第324話 貴婦人の知らせ
トリネッドから帝国が動いたようだと連絡が来たのはそれから一週間程してからのことだ。大樹海北方外縁部に複数の兵達の動きあり。現状想定されたルートをとりながら大樹海を進軍して来ている、とのことだ。
戦奴兵、正規兵に加えてゴーレムや魔法道具を使って木々を伐採。急速に大樹海を広げながら、しっかりと編成された軍勢を差し向けての侵攻であるらしい。
「……動いたようです」
「戦奴兵に正規兵。それにゴーレム。こちらの諜報員が掴んでいた情報とも符合するな。だが、連絡には時間差が生じるから、トリネッドの情報網が最速ということになるが」
そう言ったのはリチャードだ。クレアとの連携、連絡を密にするために開拓村や大樹海内に設けた前線基地を行き来していた形で、今もクレア達と共に前線基地にその姿はあった。
大樹海内の前線基地――かつてイルハインの領地だった場所だ。
イルハインの領地はそれを倒した者に魔法的な支配権が移っている。クレアが吸血樹を倒したことで、庵を築くための領地確保をしたのと同じだ。つまりは――ロナの領地であったが、ロナとしては別にイルハインの治めていた土地を積極的に活用したいわけではない。そこで今回の作戦にあたり、帝国の侵攻から大樹海を守るために限り、という魔法契約の条件付きで前線基地や物資の集積地。兵士達の駐屯地として活用する許可をロナが出したわけだ。
作戦行動として大樹海内のどこかに向かうのであれ、ウィリアムの固有魔法を活用するのであれ、辺境伯領や開拓村から出撃するよりも手間が少ない。最初から建物もあるのだから、雨風を凌いだり食料品や武器の貯蔵庫としたり、防衛拠点化するには都合が良かった。
イルハインが抜けた防衛ラインの穴埋めをするにも丁度良い。とはいえ、帝国から大樹海中心部への侵攻ルートとするにはあまり適していない立地だ。どちらかというと王国への侵攻ルートになる。活用されてしまう前にしっかり整備しておけば一石二鳥というわけだ。
ウィリアムの固有魔法の応用術で、決まった場所への転送が出来るようになった今だからこそ、大樹海の奥地でのこうした拠点化も可能になったところはある。そうでなければ帝国のように多くの人員や大金、長い時間を費やしての準備が必要となっていたはずだ。
が、そのための時間と資源を費やしてきた帝国は、実際に動き出してしまえばかなり急速な侵攻を見せている、とのことだ。それほど間を置かずに大樹海奥地まで到達するだろうというのがトリネッドの見立てである。
「森歩きの術……。先行する戦奴兵達による人海戦術と結界。魔法道具と魔法武器による魔物の排除。安全確保したところで魔術師達とゴーレムによる伐採――。よくもまあ、そこまで用意周到に準備したものだと呆れるばかりではありますが」
トリネッドから聞いた話を伝えながら少女人形がかぶりを振る。魔術師達を動員して森を切り拓き、そこに人海戦術と魔法技術で侵攻。
帝国の持つ国力、リソースを大量に注ぎ込んでいるが、クレアとしてはこんなことに帝国が力を使っていることも、自分達が対応するために力を使わせられることも理不尽で無駄な話だと思えた。
かといって、こちらが折れる道理はない。帝国の言いなりになっては多くの人達が泣くことになるのだから。
「まずは相手の動き、布陣などを偵察して見極めていくことから始めましょう。戦奴兵を離脱させ、切り崩していけば計画そのものを諦めさせるか、いずれエルンストやトラヴィスを釣り出すことにも繋がるはずです」
既に侵攻予想ルートの近辺にウィリアムの固有魔法の目印となる紋様をいくつか配置している。そこに移動し、偵察して実際の動きを見てから仕掛けるタイミングを変えるという作戦だ。
トリネッドと連絡を取り合い、凡その帝国軍先遣隊の位置を把握。それよりももっと大樹海の奥地に移動していくこととなった。
「それでは、行くとしよう」
