いローブ。長い白髪の――妙齢の美女だ。その美女は、涼しげな目元のままで帝国兵達を静かに見据えている。
「……黒き魔女――いや、件の魔女は老婆だったか?」
大樹海に住んでいると言われている魔女だ。当然、大樹海に侵攻しようという帝国軍は魔女の存在を知っていた。
手出しをしなければ敵でも味方でもない。気まぐれに人助けをすることもあるが基本的には世俗にあまり関わろうとしない。そういう存在だという知識はある。だが、老婆だという話だ。
正体はともかく、この場に現れたのだ。諜報部隊からの情報が断絶していても、帝国兵はその女を敵と見做して身構える。
そんな帝国兵の反応に――魔女はふっと笑った。嘲笑だ。
無造作に、杖を振るう。次の瞬間。それは来た。
帝国軍の周囲に暗黒が広がる。普通の闇ではない。闇の中に木々は見えるのに、隙間の空間が真っ黒に塗り潰されたようだった。
その闇の中に、煌めく小さな光が瞬く。
「さて。ご自慢の結界。どれほどのもんかね」
魔女――ロナの声がどこかから帝国兵達の間に響き、無数の煌めきが弾丸となって降り注いだ。
操星弾の弾幕だ。流星群のように降り注ぐそれは凄まじい集中砲火を帝国の展開している結界壁に叩き込んでくる。
「う、おぉおおッ!?」
帝国の魔術師隊は咄嗟に結界を維持するために杖を翳して支える。
着弾。軋むような音を立てて、結界を維持している魔術師達や魔法道具に負荷がかかった。
濁流。奔流。個人が繰り出しているとは思えない凄まじい密度の弾幕。それはそうだ。大樹海の地脈から魔力を吸い上げて利用しているロナの魔力は、個人で持つ魔力量のそれを遥かに凌駕している。加えて、魔女の秘奥を使って扱える魔力量を底上げしている上に複数の領域主達が力を貸すと表明しているのだ。地脈の通じる領域を持たない天空の王はともかく、複数の領域から魔力の供給も受け、ロナは無尽蔵に近い魔力放出ができる。
「あ、あの女を誰か仕留めろ!」
「お、おのれ!」
騎士達が突っかかろうとするも――ロナは薄く笑ったままで次の一手を放つ。
「十二星――竜牙砕」
樹幹の上。帝国兵達の頭上。瞬く光が一際強い光を放ったかと思うと、そこから輝く竜が姿を現した。直上から直下へと降りてきて、結界壁に竜牙を突き立てる。
「ぐっ!?」
「ぐああっ!?」
拮抗は一瞬。何重かの結界が砕け散り、魔術師達の腕や杖が弾かれてあちこちから苦悶の声が上がった。攻撃は続けざまに来た。頭上の竜が結界を食い破ったところで光を放って消失する。そちらに注意が向いていた間に、今度は巨大な何かが帝国兵達の中に飛び込んでくる。
孤狼だ。砲弾のような速度で帝国兵の只中へと突っ込むと、迷うことなく魔術師隊の中に飛び込み、暴風のように暴れ回る。結界を構築できる要員をまず潰すことで、こちらからの攻撃の自由度をまず上げる。先陣を買って出たのは、帝国への意趣返しの意味合いもあるだろうか。
「孤狼だと……!?」
「貴様の番には従属の輪が付けられているのだ! 我らに逆らえば番の狼がどうなるか分かっているのか!?」
魔術師をその大きな顎で振り回しながらも、孤狼は一瞬横目で叫んだ帝国騎士を見やり――そして鼻で笑った。
そんな言葉に縋ったところで意味がない。従属の輪対策があると勘づいていての苦し紛れかどうかは知ったことではないし、自分達がクレアと共闘していると帝国が分かっているのかもどうでもいい。
あるのはこの場ではそれに縋るしかなかったという、その事実だけだ。魔術師を樹に向かって振り回して叩きつけ、一挙動に喚いている騎士に向かって咆哮からなる音響の衝撃波を浴びせる。目鼻から血を流して崩れ落ちる騎士。
孤狼はそちらを顧みることもなく、そのまま魔術師隊の処理を続行する。もし、クレアと出会わず、従属の輪が外されなかったとして。
白狼を盾に脅迫してきたとしても結局自分は領域主として負った強制力に従う事になっただろう。それは白狼の命を犠牲にしてしまうということだ。だから――クレアに深く感謝の想いを向けながらも孤狼は作戦の方針に従い、魔術師を優先して潰していく。
混乱に陥ったそこに、更なる奇襲が仕掛けられた。ロシュタッドとアルヴィレト、巨人族やグリュークス一族に獣化族、ダークエルフやドワーフ達からなる対帝国の同盟部隊だ。
側面から攻撃を仕掛け、縦に伸びた隊列を分断する狙い。
「こ、こいつら、領域主と手を組んだのか!?」
事態に気付いた者が声を上げる。そもそも大樹海内で敵部隊が奇襲してきて交戦するというのが有り得ない事態なのだ。そんなことになればそれに気付いた他の魔物達が押し寄せて、まともな戦闘どころではなくなる。
だが――領域主がそこにいれば前提そのものが変わる。魔物は領域主の巨大な魔力を察知して避けていく。特に、孤狼のように普段から大樹海中をうろついているような領域主だ。他の魔物は自ずと離れるからだ。
帝国にとって最悪なのは領域主と王国軍が共闘しているらしきことだ。
そんな中にあって、他の者には目もくれずに孤狼に突撃してきた者達が3名もいた。これ以上の魔術師達の損耗は許容できない。帝国の将達だ。いずれも精鋭。高い魔力を秘めているのを見るに、魔法剣士であり、或いは固有魔法を持つ者もいるかも知れない。
振るわれる剣を、槍を、斧を、体毛に宿らせた防殻で弾き、一旦飛び退って孤狼が油断なく距離を取る。その横に、ロナが並んだ。
「――やはり共闘をしているようだな」
「領域主は鍵の娘に力を貸したというわけか」
帝国の将軍達は武器を構えながら言う。
「ふむ。少しは骨のありそうな連中だがね。しかし」
それを見て、ロナは口を開くが――遠くの空に目を向けて呟くように続ける。
「領域主達の気を引くためだか何だか知らないが、そこまでやるのかい。空から、とはねえ」
ロナの探知魔法に引っかかったものがある。大樹海の上空を何かが進んでくるのだ。当然反応するように動いた存在がいる。金色の輝きを放ちながら巨鳥が帝国の方角に向けて進んでいった。
その後ろ姿を見送って、ロナは呟くように言う。
「兵共が気の毒さね。皇帝の妄執に付き合わされて何もかも火の中に投げ込んでるようなもんだ」
「それはどうかな。あの鳥も、いつまでも大樹海の支配者面を気取れるとは思わないことだ」
「貴様らも、随分と余裕そうだが我らを侮っているのか?」
将の言葉に、ロナは肩を竦める。
「ま、いいだろう。頭数的には戦いの形にはなるだろうさ。一応はね」
「何……?」
ロナの言葉に呼応するかのように。樹上から何かが降ってくる。地響きを立てて現れたそれは、蜘蛛の半身をした美女――トリネッドだった。




