第332話 資格と導き
エルンスト達が光に包まれて消えた瞬間、それを合図にして本陣の帝国兵達が動きを見せた。再度結界が展開されて、本陣を守りながらも、その中で隊列を組んで出陣しようという様子が見て取れる。
クレアは即座に動いた。糸を伸ばして地面に倒れ伏したままの子供の周囲に幻術を展開。羽根と小人の呪いを使い糸繭に包んで回収に移る。息が荒く、意識もないようだ。
クレアは素早く引き込んできた子供に、ポーションを飲ませて容態を診ながらも、周囲の状況把握に努める。
「エルンストの行動に合わせて本陣から動く……。こちらは陽動で、時間稼ぎが目的だろうな」
「封印が解ける時には、私は現場に出てきていると踏んでのものなのでしょうけど、面倒なことをしてくれるわね」
グライフの言葉に答えるルシア。
クレアが前線にいて戦奴兵を救出しに来ることを前提にした策だ。最初からどちらでも良かったのだろう。クレア達が姿を現すならエルンスト達も合わせて動き、制圧できれば捕虜にする。姿を見せなくとも、いるものとして伝え、自分達が先に永劫の都に進んだと伝えて目的に向かって動きながら追ってくるのを誘う。
そのための時間稼ぎは侵攻部隊だったはずの者達が担う。救出に来ているのなら、その成否や過程がどうあれ、追撃を受ける形になるわけだから尚更動きにくかろうという判断だ。
従属の輪への対策があったとしても、解除権のある者は恐らくエルンストだ。
だから、本当ならば従属の輪への対策をしながら追撃の役割も担う侵攻部隊の相手をしなければならない。
ただ、クレア達には帝国の把握していない手札がいくつかある。封印が解けるタイミング。永劫の都やそこに向かう手段といったもので遅れを取りはしたが、ここからの挽回は可能であるとクレアは判断していた。
例えば、従属の輪がもう解除できていること。ウィリアムやイライザが生存していて協力してくれていること。そして、領域主達の一部と共闘していることだ。
ただ――領域主達は共闘していると言えど、独自の考えと目的で動いている。トリネッドの静かな声がクレアの耳に届く。
『――状況が変わったわ。地上の帝国兵は、私達が対応しましょう』
「……それは――」
『極力、あなたの意向は尊重するわ。私達が望んでいないような者達が都に到達したことで、これ以上状況が悪くなるようなら他の領域主達も動き出す。王国側に野心がない以上、領域主達は後顧の憂いなく、国境周辺の帝国の都市部まで壊滅させるでしょう』
「だから、トリネッドさん達に任せろ、と」
『ええ。あなた達の手が余っているなら、共に戦うのも助かるから良いのだけれど』
そんなやり取りを交わすと、ウィリアムが言った。
『負傷者を撤退させるためにそちらに向かおう』
「わかりました。私達は帝国兵から一旦距離を取ります。それから――」
クレアは糸繭の中に仲間達を回収し、木々の人形をけしかけながらも、トリネッドの言葉を聞いて浮かんだ疑問を口にする。
「トリネッドさん。望んでいない者達が、と言いましたが。それは例えば、私が到達する場合は違う、ということなのですか?」
思えばトリネッドは自分達に協力的で、封印が解けることも予期していた節がある。これまでのやり取りや先程の言葉の裏の意味を考えるなら、クレアが都に到達することを望んでいるということなのだろうか。
『そうね。封印が解けて私達の守りを突破するものが現れてしまった。だから少しだけ制限も緩んで、防衛のためならば許容されること、話せることも増えているわ。……どちらにしたって私達はあの都に立ち入れない。あなたがあの者達を止めてくれることを望んではいるわ。私だけでなく、他の領域主もそう考えている者は多いと思うわよ』
例えば孤狼。深底の女王。天空の王あたりだろうかとトリネッドは自分の考えを口にする。
深底の女王にはクレアは顔を合わせたことはないが――王や女王、貴婦人等と同じく尊称で呼ばれていることや、トリネッドが名前を挙げるあたり、人から敬意を払われるような性格ではあるのだろう。
そして状況の変化に応じて、トリネッドはクレアのエルンストへの追跡を期待している節がある。
「エルンスト排除のために私達の永劫の都入りを黙認する、というわけですか」
『それもあるけれど、正確には違うわ。封印を解いたあなたには、都に至る資格があると判断しているのよ』
「資格――」
帝国は鍵だと言ったが、それは封印を解けるがそれだけだと言いたいからなのだろう。帝国から見た立場での物言いで、自分達がそこに至るための存在だと、貶めるような言い回しだ。
だが、領域主達から見た場合は――やはりクレアは特別な立ち位置で、アルヴィレト側から見た、運命の子に近い意味合いを持っているのだろう。
『話せないことは未だ多い。けれど、資格ある者を都まで導くのも私達の役目。仲間達の同行に関しては――この状況ならば許容するぐらいの裁量はあるわ』
トリネッドが言う。クレアは少し考えた後に口を開く。
「……一旦、前線基地まで撤退しましょう。改めて撤退と部隊の展開をするにしても、ウィリアムさんは往復が必要となりますし、領域主の方々とタイミングと位置を合わせた方が、お互い動きやすいはずです」
『分かった』
『良いでしょう』
ウィリアムとトリネッドが答える。ウィリアムが単身で飛んでくる形なら増幅器は必要ない。魔力の節約と、エルンストへの追跡、帝国部隊迎撃のどの面においても一旦立て直しと作戦の練り直しが必要だ。
エルンストの力も、一瞬とは言え垣間見ることもできた。先手を取られたが、追いつくことはできるはずだ。
そうして、十分に離れたところでウィリアムと合流し、クレア達は一度前線基地へと撤退する。後には停止した木々と、トリネッドの糸による監視網だけが残った。
クレア達は前線基地に跳ぶと、まずは戦奴兵の中にいる負傷者と再現魔法を使った少女の治療を行っていった。ポーションで足るものはポーションで。しかし少女の方はまだ苦しそうな様子であった。
「魔力の流れがおかしなことになっていますわ。魔法技術で外から手を加えられているのだと思います」
「つまりは――そこを元に戻してやればいいのよね」
セレーナの言葉を受けて、シェリーが少女の治療に取り掛かる。加減しながらのものであるが、シェリーが手を翳すと目に見えて少女の呼吸が穏やかなものになった。
「……あり、がとう」
少女には意識があった。ただ、この場合苦しんでいるのに意識を失えなかったという方が正しいだろうか。
「あなたは――従属の輪をつけられていないようですが、こんなことになると知っていたのですか?」
イライザが尋ねる。
「……ううん。でも私が、ちゃんということを聞けば……お母さんや弟達を助けてくれるって。魔法の、契約だって……そう言ってた。これで……病気の治療をしてくれるの……」
オルネヴィアのところに魔法の装置を運ばせた時と同じやり方だ。従属の輪が対策されていると踏んで、違う方法をとったのだろうが、オルネヴィアの時と同様、トラヴィスが関わっているのだろう。
「でしたら、これ以上は帝国のために動く必要も、そのつもりもないのですね?」
「……うん」
イライザは固有魔法で調べて、嘘は言っていないと合図を送るものの浮かない表情だ。ローレッタも不快げに眉根を寄せて、オルネヴィアも苛立たしそうに声を漏らしていた。
とりあえず再現魔法を使えても危険はないと判断し、容態も安定してきたことからクレア達はそこを離れ、エルンストを追う班、領域主と共闘して戦う班に分かれて作戦を立てていった。




