第336話 都に広がる景色
到着した瞬間にクレア達は周囲に対して警戒を行いながらも、探知魔法や隠蔽の結界を構築した。
「離れた場所に何か反応はありますが、散開しているし捜索しているという感じでもありませんね」
「周囲には……気配はないようだ」
「不審な魔力の流れも見えませんわ。見慣れない魔力の反応というのならこの都市全体がそうですが」
少なくとも不意打ちを受けるような差し迫った危険というのはなさそうな様子だ。
エルムがすぐに木人形を作り、その人形を遠隔操作して別の場所に移動の光の球を飛ばす。行先を二択、三択にしておけば追跡もしにくくなる。相手の目的戦力を分散させるようなら、エルンスト達が不在の部隊を狙って個別に撃破する戦法も取れるだろう。
一先ずの偽装工作を終えたところで、クレア達は皆、糸繭の中に入って塔の最上階から他の建物の屋上へとグライダーで移動していった。
まともに建物内を移動する、という選択はしない。それだけエルンスト達から捕捉されやすくなるし、状況把握が遅くなる。
改めて、周囲の状況、風景を確認していく。頭上は――幻影のようにうっすらと大樹海が広がっているのが見える。
逆さまの都市は本来なら光が差し込むこともないはずだが、大樹海の風景に重なるように半透明の空が広がっていて、頭上から昼間の明るさの光量が静かにゴルトヴァールを照らしている。
多重露光で撮られた写真がこんな感じだったかと、クレアは前世の記憶を思い出しながらその光景を見やる。
太陽光が大樹海に重なって差し込む様は美しくはあるが、ゴルトヴァールが普通の空間に存在していないというのは確かだ。まともな空間と繋がっているのは、やはりあの太陽のレリーフが刻まれた塔の直上ぐらいだろう。
通常空間との接点が生じているからウィリアムの固有魔法やその再現魔法で移動が可能になっているというのはある。ただ、そこから推測するなら――恐らくエルンスト達は太陽塔の周辺を目指して移動したと考えられた。
「……直接半透明になっている座標に向かって飛ぶのは危険かも知れないな。通常空間と異空間の狭間に囚われてしまうなどという事になりかねない」
ウィリアムが予想を言った。
「固有魔法で通常空間へ移動するのなら、太陽塔か大樹海中心部を経由した方が良さそうですね」
「そうだな。怪我人を後方に送るなら複数回飛ぶ必要があるが……」
それが可能なだけマシな状況ではある。一時的な撤退なども視野に入れられるのだから。大樹海側か、ゴルトヴァール側か。どちらかの目標地点に飛ぶだけなら制限もなさそうに思えた。
退路については一先ず方法を選べば問題ないと言うことで、クレア達は続いてゴルトヴァールの街や構造について調べていくことにした。高い建物の屋上にいるために見通しは良い。クレアの糸を伸ばせばもっと広い範囲も把握できる。
トリネッドが言っていたように、ゴルトヴァールはかなり広い。遠くにいくつか塔が見えるが、太陽塔、星塔と同じ構造をしている。レリーフの在った数だけ配置されており、ゴルトヴァールの街をいくつかの区画に分けて一本ずつ置かれている、という様子だった。
それから――太陽塔の正面。大通りに相当する方向に進んでいった位置は、また別の区画になっているようだ。城壁と言えばいいのか。壁が作られており、その向こうに大きな建造物が見える。城か、神殿か。判別は難しいが。
「あちらの区画は――完全にこちらとは断絶されているようですわ」
「確かに……凄まじい強度の結界が張られているようですね」
「多分――あの、二つの塔からですわ」
セレーナが魔力の流れを見ながら言う。城壁に隣接する太陽塔とは違った印象の塔だ。トリネッドの助言を参考にするのなら、重要施設を守る結界を維持するために作られているものであるから、そこに不用意に近付けば戦いになるだろう。
それから――想像していなかった問題が一つ。
