第330話 誤算があるとすれば
木々を介して微細な糸を伸ばし――そこから戦奴兵達に干渉する。
縁を繋ぎ、不必要な悪縁を切る。クレアがすることはそれだけだ。キメラ達を分離した時とは違い、細かな分離や再構築などと言う高度なことはしない。
ローレッタ、オルネヴィアと戦っている最中に縁の糸を繋いだが、今回もすることはまずそれだ。
繋ぐために必要なものは接触したという事実で、後はそこに寓意魔法的な意味付けをしていけばいい。戦いの中でできる程度の難易度でしかないが、どれだけ深くまで干渉できるかは相互の認知にもよるのだろう。ローレッタやオルネヴィアの時は絶対に助けたいという強い意志をぶつけたからああして過去を覗き見る程に深く繋がったのであろうが、糸ごしではそこまでは望めない。
しかし今回干渉するのは人ではなく、彼らが付けられている従属の輪を基点としたものだ。
加えて言うならば――今までいくつもの従属の輪を解錠してきている。自分自身との関わり、縁の繋がりを持つことが、不当な従属の輪による支配からの解放の運命に繋がるものだと定義し、寓意としての意味付けを行うことで従属の輪に干渉を行う。
「エルム。木々の操作はお願いします」
「わかった。まかせて」
エルムに木々の制御を任せ、クレアは糸と運命操作に集中すべく、目を閉じる。
思うのは、街でグライフに言われたことだ。絆が力になるのかも知れないという、その言葉。
帝国に支配された人々の解放を目指す中で、色々な人と新たに知り合った。グリュークス一族と走竜。獣化族。ダークエルフやドワーフ。巨人族。帝国に支配を受けた周辺民族の人々。
そして、志を同じくする反抗組織。アルヴィレトの同胞。ルーファスやシルヴィア。ローレッタにオルネヴィア。
人種も種族も関係なく、解放され、家族や友人、恋人や子供と再会し、喜ぶ人達の顔、顔、顔。そうしたものが脳裏に浮かぶ。
今戦わされている戦奴兵達とて、それは同じだ。今まで解放してきた人々と同郷の者もいる。まだクレアの知らない民族、種族の出身者もいるだろう。
その人達も、きっと今まで知り合った人達と同じように、望まぬ首輪や戦いから解放し、大切な人達との再会を果たさせてやりたいと思う。
暗鬱とした希望のない日々からの解放。そういうものに想いを巡らせる時、クレアが連想するのは、前世の記憶――。人形繰りと出会う前の日々だ。帝国に支配されて望まぬ戦いに身を置かなければならないことと比べたらきっと、大したことのないものではあるのだろう。
それはそうだ。総じて見るならば、前世も今も、良縁に恵まれて、自分は幸せなのだと思う。戦奴兵として戦わなければならない、彼らの痛みを理解できるというのはおこがましい。
それでも将来の分からない不安だとか、望みや自信を持てない日々に苛まれる痛みを、少しは分かるつもりだ。そしてそこから、希望と共に解放されることの喜びも知っている。
灰色の日々に光が差し込んで色が付くように展望が広がるということが、どれほどの喜びであるか。自分には想像できない程の暗い底、暗い絶望だとするなら、そこから解放された時の喜びもきっと自分には想像がつかないほどのものであるのだろう。
そうしたものを届ける手伝いができればそれでいい。自分が人形繰りの師や、ロナにそうしてもらったように。そしてそれが、王族として生まれた自分のすべきことでもあると思う。
胸の内に去来する想いを糸に込めて、力を広げる。その時の一瞬の忘我は、イルハインを討伐した時や、ローレッタ達を元に戻した時と、確かに同じ感覚だった。
縁を結び、そこから悪縁を切って再び繋ぐのはほんの僅か、一瞬で事足りる。力の放出も一瞬だ。すべきことも、戦いもまだこれから続くのだから力を使い果たすわけにもいかない。