「ご武運を。殿下」
「ありがとうございます」
リチャードに見送られる形でクレアはウィリアム達と共に広場に並ぶ。今回は偵察ということもあり、クレア達は大勢を同行させずに少人数での行動を行う。グライフ達が同行していくことになるが、ローレッタとオルネヴィアも一緒だ。オルネヴィアの嗅覚は偵察にも使えるし、感情の感知ができるというのはイライザの固有魔法と合わせれば情報収集に役立つ。黙秘されたりしても感情から得られる情報も多いのだから。
ウィリアムが固有魔法を発動させて光に包まれる。一瞬にしてクレア達の姿は大樹海の北部へと移動していた。樹上の少し上に出現しながら羽根の呪いとグライダー状の糸で落下速度を軽減しつつ地面に降りる。
「まずは――近くにあるトリネッドさんの糸に接続して、こっちに移動したことを知らせます」
隠蔽結界を張り直したクレアが言って、探知魔法を放ってからトリネッドの糸を探す。クレアの糸と再接続させればまた交信ができるからだ。
「見つけました」
トリネッドの糸と再接続し、現在位置を知らせる。すぐにトリネッドからの答えも返って来た。
『移動したようね。興味深い魔法ではあるけれど……まあ、そのことは今は良いとして。そこから――北北東に進んだところに、帝国の先遣隊が周囲の魔物を討伐しているわ』
「わかりました。まずは現場に向かって、敵の布陣や樹海侵攻の方法を見てこようと思います」
『ええ。私にも教えてもらえると助かるわ』
「勿論です」
孤狼の領域まではまだ十分な距離がある。帝国兵が領域主との戦闘に入る前に敵の動き、配置を見極めてそれに応じた作戦を立て、大樹海の奥に誘い込んでから戦奴兵達の解放を目指す構えだ。
クレア達が移動を開始すると、トリネッドが伝えてくる。
『ああ、そう言えば。共闘するあなたの好みにはそぐわない結果になるだろうから伝えていなかったのだけれど。私は糸から特殊な音を発することで、特定の種の魔物の群れの動きを誘導することもできるわ。細かい制御はできないから帝国兵、戦奴兵の区別なく襲い掛かってしまうし、暴走した群れを鎮める方法があるわけでもないから使いにくいのだけれどね。一応、あなた達が失敗した場合の保険だとか、攪乱の一手段としてそういう手札がある、というのは頭に入れておいて』
「それはまた……」
強烈な能力――というよりも糸を使っての応用術と言うべきだろうか。干渉できる魔物の分布にもよるが、領域外の任意の場所で暴走を引き起こすことができるというのなら、大樹海の中心部を防衛するのには強力な手段だ。
ただ、完全なコントロールができるわけではない、というのは確かに問題があるだろう。クレアとしては戦奴兵の犠牲は減らしたいし、規模によっては大樹海外部への影響も懸念される。魔物の群れが暴走すると他の魔物にも影響が出る。追われた魔物が更に弱い魔物の縄張りを奪い、それが巡り巡って大樹海外縁部に魔物が溢れ出すこととなって、人畜に被害が出る結果になったりしかねない。
「出来ることなら出番のない手札にしたいところですね」
『そう言うと思って敢えて伝えていなかったわ。とはいえ、あなた達の手札を見せてもらっているから、多少は私の手札も見せておいた方が信用に足る……というよりも、対等かと思ってね』
共闘相手との公正さを考えて、ということなのだろう。そういう性格であるということが分かっていれば、土壇場で信用もできる。
逆に言うのなら、トリネッドの信用、信頼を裏切るようなことをすればその能力を王国に向けることをトリネッドは躊躇しないだろう。領域から一歩も外に出ずに大規模な報復を行うことができる。
大蜘蛛の貴婦人トリネッドの能力はほとんど知られていないが、逆に言うならその程度のことは伝えても問題ないということだ。トリネッド本人の強さには全く関係ないことであるから明かすこと自体特段弱みにはならない。