「街の作り自体はまだ理解できるものですね。問題は、この星の塔の敷地の外ですが……」
「感知魔法に引っかかっている反応ね」
イライザが感知魔法を展開しながら言うとルシアが眉根を寄せた。最初から感知魔法で存在自体は分かっていたし、クレア達も気になってはいたのだ。
ただ、星塔の周辺の建物は関連施設であるらしく、生物的な魔力反応がない。退却の手段や街の構造などは先に把握しておかなければならない。差し迫った危険がないようならばと後回しにし、順番に情報を整理していっている形だ。
塔の敷地の外までクレアが糸を伸ばして建物の上から様子を見るが――。着飾った住民達が通りを歩いているのが見て取れた。
「なんだかな……。イルハインの時のことがあるから、こういう都市の住民は不気味っていうか信用できないっていうか」
「実際、普通の人間の魔力反応とは違っていますわ」
ニコラスの言葉に、セレーナが言う。
「しかし――住民達の振る舞い自体は普通、か? いや、この状況ならそれこそが異常なのかも知れないが……」
グライフが言う。住民達は各々恋人と談笑したり、家族と手を繋いで道を歩いていたりと――それだけを見るなら幸せそうな光景だ。
ただ、日常の幸せそうな一コマではあるが、誰も太陽塔の上空を気にしている素振りがない。明るい色の服で着飾っているが、どうも祝日のような様子でもない。
封印が解けたことを喜んでいるというのなら、空を見上げそうなものだというのに。
当たり前のように談笑し、当たり前のように団欒や散策を楽しんでいるといった雰囲気だ。そう。各々の日常を楽しんでいる、というのが正しいのか。
恋人と食事を楽しんでいる風景。娘を抱き上げて笑う父親。老いた親を車椅子で押して笑い合う娘。通りにいる者達の、そんな幸せそうな、光景。光景。光景。
「なん、ですかね。この違和感は」
各々を見るなら日常でどこにでもあるような幸せそうな光景。だというのにどこもかしもそれ。一様にそれだけというのは、人の営みとして違和感がある。
そこまで考えたところで、クレアには違和感の正体を言語化することができた。
「ああ。分かりました。ここには、幸せではない人がいないんです。不幸とまでは言いませんが、普通の日常さえ存在していなくて――」
クレアの言葉に、改めて映し出されている光景を皆が見やる。
「……理解しました。生活や仕事に追われている者や、悩み事や仕事上でのことをどうしようかと思案している者すらいない、ということですね」
ローレッタがクレアの言いたい事を察して眉根を寄せる。
「そうです。魔力反応が違うというセレーナさんの言葉もそうですが、普通の住民、ではないのでしょうね」
クレアが言う。皆が幸せに暮らす平和な都。言葉にするならそうなのだろうが、それが本当に文字通りの意味で現実の光景として広がっていると……それはとても違和感のあるものだった。
踏み入る前は無人の廃墟や遺跡に魔物や墓守、領域主のような人外、魔法生物や魔法兵器が闊歩しているのを想像していたから、住民が普通に街中を闊歩しているというのは意外な光景だった。
しかしその実、たったこれだけの調査でも異常性が漏れ出ている。勿論、住む者達にとって本当の意味での理想郷だからという可能性とてある。だけれど少し捜索範囲を広げて見ても、住民達の様子はそれぞれの暮らしの一コマという違いこそあれ、幸せそうに過ごしているという様子は変わらなかった。
それに、彼らが交わしている言葉の問題もある。
「古代語、ですね。古文書の解読に当たっていたアンジェリアさんやロナから古代語については基本を聞きましたから、魔法を組んで補助すればある程度は分かりますが……」
言葉が通じたとして、彼らに接触して話を聞けるのかどうか。接触するならば念のために戦闘やその場からの逃亡も想定しておかなければならないだろう。糸の視界が映し出す光景を見て、クレアは僅かに表情を曇らせるのであった。