だが、従属の輪にまとめて干渉するならその程度で十分だ。帝国との縁を切り、クレアと繋ぎ直す。これにより、装着している従属の輪への命令権、解除権を書き換える。瞬間的な乗っ取りのようなもので、クレアがそのつもりなら戦奴兵をその場で無力化どころか強制的に寝返らせることが出来るだろう。
解錠よりも強烈で瞬間的。運命操作を基点に干渉しているから、通常の手段では対策も取りようがない。
そうやって従属の輪を乗っ取った上で、クレアは糸を介して仲間達に現状を伝え、縁を繋いだ者達に糸を介して声を届ける。
「従属の輪を書き換えて乗っ取りました。命令権は私にありますが、あなた方は自分の意志で自由に従属の輪を外すことができますし、帝国に逆らってもその行動は縛られません。帝国からの命令は従う意味のないものとなりました」
そんな、クレアの声が戦奴兵達の耳に届く。クレアの先程抱いた感情が。想いが。縁の糸を通して声と共に僅かに彼らにも流れ込む。
一瞬、戦奴兵達の動きが乱れる。木々は――合わせるように攻撃を控えた。
「木々も私達の操り人形です。適当に剣を交える振りをしながら、奥地に誘い込まれるように動いて下さい。混成部隊の後続の方々は私が離脱させます」
一瞬とはいえ、伝わったクレアの想いや木々の動きは、戦奴兵達に信じさせるに足るものであっただろうか。
そのまま真剣な表情で木々と剣を交える。真剣に戦っている振りだ。木々も即座に演武でもするかのように動きに合わせてくれる。
小声で帝国への批判を口にしている者もいた。クレアの言っていることが真実と確信したのか、戦奴兵達はアイコンタクトを取って頷き合う。
そうやって、分断されるのに任せるままに戦奴兵達はクレアとエルムの誘導に従い、シルヴィアとディアナは戦況、状況に合わせて幻影を展開して戦奴兵達が戦場から離れて行くこと自体を感知できないように覆い隠していく。
そうしている内に督戦部隊は木々と糸矢、グライフ達に削られて、一人また一人と倒れていく。そういう督戦部隊の窮地すら探知魔法では知ることができない。
工兵部隊と合流した本陣からの援軍については木々も切り拓かれてしまっている場所なので探知や視界も通りやすい距離ではあるだろう。悠長な動きをしている時間はない。
だから。異常に次なる対応を見せるよりも早くクレアは動く。
「こちらの魔法に身を任せて下さい」
そう伝えて。羽根と小人化の呪いを使いつつ戦奴兵を残らず縮小、軽量化して糸繭の中に取り込むと高速で引き戻す。
同時に。木々の操り人形が、本陣と増援部隊の間に陣取るように位置取り――大きな爆発を起こした。
変異種と思わせているが、爆裂結晶を埋め込んだ操り人形だ。二度、三度と立て続けに爆発を起こし、魔力をかき乱して爆風で視界を遮る。
そうやって情報をかき乱しながらクレアは戦奴兵達をとりあえず安全と言える位置まで退避させる。縁の糸を繋いでいるからか、彼らの安堵であるとか、鬱陶しい従属の輪を外せる喜びが伝わってくる。
ここまでは、クレア達の立てた作戦通りだ。誤算があったとするなら――彼らとの縁が更に生まれたこととそこから向けられる感謝の想い、それに伴う絆。運命への干渉を意図的に行えるようになったことによるクレア自身の力の増大、だろうか。
本来であれば成長は喜ぶべきものなのだろう。
しかし、運命の子のそれは、他の者と少し意味合いが異なる。特にクレアの覚醒に連動して裏で推移していた物が存在するという、今の状況では。
その時、クレアは――何かの枷、或いは枠だろうか。不意に、そんなものが外れた、というように感じた。意味は分からない。ただそう感じたというだけだ。
続いて、何かガラスの割れるような音が響く。クレアの主観だけのものではない。それを、その場にいた全ての者達が耳にしていた。
音は頭上から。クレア達が空を見上げれば、それが視界に入ってくる。
空だ。青い空に、大きな亀裂が走っていた。




